第12話

山の麓のコインパーキングに車を停めて山に入った。

山道は奥に行くほど暗くなり足場も悪くなるが、6年間、通い詰めた道だ。身体が記憶している。

けれど、早足で歩くためか木の根や石に足をとられそうになって、菅野が用意してくれた大きな懐中電灯は役に立った。漆黒の闇の中、頼りになるのは足元を照らす懐中電灯の光だけ。後ろをついてくる菅野に気を使う余裕もなく、ひたすら湖を目指す。

やがて道が開けた。あの夜、空を飛んで龍之介に連れられてきた時と同じように、湖面に月が映っていた。

「龍之介!」

畔に跪き、湖に向かって叫ぶ。

ゆらゆらと揺れる湖面には動きがなくて、どんどん不安になる。

名前を呼んでもまったく反応がない。

不安が大きくなりすぎて、怖くなった。

いろいろな記憶があやふやになってきたんだ。あの龍神同士の戦いは本当にあったのか。龍神は存在していたのか。本当に龍之介はいたのか。

俺が見ていた幻覚なんじゃないか。淋しくて不安定だった俺の都合の良い夢だったんじゃないのか。

もう鱗も手元にない今、何も証明するものがない。

「龍之介! 龍之介!」

何度、名前を呼んだか分からない。俺の声で木々が震えるくらい叫んだ。

頼むから出てきてくれ。いつものように顔を見せてくれ。

少し離れて見守っていた菅野が近寄ってきた時、湖面の月が揺れて崩れた。

「あ…」

ぱしゃ、と音がして緑色の鼻先が見えた。

「龍之介!」

「……御幸…?」

驚いたように金色の目が見開いている。

思わず湖に入っていこうとしたところを、後ろから菅野に引き留められた。

龍之介が慌てたように、岸まで泳いで上がってくる。

「御幸、わざわざ来てくれたの?」

「ばかっ…! あんな消え方したら、心配するだろ!」

龍之介の湿った身体を抱きしめ、少し斑になっている背中の鱗をしっぽまで撫でる。

良かった。生きてた。いつもの龍之介だ。泣きそうになるのを、ぐっと堪えてその代わり龍之介の身体を強く抱きしめた。

「ごめんね…」

龍之介は苦しいだろうに、文句も言わず、肩に顎を乗っけて、すんすんと鼻をすすっている。

「俺は大丈夫だよ。ただ、力を使い過ぎちゃったから、しばらく湖で力を蓄えないといけないけど…。回復したら、また戻れるから」

安心したのと同時に、消えた鱗のことを思い出した。

「それが…おまえから貰った鱗、消えちゃったんだよ」

傷ついてる龍之介に、もう一度、鱗を剥いでくれとは言い辛い。

龍之介が首をかしげている。

「消えた…の?」

そう言って、小さな手が俺の手に触れた。その時、鱗が消えた跡が残っている掌がぼんやりと光った。

え?なんだこれ。

背後で菅野も息を飲んでいる。

ふう、と龍之介が息を吐いた。

「大丈夫。無くなってないよ。御幸の中に入ったんだ」

「俺の中…?」

「うん。だから、いつでも俺は御幸のところへ行けるよ」

そう言って、俺の掌にキスするように唇をつけて、すりすりと顔を押しつけた。



その夜は山を降りて、ばあちゃんの家に菅野と泊まることにした。

家は隣に住むばあちゃんの友達が管理してくれているので、3月に家を出た時とあまり変わっていなかった。

客用の布団を取り出していると、菅野が居間の仏壇を無言で見つめている。

「どうしたんだよ。何かいるとか言うなよ」

「そうじゃないよ。位牌は置いてないの?」

「位牌はじいちゃんのも含めて、俺が家を出るときに親父が管理するために持ってったんだよ」

ふうん、と何か考えている菅野に枕と上掛けを渡して二階の俺の部屋に上がった。

俺の部屋も家を出たときのままになっていた。

身体は疲れきっていたが、妙に頭が冴えてしまってなかなか寝付けずにいると、ベッドの下に布団を敷いて横になった菅野も何度か寝返りを打っている。

「菅野…」

「ん?」

「ありがとな」

暗い中で菅野がベッドの俺の方を向いた気配がした。

「……それは、何に対して?」

「え?……えーと…全部…?」

黒い龍から守ってくれた事とか、取り乱した俺を支えてくれた事とか、ここまで連れて来てくれた事とか、コスガノに助けられた事とか。

「菅野がいなかったら、俺も龍之介もどうなってたか分かんなかったよ」

「……いいよ。多分、それが俺の役割なんだ」

「え?」

菅野に視線を向けたが、同時に背を向けるように寝返りを打ってしまって顔は見えなかった。

「さすがに長距離運転して疲れちゃった。朝になったら起こしてね」

おやすみ、と言った声は掠れていた。


翌朝、ご飯を炊いてオニギリを握り、もう一度山に登った。

「多分、一週間くらいで戻れると思うんだよね」

三人で並んでオニギリを食べながら、龍之介は言った。

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