第11話

大学の敷地を出て、アパートとは反対方向に向かって歩き始めた。

歩いている間も、手首を掴まれたままで互いに無言。

商店街を通り過ぎて、住宅地を抜けて林が見えてきた。林に近づくにつれて段々と人通りも外灯も少なくなってきた頃、大きな赤い鳥居が見えた。

神社?

「菅野、ここって」

「この裏が俺の実家」

え、え? と言ってる間に、2体の狛犬の前を通り、鳥居を潜って砂利道を歩いていると本殿が見えた。

その横を通り抜け、一戸建ての家の門をくぐる。

「ここで待ってて」

そう言い残して、菅野は玄関に入って行った。

まわりを見渡すと、家と本社の裏では木々が風に揺れてざわざわと音を立てている。

夜の神社って妙に静かで、なんか怖いな。

ふいに強い風が吹いて、足元から身体全体を舐めるように風が通り抜けた。髪の毛を項から撫でられたような気がして、肩を竦めた。

なんだ、今の。

きょろきょろと周りを見回しても、何がいるというわけでもない。

木々がざわざわと音を立てて、さっきとは違う柔らかい風が足元を抜けていく。

なんだか、変な感じだ。

龍之介や龍神のことが神経で過敏になっているのかな。

その後、すぐに菅野が戻ってきた。手には大きな懐中電灯と登山用の上着を抱えて。

「山は寒いかもしれないからね」

そう言って、一枚を俺の肩にかけた。

車庫を開けると、四駆と軽の2台があって、四駆のほうに乗るように促された。

「長距離を運転するの初めてだから、安全運転で行くよ」

「……ごめん。菅野の家族まで巻き込んで、迷惑かけて」

「今更だよ。乗りかかった舟だしね」

笑う菅野の様子に、やっと、ほっと息をつくことが出来た。

「おまえの家って神社だったのか?」

「代々、宮司を務めているんだよ。今は兄が跡を継いでるんだ」

「だから、神様とかに詳しかったのか」

大学生になって初めて出来た友人だってのに、菅野のこと何も知らなかったんだな。


「黒龍はどうなったんだろう」

俺の疑問に菅野は少し考えるような素振りを見せた。

菅野は図書館の外で黒龍と龍之介の死闘を見ていた。コスガノが俺を守るために結界を張っていたのですぐには近づけなかったのだ。

「あの感じだと完全に消滅したみたいだね。…黒龍っていうとカッコよく聞こえるけど、あれは人を食らって生きてきた穢れで黒くなっただけだから。神としてはあり得ない不浄のものだよ」

菅野の声は冷たい。

「あの時点で伊坂くんはまだ龍之介のものじゃなかったから、狙われたんだろうね」

龍之介のもの?

「どういうことだ?」

「…まあ、それは追々考えればいいよ」

言葉を濁して菅野はアクセルを踏んだ。


車が走り出し、静かな車内で不安がぶり返してきた。

龍之介の傷ついた顔が浮かんで消えない。

不安で不安で、息が苦しい。顔を上げていられなくて無意識に両手で顔を覆っていた。

「伊坂くん、龍之介は大丈夫だよ」

菅野の声は、今まで聞いたことがないくらい優しかった。肩に乗ったコスガノが俺の頬に触れている。顔を上げてふわふわとした身体に触れると指を握ってきた。その小さな手が龍之介の手と重なって、ぼんやりと視界が滲む。

「伊坂くん?」

感情を抑えるために大きく息を吸って吐く。

「…俺のばあちゃんは、高2の時に亡くなったんだ」

菅野は、ちらりと横目で俺の方を見た。

「庭で倒れてるのを近所の人が気づいて、すぐに救急車を呼んでくれたけど間に合わなかった。……その日は数学のテストで、俺は教室で何を考えてたと思う?」

菅野は何も言わず、視線だけで促す。

「俺はヤマが当たればいいな、早く帰りてぇなって思ってたんだよ」

「伊坂くん」

「ばあちゃんが庭で苦しんでるとき、ずっと、苦手な問題が出なきゃいいなって…」

赤信号で止まると、菅野が俺の手に触れた。顔に似合わず厚くてごつい手だ。

顔を向けると、まっすぐに俺を見ていた。

その目があまりにも優しくて、涙が零れてきた。

「もし……龍之介が苦しんでいたら? 俺の知らないところで、もし…」

「龍之介は、ああ見えても神の中でも最強の龍神だよ」

常に冷静な声は俺の気持ちを少しだけやわらげてくれる。

菅野は、ずっと大丈夫と言ってくれていた。

少しハスキーなその声で言われると、なんだか全部ほんとうに大丈夫な気がしてくるから不思議だ。

暖かい手が離れて車が走り出すと、やっと前を見ることができた。

俺が少し落ち着いたのを感じ取ったのか、菅野がいつもの調子で話し出した。

「俺、ずっと考えてたんだけど…伊坂くんと龍之介が出会ったのは、偶然なのかな」

「え…?」

何を言い出すんだ。

「日本中に龍神を祀る神社や、伝説や言い伝えが残る湖や池はたくさんある。でも、そのほとんどは空っぽなんだよ。神はいない。なのに、伊坂くんの住んでいた土地の、名も無い山の湖に龍之介はいた。どうしてだろう」

まるで、このラーメンのスープの隠し味はなんだろう、と言うのと同じ調子だ。

「…ばあちゃんと龍之介の話だと、龍神に助けられた女の人が巫女になったって言ってたから、昔から龍神は、あの山にいたんだ。別におかしくないだろ。それがばあちゃんの先祖…」

「伊坂くんの先祖でしょ」

ああ、そうなるのか。俺と『巫女』っていうのが繋がらないから、他人事のように考えていた。

「龍神がいるから巫女がいるんじゃなくて、巫女が先だとしたら?」

「……どういうことだ?」

時々、菅野の言うことは俺の理解を越える時がある。

「龍神は巫女のいるところに居場所を移しているのかもしれない。実際、龍之介は伊坂くんの引っ越し先までついてきた」

「それは…、あいつが変なだけで」

「巫女が神に仕えるものだという固定観念に縛られ過ぎているのかも。もしかしたら、神が巫女に仕えてるのだとしたら」

「なんだよ、それ」

話が突飛すぎてついていけない。

龍之介は命の恩人だからって言っていたけど、それだって偶然としか思えない。

「巫女は普通の人間だろ。神じゃない」

「……そうか…。そうだね」

まるで自分に言い聞かせるように菅野は呟いた。

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