第8話
大学のB棟裏の池にいるヤバい奴に狙われてからは、龍之介が俺の傍から離れなくなった。
龍之介はご機嫌だが、俺はいつまたアイツが出てくるか分からなくて、ドキドキだ。
菅野と学食で昼飯を食べるのも、なんとなく習慣になった。
「まあ、今は龍之介もいるし伊坂くんに近づく事はできないよ」
簡単に言うけど、あの悍ましさは二度と経験したくない。
「そういえば、手を打つって言ってたけど、どうすんだ?」
菅野は蕎麦を食べていた手を止めた。
「裏山の朽ちた祠と池を再建してもらう事にしたんだ。それが出来たら、本来いた場所に戻ってもらおうと思って。それが一番いいはずだよ」
「え? おまえにそんな権力あんの?」
さらっと言うけど、そんな簡単な事じゃないだろ。
不審げな俺に、菅野は言ってなかったねとつけ加えた。
「あの裏山は、持ち主から相談を受けた後、父親が買い取ったんだよ」
は? なにそれ。
「…おまえ…お坊ちゃんなの?」
ぽかんと口を開けていると、菅野は少し気まずそうに言い足した。
「あの山は鬼門山って呼ばれてて、宅地にも出来ないし開拓も出来ない山なんだよ。地主さんも遺産相続で引き継いだものの、早く手放したかったみたいだったから二束三文で父親が引き受けたんだ。別に特別金持ちってわけじゃないよ」
へー、ふーん、そう。
「親にはなんて説明したんだよ。フツー、こんな話信じてくれないだろ?」
「まあ、そこは俺との信頼関係で」
どういうことだよ。
「本当は、大学の池は埋め立てちゃった方がいいんだけど、そこまでは手を出せないしね」
当たり前。そうなると、一介の学生が関わる範疇ではなくなってくる。説明も難しいし。
菅野は思案にくれるような表情になってるけど、そうそう上手くいくのかな。
あの黒い奴も龍神だというが、龍之介とは似ても似つかない禍々しい雰囲気だった。
素直に言う事聞くような感じはしなかったけどな。
「まあ、出来ることからやるしかないね。…龍之介は大丈夫?」
傍らに置いたバッグから顔を出したまま、うつらうつらと舟を漕いでいる。
龍之介は湖から離れていると体力を使うらしく、三日に一度は帰らないと力を保てない。けど、今回のこともあって、もう二週間は帰っていないのだ。
夜は大丈夫だから戻っていいと言っても、頑なに俺の傍から離れようとしないし。そのせいもあって、ここ2日は人の姿にもなっていない。
「一度、湖に戻った方がいいんだけどな…」
そう呟いた途端、龍之介の目がカッと開いた。
「俺は御幸の傍から離れないよ!」
常にこの調子だ。
鼻息荒い龍之介に、菅野が実家からもらってきたというミカンを剥いて渡すと、美味しそうに食べはじめた。
龍之介は離れないと言ったものの、やっぱり体力の限界がきているみたいだった。
大学でもバッグの中で眠っていることが多くなったので、湖に帰るよう説得することにした。
「やだよ。御幸を一人になんかできないよ」
そう言うけど、今の龍之介は30cmほどの身体しか維持できていない。そのうち消えてしまうんじゃないかと心配になる。
「菅野がいざという時は、おまえの力が必要だって言ってただろ。その時のために今は体調を万全にしておけよ」
それに明日からは試験期間に入るからB棟には近づかないし、菅野と同じ講義も多いのでコスガノもいる。
そう言うと龍之介の表情が曇った。
俺が菅野を頼るのが気に入らないらしいが、この状況では菅野だけが頼りだ。
少し考えた後、渋々と龍之介は頷いた。
「鱗を絶対手放さないでね。明日の夜には戻ってくるから」
そう言って、龍之介は力を振り絞るように人の姿にると、腰に手をまわしてきた。
「大丈夫だって。一日くらい、なんてことないだろ?」
あまりに不安そうな表情をするから、丸い頭をぽんぽんと叩くとキスを強請ってきたので、今日ぐらいはいいかと受け入れると、肉厚な唇に食まれ舌がするりと絡めとられる。抱き寄せられ、逃げる術を失ってされるがままだ。何度も角度をかえては深くなっていくキスに、頭がぼうっとし始めた頃にやっと解放された。
無骨な指が濡れた唇を拭う。
「御幸は自分が思っている以上に魅力的なんだよ。油断しないで」
「なに言ってんだよ」
笑うと少し寂し気な顔をしたので、思わず頬を触った。すると、ふにゃりといつものように笑って、こつんと額を触れあわせてきた。
「…好きだよ、御幸」
俺より体温の低い龍之介の肌が、キスで熱を持ってしまった身体には気持ちよくて、もう少し触れていたいと思った。
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