第7話


徒歩で10分。

アパートのドアを開けた途端、ドンっ、と人の姿の龍之介が抱きついてきた。

「御幸! しつこくしてゴメン! でも心配なんだよ、御幸は狙われやすいから! お願いだから、お守りはちゃんと持って行って!」

「龍之介…」

安心感から思わずホロリとしたとき、俺の肩越しに菅野を見た龍之介が声を荒げた。

「あっ、菅野くん! 御幸に何か変なことしてないよね!」

慌てて龍之介の口を塞いだ。人の姿の龍之介と菅野はまだ顔合わせをしていない。

まず、龍之介のことを説明しないと…、と思ったとき、背後の菅野がバッグの中からミカンを取り出し、にっこり笑って部屋の中にぽーんと放り投げた。

それを見た龍之介は一瞬で龍に戻り、ミカンを追って部屋の中に飛んで行く。

犬かよ。ホント柑橘類に目がないな。龍神としてのプライドはないのか。

呆れていると、菅野が後ろで笑う気配がした。

あれ?

「菅野…おまえ…」

「龍之介って言うんだ。あの龍神」

「見えて…るのか?」

龍の姿の龍之介を。

「最初からね」

そう言うと、戸惑う俺を部屋に押し上げた。

「ちゃんと話そうか」


テーブルの前に男二人。そしてネズミと龍。テーブルの上には菅野が持ってきたミカンがある。なんだこれ。

「おまえ、なんで龍之介が見えてるの言わなかったんだよ」

「伊坂くんが隠したがってるみたいだったからね」

龍之介を見ると、憮然とした表情だ。

菅野は、時折俺のバッグの中に龍之介が潜んでいるのに気づいていたんだ。一緒に買い物に行ったりもしたから、龍之介が柑橘類が好物だって事も知ってたわけだ。

龍之介も菅野に見られていることに、気づいていたらしい。

「なんだよ、お前ら。俺だけ知らなかったのかよ」

菅野を睨んでみるが、まったく気にした風もなく飄々としている。

それより、と菅野は俺に向き直った。

「えーと…お茶でも入れようか」

不穏な空気に立ち上がろうとした俺を菅野は目で押しとどめた。

「池には近づかないように言ったよね」

「池? あの気持ち悪い池のこと?」

龍之介が前のめりに聞いてきた。やっぱり、龍之介も何か気づいてたのか。

「好きで行ったんじゃねぇよ」

事の経緯を話すと、龍之介は菅野と視線を交わし不愉快そうな表情を見せた。

「やっぱり…御幸って目を付けられやすいんだね」

「あ? なんだよ、それ」

菅野も少し考えるようにコスガノを見つめている。コスガノは素知らぬ振りで俺の剥いたミカンを欲しそうにうろちょろとしてるけど。

「…大学の裏山には古い祠があるんだよ」

「え…?」

菅野が声を顰めて話し始めた。なに急に? 怖い話?

「もう、長いこと放置されている祠で何が祀られてたのか不明だったんだけど…。それが大学のあの池まで降りてきたのかもしれない」

「なんで、菅野がそんなこと知ってんだよ」

「俺の父親と裏山の持ち主が知り合いで、随分と前に相談を受けてるのを聞いたことがある」

「……おまえのお父さんって、何者?」

俺の問いには答えず、菅野は何か考え込んでいる。

「祀られてたんなら神様なんじゃねぇの?」

あの黒い手とぞっとするような声は神様なんて崇高な感じはしなかった。

「神様も長い間雑に扱われれば、変質するからね。伊坂くんを巫女にしようとしたのは、神の威厳を取り戻したかったのかも」

龍之介の目がカッと見開き、いきなり人の姿に変わった。

そのまま、俺を横から抱きしめると菅野に向かって言い放つ。

「御幸は俺のお嫁さんだから!」

「いや…俺、お前の嫁さんじゃねぇし」

俺の否定も龍之介は無視だ。

「あのお守りは御幸を守るものだし、鱗があれば俺はいつでも傍で守ることができる。変な奴に指一本触れさせないよ!」

「お守り?」

興奮気味の龍之介を制して、菅野が見たいというので、部屋に置いたままだった古いお守りを手渡した。

菅野は、なんの躊躇いもなく中を取り出す。

中には龍之介の鱗と、ばあちゃんにもらったときのまま古ぼけた小さな木の板が入っている。墨で何か書かれているが掠れてて読めない。

目を細めて菅野はじっと見つめていたが、丁寧にお守り袋の中に板と鱗を戻した。

「これ、いつから持ってるの?」

「え? 確か…小学校に上がる前かな」

5歳の時に原因不明の病気で俺は生死の境を彷徨った。その時にお祖母ちゃんがくれたんだ。

その後、何度か袋は作り直してくれたが中身はずっとそのままのはず。その時にはもう文字は掠れていて読めなかった。

菅野が龍之介に視線を向けた。

「龍之介は、このお守りのこと知ってるんだね?」

龍之介はバツが悪そうに視線を反らした。また、俺に何か隠してんのか。

「なんのことだよ。そのお守りってなんかあんのか?」

二人だけで通じ合ってんのは腹立つな。俺だけ除け者かよ。

俺の表情を見て、菅野が説明してくれた。

「これは、多分伊坂くんの家で代々受け継がれてきたお守りなんじゃないの? 掠れてるけど、巫女の文字も見えるから、伊坂くんは巫女の家系なんだね。それに『龍』の文字がある。龍神の札だ」

「え、そうなんだ?」

思わず龍之介の顔を見る。龍之介は視線を反らしたままだ。

だとしたら、先代の龍神か。村に帰してあげた女性にあげたものが、ばあちゃんにまで受け継がれていたのか。

「じゃあ、おまえが俺に執着してたのは俺が巫女の家系だからか」

ふいに、龍之介が俺に縋り付いてきた。

「俺は! 御幸が巫女の祖先だから好きになったんじゃないよ! 御幸が優しくて、見た目とは逆に繊細で泣き虫でちょっと抜けてるとこがあるけど、そこがまた可愛くて…」

「おい、やめろ!」

聞いてるこっちが恥ずかしいわ。

龍之介を引き剥がそうと格闘していると、菅野がコスガノにお守りを近づけて何か確認させていた。コスガノは匂いを嗅いで何かうなずくような仕草をしている。

「菅野…いったいおまえ、何者?」

なんか、神とか巫女とかに詳しいし、最初から何もかも見えてたんだよな。龍之介のこともコスガノのことも。

「なんで、俺に黙ってたんだよ。最初にあった時もコスガノのことも知らない振りしたろ!」

「だからコスガノってやめて。それに伊坂くんはネズミって言うけど、ネズミじゃないから」

「いや、どう見たってネズミだろ?」

龍之介に同意を求めたが、首をかしげている。

「御幸にはネズミに見えるの?」

「へ…?」

「俺には白い毛玉みたいなのが、ふわふわしているようにしか見えないんだけど」

菅野も頷いている。

菅野が言うには、コスガノは物心がついた頃からいつも近くにいたのだという。特に何をするというでもなく会話ができるわけでもない。

「たまに俺が危機的状況になったとき、なんとなく助けてくれてるような気がするけどね。ただ、ここへ来てから急に動きが活発になったんだよ。伊坂くんを気に入っちゃったみたいで、さっきも勝手についてっちゃったし」

守護霊みたいなもんかなぁ、となんでもないように言ってるけど、それ普通じゃないから。

「もう一度聞くけど、おまえ何者?」

「普通の大学生デス」

絶対、違うだろ。

何にせよ、と菅野が表情を引き締めた。

「あの池にいた奴は性質が悪そうだから十分気を付けて。お守りを肌身離さずに持って、龍之介と離れない方がいいよ」

横で龍之介も、うんうんと頷いている。こいつ、すっかり菅野に手名付けられてやがる。

「そうは言うけど、B棟での講義があるんだから近づかないわけにはいかねぇよ」

あんな怖い思いは二度とごめんだ。

「ずっとってわけじゃないよ。俺も手を考えるから」

「…なんとか出来んの?」

邪気のない顔でにこりと菅野は笑った。

なんか、おまえの方が怖いよ。

俺たちの遣り取りにまったく関心を示していなかったコスガノが、痺れを切らしたのか俺の手からミカンの実を奪っていった。


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