第6話
入学式を終えて1ヶ月が経とうとしていた。
この1ヶ月、龍之介と毎朝同じやりとりをしている。
今日もしがみついてくる龍之介を引き剥がすのに苦労した。
「なんで? 俺、大人しくしてるじゃん!」
「俺の気が散って仕方ないんだよ!」
確かに講義中はバッグの中で大人しくしてるが、教室を出た後、話しかけてくる同級生に対してやたら睨みを利かせたり、他の奴に聞こえないからって俺に話しかけてくるし、落ち着かないんだよ。
特に菅野と話してる時なんかは、バッグから顔出して聞き耳立ててるし、なんなんだよ。人の姿で紛れ込んでくれてたほうがまだマシ。
3日に1回は湖に帰らないと力が弱くなるって言ってたのに、最近はずっと俺にくっついたままだ。
「今日は、湖に帰れよ」
「やだ!」
子供か。
バッグを持とうとしたら、するりと中へ入り込んだ。
「おい!」
バッグの口を開いて龍之介を引きずり出したとき、ぽとりといつも持っているお守りが落ちた。
「あ…」
龍之介が慌てたような顔をした。
そうか。龍之介の鱗を持っていなければ、ついてこれないんじゃないか。
龍之介の顔を見ると、表情が固まっている。
俺はお守りをテーブルの上に置くと、バッグをひっつかんで玄関を飛び出した。
「御幸!」
悲痛な龍之介の声が聞こえたが、そのまま無視して鍵をかけた。
なんだ、最初からこうすればよかったんじゃないか。
2限目が終わり、学食の前で菅野と会うと、顔を合わせた途端。
「伊坂くん…今日はどうしたの?」
「え、何が?」
なんか、いつもと違うよ、と怪訝な表情で言う。
「そうか?」
龍之介がいなくて、いろいろ気を使わなくていいから気が緩んでるのかな。
菅野はそれ以上追求してこなかったけど、気をつけないと。
ビュッフェスタイルの学食は、昼時は人が多い。
菅野と向かい合って座って食べ始めると、白ネズミが俺のまわりをチョロチョロとし始めた。俺の皿の上のものに興味津々って感じだ。腹減ってるのかな。
このネズミは常に菅野の傍にいて、たまに俺の肩に乗ってきたりもしてくるから、だいぶ慣れた。
菅野に気づかれないようにチキンフリッターの付け合わせのコーンを差し出すと、両手で持って食べ始めた。かわいい。
白くてふわふわしてて食いしん坊。まるで菅野の分身みたいだな。小さい菅野。コスガノか。
龍之介みたいに喋らないから、近くにいても気にならないのもいい。
ふと龍之介の顔が浮かんで、少し胸が痛んだ。
今日はちょっと龍之介に冷たすぎたかもしれない。夕飯は、あいつの好きなものを作ってやろうかな。グレープフルーツも買って帰ろう。
食べる手が止まってしまったのに気づいたのか、コスガノが俺の指に触れてきた。赤い目がじっと俺を見ている。なんだよ、俺のこと心配してくれてんのか? 頭を撫でると気持ちよさそうに目を細める。そういうとこ、ちょっと龍之介にも似てるよおまえ。
「伊坂くん」
はっ、と顔を上げると菅野が何か言いたげに見ていた。
まずい。コスガノを構い過ぎた。菅野が何か言おうとした時、近づいてくる人がいた。
「ここ、いい?」
菅野と同時に視線を向けると、同じ学部の女子二人がトレイを持って立っていた。
「いいよ」
菅野が爽やかに応じる。相変わらず如才ないな。女子が座った途端急に賑やかになった。
彼女たちのとりとめのない話に相槌を打っていると、話題は二転三転してB棟の裏にある池の話になった。
あまり人が寄り付かず、木が生い茂っていて少し不気味なのだという。そのせいか、出るという噂もあるらしい。
「池の方から、夜遅くに変な声が聞こえてくるとか」
「私が聞いたのは、男子生徒らしき人が池に向かって歩いて行って、そのまま消えちゃったって」
ふたりは怯えるような素振りを見せながらも、どこか楽しんでいるようだ。
「学校あるあるだね」
にこやかに、けど冷静な菅野に、おもしろがっていた彼女達もちょっと鼻白んで話題を変えた。
菅野がこんなふうに話をぶった切るのは珍しいな。いつも、興味のない話題も穏やかに受け答えているのに。
「菅野は霊とか信じねぇの?」
彼女たちと別れて教室に向かいながら尋ねると、
「霊とかお化けなんていないと思うよ」
俺を一瞥してから、冷たい声で言い放つ菅野の顔は無表情だ。今日の菅野は妙にトゲトゲしている。いつも感情がフラットな奴なのに、どうしたんだろう。
「おまえ、意外と現実主義者なんだな」
「別にそういうわけじゃないけど…。俺は自分の目で見たものしか信じないだけだよ」
「もしかしてホラーは苦手とか?」
少し揶揄い口調で言うと、菅野は笑顔をつくって俺に視線を向けた。目が笑ってない。
「じゃあ例えば、ふたつの…寺があったとして、幽霊が出るという噂の寺とチンピラの溜まり場になっている寺、夜行くならどっち?」
何、その究極の選択。
「どっちもやだよ」
「俺なら幽霊の方だね。目に見えないものより人間の方がよっぽど怖いよ」
さあ、どっち? と詰め寄られた。表情のない菅野は、普段にこやかなだけに妙に凄みがあって怖い。
「…それなら…幽霊…かな」
幽霊も怖いけど。
ふうん、と菅野は俺を上から下まで眺めた。なんだよ。
「伊坂くんは、どっちも行かない方がいいと思うよ」
「おまっ…! おまえが、どっちか選べっつったんだろうが!」
「それより、今日は一緒に帰ろう。講義が終わったら図書館の前で落ち合うってことでいい?」
「え? あ…ああ」
有無を言わせない強引な口調に思わず頷くと、
「あ、それと、池には近づかないようにね」
と念を押された。じゃあ後で、と言いたいことだけ言って踵を返すと俺とは逆の棟へ足早に行ってしまった。
なんなんだよ。不気味な話をしやがって。
タイミング悪く、これから噂のB棟に行かないといけないっていうのに。
大教室の端に座ってノートを開くと、机の上にコスガノがちょこんと座っていた。
「なんだ、おまえ、ついてきちゃったのか?」
菅野のそばにいなくていいのかよ。言葉が通じるわけもなく、コスガノは小首を傾げている。
今日の菅野はちょっと変なんだよな。なんか、イライラしていた。あまり感情を表に出さない菅野にしては珍しい。
指を動かすとコスガノが楽しげに戯れて遊びだした。
さっきの池の話も気になる。龍之介も初めてB棟へ来た時に嫌な顔をしていたから、噂だけではないのかもしれない。
ま、近寄らなければいいんだよな。
講義が終わり、ノートをバッグに入れたとき、一つ開けた隣の席の男子学生が立ち上がった気配を感じた。
あれ? 隣に誰か座ってたっけ?
と視線を向けると、椅子の上にスマホがあった。
「おい、忘れてるぞ」
スマホを取って声をかけたが、背中を向けたまま教室から出て行ってしまった。
「ったく」
慌てて追いかける。
「待てって!」
何度、声をかけても振り返らない。聞こえてないのか。
階段を降りてB棟から出ると、思いのほか、外が暗くなっていた。
B棟を出て、男子学生の背中を追っているのにまったく距離が縮まらない。
そのときになって、初めて変だと気づいた。
俺は小走りで追っているのに対して、奴は普通に歩いているのに、これはおかしい。
足を止めて、まわりを見渡すと大勢いたはずの学生は誰もおらず、握っていたはずのスマホはいつのまにか消えていた。
ざわざわと葉が擦れる音がして、林の中に入り込んでいることがわかった。目の前には薄暗い大きな池。
後ろを振り返っても、自分がどうやってここまで来たのか分からないほどの暗闇と歪んだ道。
さすがに、これはやばい…気がする。
ふいに、頭を大きな手に握りこまれたような衝撃を感じた。
(やっと見つけた…巫女)
ぐわんぐわんと頭の中に響く嫌な声。巫女? 何言ってんだ。
ふらつく足をなんとか踏ん張って、足を前に出そうとしたとき、何かに足を掴まれて、倒れ込んだ。
「うぁっ!」
うつ伏せに倒れたまま、振り返ると右足首を黒い手が掴んでいた。
そのまま、池へと引きずり込まれそうになって、咄嗟に近くの木にしがみついたが、力が強くて持ってかれそうだ。もう、やばいと思ったとき、
チー!
可愛い鳴き声とともに、白いものが俺の足元に飛んできて、足を掴んでいる黒い手に噛み付いた。
「え、あ?」
つり上がった赤く光る目。猫くらいの大きさのそれは白い毛を逆立て、口元からのぞく鋭い牙で黒い手に嚙みついていた。
暗い池の方から、聞いたことのないような叫び声が聞こえた。それにかまわず白い獣は小さな手で黒い手を押さえつけて噛み付いては、首を振って食いちぎると、口の中の黒い肉片を吐き出して、また噛み付く。
あまりの恐怖とおぞましさに声も出ない。
まるで、あれだ。ノロイ。子供の頃アニメで見てトラウマになったヤツ。いや、あれはイタチか。主人公がネズミで悪役がイタチ。あれ、最終回ってどうなったんだっけ?
脳が目の前のものを拒否しているのか、現実逃避をしようとどうでもいい事ばかり頭に浮かぶ。
頭の中でぐるぐる考えている間に、黒い手は消え、怒りのオーラを発していた白い獣はみるみる小さくなり、見慣れた姿になった。
「あ…」
コスガノがちょこんと座って俺を見ている。
さっきまでの鋭い牙はなりを潜め、つり上がった赤い目も今はきらきらとさせて俺を見るばかり。まるで、褒めてと言わんばかりに。
「…お前、なんなの?」
可愛いふりしてるけど、さっきのお前だよな。
小首を傾げて、何もなかったみたいな顔するなよ。ちゃんと見てたんだからな。
小賢しく誤魔化そうとするとこも菅野そっくりだな。
「伊坂くん!」
茂った草むらを踏みしめて菅野が走り込んできた。もう、あの歪んだ道は消え、木々の向こうにB棟が見えている。
「あ…菅野」
「何してんの! 池には近づかないでって言ったでしょ!」
「俺だって、近づくつもりなんかなかったわ!」
気づいたら、いつのまにかここにいたんだ。俺だって訳分かんねぇよ。
「コスガノがいて助かったけど…」
足元を見ながら呟いた俺の言葉に、菅野が眉を寄せた。
「コスガノ? なにそれ。勝手に変な名前つけないでくれる?」
そう言うと、コスガノを掴んで、放り投げるように自分の肩に乗せた。
「え…? 菅野、おまえ」
見えてんの?
「おい、どういうことだよ!」
引き起こされながら抗議すると、菅野は急かすように腕を引いた。
「詳しいことは帰ってからにしよう。とにかく、ここから離れたい」
腕を引っ張りあげられたとき、足首に鋭い痛みが走った。
「いてっ」
「伊坂くん?」
菅野が跪いて、俺のデニムの裾を捲り上げると赤く指の跡が残っていた。
「ぎゃっ!」
気持ち悪っ。菅野の整った横顔がますます不愉快そうに歪んだ。今度は両手でゆっくりと俺を起こすと、肩を組み引きずるようにして歩き出す。
「こんなところに長居は無用だよ」
菅野の押し殺した声が怖くて、それ以上聞けなくなってしまった。
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