第4話

ばあちゃんの家から新幹線で1時間半ほどの大学に進学した。


アパートは学生専用で2階の端が俺の部屋。隣はまだ入居していないのだと大家さんから聞いた。

3日経って、荷物がやっと整理できたし、家の周囲も確認できた。

大学まで徒歩で15分ほどで、駅からは少し遠いけどその代わり緑は多い。古いけどキッチンは広めだし文句ない。

寝る準備をして灯りを消してから、テーブルの上に置いたお守り袋が光っているのに気付いた。

昔、ばあちゃんが作ってくれたお守り袋。中には神社の札らしきものと龍之介の鱗が入っている。鱗を取り出すと、暗闇の中できらきらと光っていた。

前からこんなに光ってたっけ?

ベッドに横たわって、鱗を見ていると龍之介のことを思い出した。

1年前、突然ばあちゃんが倒れて亡くなったとき、俺は誰にも言えない弱音を龍之介に吐いた。

(俺、山で暮らそうかな)

湖の近くに家でも建ててさ、と寂しい気持ちを紛わせるようとしたのだと思う。

いつも早く嫁に来てとか、一緒に暮らそうとかしつこく言っていた龍之介なのに、その時だけは何も言わなかった。

ただ、悲しそうな顔をして肩に頭をこすりつけると、きゅるきゅると歌うように鳴いた。それにつられて、俺はやっと涙を流すことができたんだ。

本心を曝け出せるのは龍之介だけだったのかな、俺。

今も本当はちょっと不安だし、寂しい。

普通の友達と違って、メールもLINEもできないし声も聞けない。

あ、なんか泣きそう。もうホームシックだなんて、早すぎるわ。

目尻をぞんざいに拭って、そのまま、お守りを握りしめて目を閉じた。


真夜中に身体に何かが圧し掛かるのを感じて、意識が浮上した。

疲れてんのかな。身体が動かない。金縛り?

目を開けたいけど、目の前に落ち武者とか立ってたらどうしよう。恐い。

うーん、うーんと唸っていると、唇に何かが触れた。

柔らかいものが押しつけられ、濡れたものが唇を割って入りこんでくる。

感触は初めてのものだが、この動きには覚えがある。

よく、龍之介がふいをついて唇を舐めてきた。それに似てる。

カッと目を見開いて、上に圧し掛かるものを突き飛ばした。

「ぎゃっ」

「てめぇ! ……あれ?」

ベッドの下に転がっているのは、俺と同じぐらいの背恰好の男だった。

黒い髪に少し垂れ目の愛嬌のある顔。

「痛いよぉ。ひどいよ、御幸」

「……誰?」

口調も声も龍之介だが、姿かたちが違う。

呆然としている俺に、男は起き上がると興奮気味に抱きついてきた。

「寂しかったよぉ」

頭が追い付いていかない俺は、されるがままにキスされ、押し倒されそうになって我に返った。慌てて、身体を押し返す。

「龍之介? なんだその姿…」

「俺、すごくない? 本当に御幸の所に来れるなんて思わなかった。人間の身体になるのも初めてだったけど、悪くないでしょ? 自分を褒めてあげたい!」

「おいっ! やめろ!」

腕を引き剥がそうしたが、なかなか強い力で離れない。ぎゅうぎゅうと抱きしめられて息が苦しい。

「俺のこと、呼んでくれたでしょ? 寂しいって、会いたいって思ってくれたんだよね?」

だから、俺、来たんだよ。

「は? なんのことだよ。てゆーか、真っ裸で抱きつくな!」


とりあえず下着とスウェットを着せてベッドの上で向かい合う。

「で? なに? おまえ、また俺を騙したのかよ」

「人聞きが悪いなぁ」

龍之介の言い分を信じるとしたら、こうだ。

鱗がお守りというのは、ホント。ただ、それは湖と持つ人とを繋ぐ役割もするのだという。

「昔は、恩返ししたい人や大切な人に渡してたんだって。それを通して危険を察知したら厄害から守ったりしてたらしいよ」

「ストーカーかよ」

「守るためだってば! それに、御幸が望まないと道は繋がらないから飛んでこれないし」

「別に、俺は…」

じっと見つめてくる龍之介から視線を逸らす。何で俺が後ろめたさを感じないといけないんだ。

龍之介はニコニコしながら、膝を進めて俺の手を取った。

「嬉しいよ。人の身体になる練習もすっごくしたんだ。御幸と並んで歩きたかったから」

「……え…?」

褒めて、と言わんばかりに顔を近づけてくるから思わず手でブロックした。

「えー? だめ? 好みの顔じゃなかった?」

「いや、好みとか言う以前に男同士だし」

根本的に間違ってるんだよ。

「でも、俺に会いたいって思ってくれたんだよね?」

ぐっ、と唇を噛む。それだけで龍之介には分かったみたいで、へらっと笑った。そんな表情は龍の時とあまり変わらない。

目の前に置いてあったお守りを手に取ると俺に握らせた。

「この鱗は、俺と繋がってる。それと共にあの湖とも繋がってるんだ」

「うん?」

「ちょっと里帰りしよっか。それ、ちゃんと持っててね」

「へ?」

あっ、と思った時には龍之介に抱き寄せられていた。

突き放そうとした時には身体が、ぐん、と浮き上がる感覚がして逆に龍之介にしがみつくしかない。しっかりとした腕に抱えられて足元が心もとない。

ふわふわとして宙に浮いている感じがする。

「目を開けても大丈夫だよ」

無意識に目を瞑っていたらしく、恐る恐る開く。

「#$%’&%’$!!!」

「御幸? どうしたの?」

言葉にならない声を上げた俺に龍之介が驚いてるけど、どうしたのじゃねぇよ。空に浮いてる。

足元、遥か下に町の灯りが見えている。月が近い。

「今日は月もキレイだよね。じゃ行こうか」

「行こうかって…」

身体が風を切って飛ぶ。町を見下ろしたまま、いくつもの山を越えて行く。

高い所は苦手だと言いたいが、もう声も出ない。必死に龍之介にしがみついているしかない。龍之介はなんか嬉しそうにしてるけど、後でぶん殴ってやる。

やがて見慣れた地形が見えてきた。

俺が18年間暮らした町だ。

見覚えのある広いグラウンドとH型の建物は高校だ。少し先にあるのは中学校、それから小学校。

そして、今はもう誰も住んでいない、ばあちゃんの家。当然、灯りはついていない。

ぎゅっ、と龍之介の腕を掴んだ。

龍之介の唇がこめかみに触れたが、何か言う余裕はない。歯を食いしばっていると、湖のある山の真上で留る。見下ろすと中央がぽっかりと開いていて、そこへ静かに降り立った。


「御幸に夜の湖を見てほしかったんだよ」

キレイでしょ? と少し得意げに龍之介が言った。

「ああ…」

夜の湖は初めてだ。

水面は静かに揺れて、ゆらゆらと月が映っている。

そうか、湖の真上は樹木がないから、月も太陽も丸見えなのか。ただでさえ、澄んで静かな水面は夜になるとさらに幻想的になる。

「……馬がいたら東山魁夷だ」

「え? なにそれ」

龍之介が首を傾げている。今度ポストカードを見せてやろう。

湖を前にして、ほうっと溜息が出た。人って綺麗なものを目の前にすると言葉が出ないんだな。龍之介はお構いなしに腰に手をまわして耳や頬に唇で触れてくるけど、好きにさせておいた。

時折、風が吹いて水面の月が崩れては、またゆらゆらと揺れる。いつまで見てても飽きない。

「気にいってくれた?」

「……ああ、ありがとう。連れて来てくれて」

へへ、と龍之介は笑い、そろそろ戻ろうかと腰にまわした手に力を入れてきた。

また空を飛ぶのか、と身構えると龍之介は俺を抱いたまま、湖に飛び込んだ。

「うっあっー……!」

身体が沈む感覚に意識が遠のいた。

絶対、後でぶっ飛ばす。



窓から差し込む光で目が覚めたとき、手にはしっかりとお守り袋を握りしめていた。

ベッドの上で身体を起こす。いつのまに眠ったんだろ。まわりを見回すが、龍之介の姿はない。

夢?

寂しくて、あんな夢を見たのか。恥ずかしいな。

でも、夜の湖はキレイだったな。

夜の山道は危険なので、いつも陽が暮れるまえに山を降りていたから夜の湖は知らない。今度、テントを持っていって一泊してみようか。龍之介がいれば、大丈夫かな。あ、でも虫はいるよな。それは嫌だな。

頭がスッキリしてきたたのでベッドから出ようと足を降ろしたとき、何かを踏んだ。

なんだ、と足元を見て思わず笑いが込み上げてきた。


そこには、俺のスウェットにくるまった小さな龍が眠っていた。

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