第2話
それから毎週オニギリを握って、龍神の元へ行くのが習慣になった。
湖はちょっと奥まったところにあるせいか、あまり人が寄り付かないせいもあって、一人だけの秘密基地感覚だった。
湖の周囲を探索して、古い祠の痕跡を見つけたので、見よう見まねで作りなおしてみると、意外とうまく出来た。様子を伺っていた龍神が、完成した祠のまわりを嬉しそうに何度もくるくると回るのを見ていると、俺までなんだか楽しい気分になる。
見慣れると、その姿は愛らしく見えてくるのが不思議だ。あまり迫力のない細い眼のせいかもしれない。
不思議なもんで、なんていうか、ペット感覚?っていうの。犬や猫に話しかけるように、親や友達に話せないことなんかを、ここでつらつら話すと少し気持ちが楽になった。
俺は母親を生まれてすぐ亡くしてたし、父親は単身赴任で家におらず、ばあちゃんと二人で暮らしていたから、ばあちゃんには心配かけたくないし、悩みを打ち明けられる人が身近にいなかったせいもある。
当然、龍神は意味が分かってないみたいで、ただ聞いてるふうな感じで横に並んでオニギリを食べて、たまに歌うようにきゅるきゅると鳴くだけだったけど、それだけで心が軽くなったんだ。
けれど、それも小学校を卒業するまでの話。
中学に入ると勉強も部活も忙しくなり、週一から週二になり、やがて1ヶ月以上訪れない日があった。
蔑ろにしたからといって、祟られたりはしないだろうけど、少し後ろめたく思いながら、その日は山を登った。
新緑の湖はやっぱり青く澄んで綺麗で、思わず見とれてしまう。
湖畔まで歩みを進めて気づく。なんか水位が上がってないか? 最近、雨、降ったっけ?
しげしげと湖面をみつめていた時だった。
水面が揺れたかと思うと、ざばーっと水飛沫があがり、巨大な龍の上半身が湖から飛び出した。光を反射して金色に輝く鬣と角。手の先にある鋭い爪が俺の方に向けられていた。
突然のことに、口を開けて見上げていると、ぎょろりとした金色の目と目が合った。
数秒、見つめ合っていたが、あ、という表情になったと思ったらしゅるしゅると縮んで、1mほどの大きさになると足元に縋りついてきた。
「ひどいよぉ! 忘れられたのかと思ったよぉ! なんで来てくれなかったの! 寂しかったよぉ!」
おいおいと泣きだし、涙が流れるのに連動して、湖の水位が上がっていく。
呆然と、脚にしがみついている、いつもと変わらない龍神を見下ろした。
え? え? 何がどうなってんだ。さっきのはなんだ。あれが、こいつの本当の姿なのか。
―――それに、人の言葉を喋ってる?
「……おまえ」
顎を持って上を向かせると、『あ、やばい』という顔をしていつものように、きゅるきゅると媚びるように鳴いた。
思わず首を掴んで持ち上げる。今更遅いわ。
「誤魔化してんじゃねぇよ! 喋れるのか?! いつからだ?」
「く、苦しい…」
「ざけんなよ! 今まで俺の話、分からない振りして聞いてたのか!」
理解できないと思って、あんな事やこんな事を安心して話してたってのに。
「だって、だって、喋ったら怖がられるかと思ってぇ!」
いろいろ話してくれるの嬉しかったし知りたかったし、と目をうるうるさせて訴えてくる。
「でも、俺の求婚受けてくれたんだから、それぐらいいいでしょ!」
「はあ? なんの話だよ」
「俺が渡したオニギリ、食べてくれたじゃん! なのに、恋バナ聞かされる俺の身にもなってよ。傷付いてたんだからね! それでも最後には俺のとこに戻って来てくれるって思ったから我慢してたんだよ!」
「うるせぇよ! 求婚って、なんだよ。そんなこと知るか!」
渡したものを食べたらOKの返事なんだよ、と言うけど、そんなの知らねぇし。
なんだよ、この痴話喧嘩みたいな会話。まるで、俺が女癖の悪いロクデナシみたいじゃないか。
ひどい、ひどい、と縋る細長い身体を振り切って、持ってきたオニギリの入った袋を目の前に置いた。
「もう、これっきりだ。二度と来ないからな!」
「え! なんで、待ってよ!」
そのまま、引きとめる声を無視して山の麓まで一気に走った。
なんだよ、騙しやがって。あんな奴に心許してた俺がバカみたいだ。俺の話を聞きながらきっと笑ってたんだ。誰にも話したことない悩みや秘密も話したのに。あんな、あんな奴に…聞いてほしくて。
あ、なんか涙出そう。
山を下りきったところで足を止めると、思いのほか息が上がって苦しい。
ほんとに一直線に走ってきたんだ。なんだか、悔しくて。
とぼとぼと歩きながら、時間を確認しようとスマホを取り出そうとしたが見当たらない。
デニムの後ポケットに入れてたはずなのに。走ってる途中で落としたのか。それとも湖のほとりであいつと揉み合った時に落としたか。買ってもらったばかりのスマホなのに。
「ああ、もう踏んだり蹴ったりだな」
もう取りに戻る気力はない。明日、出直すか。
家に帰ってから、ばあちゃんに龍神の嫁取りの話を聞いた。
「昔は村に災害が起こると、龍神様が怒っているといって供物を捧げる風習があったんだよ。その中には若い女性もいてね。その後は何事もなく平穏なんだけど、ある年数が立つと又、災害が起きるって具合で。人々の中では、龍神が次の女性を求めてるんじゃないかって事から、それが龍神の嫁取り話になっていったんだね」
「年数って、どれぐらいの期間なの」
「いろいろだったみたいだね。一年の時もあれば、何十年もの時もあったみたいだし。でも、基本的に龍神は情に厚くて女性に優しいとされてたのよ」
へえ、なんだよ、あいつだって女の人を取っ換え引っ換えしてたんじゃないかよ。
「その中で一年ほどで生きて帰ってきた女性がいてね。その人は龍神の巫女として祠をつくって龍神を祀ったと言われてるのよ。それがばあちゃんの先祖ね」
スマホを探して山道を歩きながら、昨日ばあちゃんに聞いた話を反芻していた。
考えてみたら、この山奥で一人で過ごすなんて寂しいよな。嫁のひとりも欲しいって思ってもおかしくないのか。だからって、俺がなる気はないけど。
スマホが見つからないまま、湖の近くまで来てしまった。
その時、脇の叢で何かがきらりと光ったのが見えた。茂った草を搔き分けると、あった。俺のスマホ。
拾おうと手を伸ばしたとき、向い側から緑の小さな手が出てきて、俺の手とスマホの間に滑り込んだ。
顔を上げると、金色の目と合った。無言で見つめ合い、奴がにやりと笑った…ような気がした。
「…てめぇ。手を離せよ」
「いやだ。俺のお嫁さんになるって約束するまで返さない」
そう言うと、スマホを抱えて湖に向かって走り出した。
「あ、待て!」
湖の淵で立ち止まって、振り返った。
「約束守ってくれないなら、このまま湖に飛び込むからね!」
なんだ、その脅しは。
スマホは防水仕様だけど、湖に沈んだらどうなるか分からない。
じりじりと距離を縮めながらリュックを差し出した。
「じゃあ取引しようぜ。ここにオニギリ持ってきてるから、それと交換だ」
少し気持ちが動いたのか考えるような素振りを見せた。
もうひと押し。
「今度、来る時には唐揚げと卵焼きも持ってきてやるよ」
「え、なにそれ。美味しいの?」
金色の目がキラリと光った。
手ごたえを感じて頷くと、ゆっくりと近寄ってきた。差し出されたスマホとリュックを交換する。
交渉成立。
隣で美味しそうにオニギリを食べる姿を横目に、スマホを確認する。
「おまえさぁ、お嫁さんって普通女の人だろ。なんで俺なんだよ」
きょとん、とした顔をして、
「だって、命の恩人だもん」
と、しれっと言った。
最初に会ったあの日、倒れていたのは山の中を散策してて湖から離れ過ぎたために、戻る体力が残って無かったからだという。
「ああ、このまま干からびちゃうのかな、と思ってたらオニギリが目の前にあってさ。美味しかったなぁ。その後も、御幸が投げ飛ばしてくれたから湖に戻れたんだよ」
なんだ、結果オーライだったのか。罪悪感持つ必要無かったな。
あれ? 『御幸』?
「…俺、名前言ったっけ?」
目を反らしたな。ぐいっと首を掴むと、いやいやと逃げようとした。
「ちょっとだけ。ちょっと見ただけだよ!」
「スマホか! ロックしてあったろ!」
「最初に持ってきた時に、嬉しそうに触ってたじゃん。それ見てたから…」
暗証番号を覚えたのか。油断も隙もない。どうりで電池が減ってるわけだ。
上目づかいにチラチラ見てる姿に呆れるやらおかしいやら。
「…ね、俺も名前欲しいなぁ」
「あ?」
龍神なのに、名前なんているのか?
「代替わりしたばっかで、名前まだないんだよ。先代は巫女さんにつけて貰ったんだってさ」
「先代?」
龍神の話はこうだ。
龍神にも寿命はある。だいたい1000年で代替わりをするらしく、つい数年前に先代から引き継いだという。
「へえ、巫女さんの話、本当だったんだ」
「悲しい話だよ。先代は生贄みたいにして湖に連れてこられた女性を好きになったんだけど、彼女には人として生きて欲しかったから村に帰したんだって。村に帰った彼女は湖のほとりに祠をつくって、彼女の祖先が代々龍神を祀ってくれてたって」
それがばあちゃんの先祖か。
「でも、それも100年以上前に途絶えたって」
そして、俺が生まれたの。
「御幸と会ったとき、まだ力の配分が上手く出来なくて生き倒れそうになっちゃったんだよね」
へへへ、と笑ってるけど、笑いごとじゃないだろ。まぬけ。
「ていうか、おまえ、俺より年下?」
「ん? そうなるの…かな?」
俺の目付きが変わったことに、じりじりと後ずさっている。なんだよ、龍神っていうから、下手に出て損した。威厳も何もないはずだ。
「で、先代の名前はなんだったんだ」
「ヨシヒコって言ってた」
「じゃあ、同じでいいだろ。ヨシヒコJr.」
「やだよ! 俺だけの名前が欲しい。御幸がつけてくれた名前で呼んでほしい!」
いろいろ注文が多いな。
ふたりでスマホを覗きこみ、なんだかんだあって、これがいいと言うので『龍之介』に決まった。
家路に着く頃には、腹が立っていたこともすっかり忘れ、次に来る時は唐揚げつくんなきゃ、と考えていた。
この後から俺は、お弁当を持って山に登るようになり、本当の意味で龍之介との交友が始まったんだ。
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