第10話 悪役令嬢の兄は未来を変える事を決意する


 待て待て待て!


 何故こうなった!?


 師匠と別れた後、俺は急いで自室へと戻っていた。


 シャーロットは勉強の時間という事で、俺に付けられた従者達を一応の護衛として付けてある。そんな状況で、またカシュミー達が何か仕掛けてくるというのもリスクが大きいだろう。


「まさか、こんなに早く出す事になるとは」


 ベッドの下。俺でも手が届かないような奥に隠した木箱を長剣の鞘を使って取り出す。


 木箱には厳重な鍵を付けてあるし、その鍵の番号は俺しか知らない。


 何処ぞのアダルティな本を仕舞うかのような隠し方だが、何も言うまい。隠せる場所がここしか無かったんだ。


 鍵を外し、木箱を開ければ、そこにあるのは一冊の本。


 というのも、俺がこの『四季の姫君』という乙女ゲームに転生してから真っ先にやったのが、状況の整理だった。


 ゲーム本編で何が起きるのか、何がきっかけとなったのか。その原因と結末まで記したのが、今俺が手に持つ本だ。


「まぁ、細部までは分からなかったんだが、それでも今後には十分役に立つはず」


 本を開き、そこに俺が約一週間前に記載した走り書きとメモを読み取っていく。


 と言っても、俺の知る事なんて妹の空が話した情報と空の熱に負けて、生前に少しだけプレイした『四季の姫君』で起こる大きな分岐点の場面しか知らない。


 だが、空が特に熱を入れていたシャーロットに関しての情報は耳に胼胝たこができる程聞かされていたので、スラスラと本に書くことが出来た。


 そこから自分なりの分析や考察をメモとして残したのだ。


 そう。これは言わば、この先の未来が書かれた本。


 これを誰かに見られる訳にはいかず、この本自体、この世に存在しては駄目なものだ。


 万が一、あの父や兄に見つかりでもしたらと考えただけで怖気が走る。


「っ! 早く内容を全て頭に叩き込んで、燃やさないと……っと、それよりも……」


 俺はすぐにゲーム内のシャーロットがどんな人生を歩んだのかを書いたページを見つけ出し、そこに目を通していく。


 シャーロット目線での物事の認識にはなるが、それでも見れば見るほどにシャーロットという少女の人生は悪意に満ちている。


 悪役令嬢ってのは、もっと我儘で権力を笠に着るような奴だと思っていた。だが、シャーロットはずっとこの世の全てに虐げられてきた者だ。


 初めて会ったあの時、自分以外の全てに怯える姿を見た。あんな子供があんな風になるまで怯えるなんて、余程の事だと思ったが、それと同時に幼い空の姿がシャーロットに重なって見えてしまった。


 妹の空が、シャーロットが暖かい料理を食べて嬉しそうに笑みを浮かべたイラストを可愛いと言った理由もシャーロットが推しだと言った理由も痛い程分かった。


「これじゃ、過去の空が言った言葉の意味を理解する為に用意されたみたいだな……」


 だとしたら、尚更俺はシャーロットを守る為に何をすべきかハッキリとしてくる。


「っても……」


 やはりと言っても良いが、ユリウス・アクアリウスが兄であるウォルター・アクアリウスに決闘を挑んだ記憶なんて無いし、その勝敗も無い。

 

「やっぱり見返しても書いて無いわなぁ……。それとも、俺が知らないだけか……?」


 しかし、仮にあったと仮定したとしても、その結末は容易に想像出来ると同時に、仮定した結末を脳裏に残るユリウスとしての記憶が裏付けていく。


 ゲーム内のユリウス・アクアリウスは常日頃から師匠———ノウルース・ヴァンヴェルトの辛い稽古から逃げ出していた。


 それは稽古自体が辛いものだったのもあるが、傲慢な父親や兄の背中を見て育ったユリウスには、女に何度も地面に叩き伏せられるのを持ち前のプライドが許さず、何よりの屈辱だと感じていたのだ。


 そんな毎日の中、互いに歳の近く、両親を亡くしてアクアリウス家へ引き取られたシャーロットに対して、ユリウスが支配欲とも呼べる感情を得て、彼女を気に掛けたとして。


 その関係を気に食わないと思うウォルターが先程のようにユリウスに決闘を申し込む。


「…………はぁ~……まさか、ここが分岐点とか言わないよな、神様よぉ……」


 負けたのだ。


 それもユリウスの幼い心をへし折り、生涯ウォルターに逆らわない従順な弟になる程の圧倒的な恐怖を植え付けた敗北として。


 子供にとって最大の恐怖は自分よりも大きな相手からの止まない悪意と暴力だ。


 タダでさえ稽古をサボ続けていたユリウスにウォルターが馬乗りでもしたら、もう勝ち目など無かっただろう。


 ……期日は残り二日。


 それまでに、ウォルターに勝つ策を練らないといけない。


「ゲームの内容を知っている俺がいる事で、シャーロットの悲惨な運命を変える。それは俺がやらなくちゃいけない事だ。だが、」


 俺が一番危惧しているのは――


「俺がシャーロットに関わった事で変わってしまう未来、か」


 本に書かれているのはあくまでもゲームの中の話だ。その中に俺の意思は存在しない。


 ましてや、ゲーム本編が始まるのは現在から約10年後――主人公が転入してくる学園での出来事だ。この先の10年間で起こる事や学園から先で起ころうとしている事に俺が逐一介入していけば、それこそ何が起こるか分からない。


 まだゲームの本編に関わる大きな問題を起こしていないからこそ、分かる未来がある。


 だが、俺がやろうとしているのは、その確定した未来を自らの手で不透明にする行為だ。未来が分かっているからこその安心感や危機感がある。それが無くなる事での何が起こるか分からない恐怖。ましてや、それが俺一人に関わる事なら良い。


「……空」


 俺がシャーロットを救いたいと願った事で、俺と同じく転生しているかもしれない最愛の妹をまた死なせてしまうかもしれない。


 それだけは何としても止めなくちゃいけない。


「っ!」 


 トラックに当たる衝撃も。空の悲鳴も。しがみついた暖かさも。身体が凍ったように動かなくなった冷たさも。


 兄として守るべき対象が腕の中に居ながら何も出来なかった無力感も全て。全てが、俺の心に熱を上げて焼き付いている。


 押し上がった胃酸を何とか堪え、ゆっくりと息を吐き出す。


 そして、最後のページを捲る。


「幸いにもこの世界には身体を鍛えるだけじゃなく魔力だとかいうものもある。つまりは、もっと強くなれる可能性があるって事だ。そして、俺はこの世界をあまりに知らなさすぎる」


 シャーロットが学園に行く事で必ず会う事になる四季の御曹司共。


 そして、ゲームの本当の主人公。


 傍から見ても、チート盛り沢山のラスボスにまでなったシャーロットを倒す程の力を付ける主人公達全員に勝つ力がいる。


 それも、最悪を考えるなら全員を相手にして勝てる力だ。


 全員が仲良く譲り合って一人ずつ戦ってくれるような幸運は間違いなく無い。


「シャーロットを超える力か……そんなもの俺にあるのか……? 今だって、師匠に手も足も出ないのに……」


 師匠が言うには俺があと10年経てばどうなるか分からないと言ったが、それは副団長としての今の実力ならば、だ。


 遅い。


 今のままでは、間違いなく遅い。遅すぎる程だ。


 学園に入るまで9年。そして、その1年後に主人公が転入してくるとしても、残された時間は少ない。


 なにせ、あとたった10年でラスボスにも勝てる力を持つ事になる主人公達を纏めて凌駕する力を身に付けなければならない。


 一国の副団長と互角に戦える程度では弱すぎる。


 しかし、越えなければならない壁はあまりに高いのも事実。


「どう考えても無理ゲー過ぎる……でも、このままだとバッドエンド不可避だろ? はぁ~~……」


 漫画の主人公達はいつだってキラキラしていた。


 それこそ、どんな困難を前にしてもただ真っ直ぐに前だけを向いて、やるべきことに対して愚直に立ち向かっていく。


 時には身体に傷を負い、精神を擦り減らし、ボロボロになってさえも前を向く。


「でも、俺は違う」


 俺に言わせてもらえば、自己犠牲も甚だしい。


 そんな事をせずとも数の暴力で相手を潰せば良い。相手を悪と定め、情報を支配し、どんな手を使って犠牲を出したとしても相手を徹底的に追い詰めれば良い。


 しかし、そんな事が出来るのは自分が善であり、それを行う事で世の中に利を得る人が増えるからだ。


「俺は主人公なんかじゃない。まぁ、主人公ってガラでもないけどさ……未来、世界を滅ぼそうとする妹を助けてやりたいと願う兄。ただ、それだけなんだけどなぁ……」


 どうやったとしても最終的な結末が集束するのなら、アクアリウス家に転生した俺や妹のシャーロットは悪と認識されるのだろう。


 だったら、この家がやっている事も、そして未来も。全て、根本から変える必要がある。


 この作品が好きだった空には申し訳ないが、俺はわざわざ開発者が敷いたレールの上を通ってやる義理も無い。


 元々、未来なんて知らないからこそ対策を考える訳だし。最終的に未来を変えるのであれば、それを元に行動を行えば良い。


 窓から入り込んだ風で捲られた、最後のページに大きく書かれた俺の目標。



『とりま、最強を目指す! 使える手はなんでも使う! そして、妹達が無事に暮らせる土地を作る!!』



 側から見たら、不格好でダサい厨二病丸出しの文だが。


「何故かしっくりと来るんだよな」


 本を閉じて窓際に立ち、涼しい風が入り込む中で腕を頭上に上げ、背をグッと伸ばす。


「休んでる暇なんて無さそうだ……っと、よし」


 すると、憂鬱な気分なんて不思議と鳴りを潜め、自然とやる気だけが満ちていく。


 それに、アクアリウス家は腐っても伯爵家だ。


 自分が強くなれば、生前は叶わなかった可愛いお嫁さんも出来るかもしれない。何せ、この世界にはお姫様だって存在する。


 もしかしたら、生前読んだ力や知識を用いての無双だって実現出来るかもしれない。


「〜〜っ!!」


 そう考えれば、未来に少しでも期待だって沸く。何しろ、元はそういうカルチャーに興味津々の男子高校生なんだ。仕方ないじゃ無いか。


「だったら、猶更ウォルター如きに負けてるわけにはいかなくなったな」



 再度、剣術の練習でもしようかと中庭へ視線を向けたところで、扉が数回ノックする音が鳴った。



 ん? 誰だ?


 本と木箱を元に戻し、扉へと向かう。


 どうせ、シャーロットが勉強を終えて戻ってきたとかそんなんだろう。にしては早いような……まぁ、そういう時もあるか。


「はいはい、どうしたん――」


 そんな風に楽観的に考え、扉を開けた。


「だ?」


 扉がゆっくりと開かれ、徐々に開く隙間から見えたのは腰まで伸びた長い黒髪と赤いドレスに、紅色の赤い瞳。



 まるで睨み付けるような瞳を向けた姉――シトラス・アクアリウスが立っており。



 腰に携えた長剣が引き抜かれたと思ったら、剣身は視界から消えていた。


 一瞬で振り抜かれた鋭く速い一閃は、壁を紙でも斬るかのように易々と切り裂いて俺の首元で止まる。


「…………ぇ」


 キーンと耳元で金属音が鳴り、首に生暖かい液体が鎖骨を通っていく感覚がはっきりと分かった。


 背筋が凍る殺気と血の生暖かさが俺の脳を埋め尽くしていく。



「やっぱり」



 一言は、あまりにも長く感じられた。


 真っ直ぐに見た姉の瞳は細められ、まるで異物を見るかのように嫌悪感だけが残っていて————、



「あんた、ユリウスじゃないでしょ?」



「なん、で……」



 その瞬間、俺の視界はまるで木から落ちていく林檎のように視界が揺れながら、噴水のように血を吹き出す自分の身体と冷徹な瞳で此方を見る、剣を振り抜いたシトラスを見上げていた。

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乙女ゲームのラスボス悪役令嬢の兄に転生した俺ですが、聖女と悪役令嬢の妹達に付き纏われるようになりました! FuMIZucAt @FuMIZucAt

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