第9話 兄には譲れないモノの為があるんだぁッ!!


「頼み?」


 ウォルター・アクアリウス。


 アクアリウス家の長兄にして、次期アクアリウス家当主になるのも時間の問題である彼は伯爵家という、貴族の中でもある程度権力を持つ力で悪い噂を作り出した張本人でもある。


 それこそ、ユリウスの記憶には自身が囲う下級貴族達や何処から集めたのか、見覚えの無い顔立ちの男達で陰で平民を執拗に虐める様子もあった。


 加えて、先のシャーロットへの行動の元凶と言っても良い男。


 だからこそ、シャーロットには合わせたくなかったってのにッ。


「あぁ、何もそう難しい事じゃない。お前が許可してくれればそれで良いんだ」


 何故こうも頼みを聞いてくれと言ってるくせに、その顔はこうも悪辣なのか。


 もっとどうにかならなかったのか、コイツ。


「それはそうと、珍しいですね。ウォルター兄様がこんな所に来るなんて」


 このままでは頼みを聞かされると思った俺は、すぐに話題を逸らしてみる。心では悪態をつきながらも、顔では平然を装う態度は前世で慣れたものだ。


「は? 俺が何処に行こうがお前には関係ないだろ」


 どうやら、話題を逸らす事は失敗したようだ。


 そんな、何言ってんだお前みたいな視線を向けなくても良いじゃないか。


「……で? 僕に何の用ですか?」

「なんだ? お前ごときが妹の前では既に格好付けたい兄貴ずらをしてるのか? まぁいい。何、そう難しい事じゃない。ただ、俺が目を離した隙にコイツらが妹にちょっとした食い違いを起こしたって言うじゃないか。だから、許してもらえねぇかと思ってな」

「それ、本気で言ってんのか?」


 コイツは知っているのか?


 お前の言う「ちょっとした食い違い」の中に、シャーロットに向けられた敵意の眼差しと中傷の笑い声、投げ掛けられた卑劣な言葉の数々が含まれている事を。


 俺がシャーロットになりすまなかったら、俺にやられた事がシャーロットの日常になる所だったんだぞッ!!


 血が出るのではと思う程に強く握り締める拳を振り上げられたのなら、どれだけ良いか。


 けれど、今のままでは俺に勝ち目は無い事は分かってる。


「食い違いだからって、やって良い事と悪い事があるだろうが」


 しかし、怒りに昂った感情はそんな言葉を吐き捨てた。


「おい、ユリウス。お前、言葉には気を付けろよ?」


 ウォルターの怒りに染まった瞳を真正面から見ては、「ッ!」と息を小さく吐きながら思わず足を後退させようとした。


 人の怒りの感情を直に浴びた事で俺は僅かに恐れたのだ。


 俺が僅かに臆したのが分かったのだろう。


 ウォルターが連れてきたカシュミー達が勝ち誇った笑みをウォルターの後ろで浮かべ―――――、



 シャーロットの手がぎゅっと服を僅かに引っ張った事で俺は引きそうになった足を踏み留めた。



「!? っ!」


 ウォルターが近づいて来る前にシャーロットを俺の後ろに隠したが、今になってシャーロットが俺を強く抱きしめ、ふるふると震える恐怖が背中越しに伝わってくる。


 そりゃそうだろう。何せ、目の前に居るのはシャーロットを虐めていた奴らだ。怖いに決まってる。


 シャーロットが一番怖いんだ。


 ここで俺がしちゃいけないのは、此処で目線も足も引くことじゃない。


 妹の、シャーロットの恐怖を増幅させて不安にさせる。それだけは絶対にやっちゃいけない事だ!


「…………」

「なんだ? 何か言ったらどうなんだ、ユリウス。次期伯爵の俺に楯突いて良いことがあるとでも思ってんのか? 謝るなら、許してやらんことはないぞ?」


 そっと背筋を張り、シャーロットにだけ聞こえる声で「大丈夫、お兄ちゃんがいるからな」と小さく呟く。


「だが、そうだな。ここで、地面に両膝を付いて謝れ」


 それに、記憶は曖昧だが、前世で読んでいた漫画に書いてあったからな!


 兄貴は死んでも妹弟を守って愛情を注ぐから兄なんだって!


 そんな事が書いてあったような気がする! ……多分!


 いや、んな事はどうでも良いんだ。


 俺はシャーロットの兄として、妹に情けない兄の姿を見せるわけにはいかねぇんだよ!


「はッ、女遊びと弱い者虐めにご執心な兄に何を謝れと?」


 だからこそ、こんな言葉を吐くのだ。


 ウォルターの矛先がシャーロットから俺に向かう様に。


「あ?」


 直後、ウォルターが怒りの形相でゆっくりと足を進め、徐々に速度を上げると、飛び込むようにして駆けて来ては固く握り締めた拳を振り上げた。


 体格差は圧倒的にウォルターの方が上。


 八歳の身体ではまだ身体の成長がまだまだ完全じゃない。


 だからとはいえ、ここで引くわけには行かない!


「ッ!!」


 咄嗟に先程まで師匠と使っていた長剣の柄を掴み、目の前で受け流す事を念頭に置きつつ斜めに構えた直後、



「そこまで!!」



 ウォルターの拳が俺に当たる寸前でその拳は真っ赤に燃え盛る紅色の鞘によって受け止められた。


「し、師匠!?」

「ヴァンヴェルトッ!」


 俺とウォルターの間に入り込んだのは、俺が師匠と慕い、帝国騎士団王の剣ロイヤル・ナイツ副隊長として有名な炎の騎士―――――ノウルース・ヴァンヴェルトだった。

  

「ウォルター様、これはどういう事でしょうか?」

「ッ、お前は黙っていろ! これは伯爵家の問題だ!」

「ですが、こうも私の前で行うのは介入しろと言っているようなものだと思いますが?」

「国の犬風情が出しゃばるなっ!」

「それは、私の母とウォルター様の母上であるナタリー・アクアリウス様に意見を申し上げる事になります。それとも、王の剣ロイヤル・ナイツを筆頭とした五つの騎士団を作り出した帝国に対しての言葉でしょうか? もし、そうであるならば、ウォルター様であろうと王家の侮辱に当たると知っての―――――」

「ッ!! ……い、いや、そういうつもりじゃない」

「そうですか、ならば良かったです。もし言ったのであれば侮辱罪で捕まえる事になりましたから」

 

 スッと細めていた瞳を柔らかく崩して微笑む師匠は、誰よりも頼もしく、怖い。


 その瞳はまるで「次は無いぞ」と言っているようだ。

 

 それにウォルターは知らないのだろうか?


 昔は対等だったのかもしれないが、今ではヴァンヴェルト伯爵家とアクアリウス伯爵家には明確な差が生まれている。


 何せ、ヴァンヴェルト伯爵家から騎士団最上位の王の剣ロイヤル・ナイツの副隊長にまで上り詰めた師匠は結婚適齢期に加えて、未だ独身。


 貴族としての地位も個人の箔も十分にある。


 そんな彼女には数多くの独身貴族からアプローチを受けているだろう。その中には、伯爵家より位の高い貴族だって勿論ある筈だ。


 そして、貴族の情報網ではアクアリウス家とヴァンヴェルト家が親身にしているのは簡単に分かるだろう。


 此処で問題なんか起こせば間違いなく貴族達の目敏い目線は俺達に向き、後に社交界に出るシャーロットの妨げとなる可能性が大いにある。


 あの有名な騎士を輩出したヴァンヴェルト家と確執が出来た愚かな伯爵家と。


 それだけは駄目だ! シャーロットには煌びやかな社交界で楽しんでもらわないといけないのに!


「とはいえ、私も此処で問題を大きくする事を望んでは居ません。ですので、これでこの話は終わりにしましょう」


 師匠には俺の考えが分かっていたのだろうか?


 不安げな表情を表に出した覚えは無いのだが、師匠は俺をチラリと見ると、意地悪げに微笑む。


 そして、艶々とした口元でほっそりとした人差し指を当てた。


 元が美人なだけあって、その破壊力は凄まじいものがある。本人には言わないが、間違いなく日本では女優やモデルは出来ると言える美貌だ。


 つまりだ。


「ヤバい、惚れそ—————ッァ!?」


 な、なんだ!?


 今、背筋を何かが這うような寒気がした! ……き、気のせい、だよな?


「それよりも、ウォルター様は何か最初に言いかけてた事があったみたいですが、良いのですか? 言わなくて」


 俺としたらなんとか避けたい話題だったが、やっぱりこれをどうにかするしかないらしい。


 避けたかった理由? そんなの決まってる。


 何か嫌な予感がする、こういう時に限って俺の勘は百発百中位に良く当たるからだ。


「チッ、その隠れてる我が妹に言え。ありがたい事に、これからお前の従者はコイツらが再度やってくれるそうだ。それと、ユリウス。お前、いい加減邪魔だから金輪際近づくな」


 誰も彼も、人生一度は相手が喋った内容に怒りを通り越して頭が真っ白になる事があると思う。


 ムカついて、言いたい事が湯水の如く湧き出る癖に、言葉にする事が出来ない。


 けれど、俺がわなわなと怒りに震える感情を口に出そうとしたその時、



「わ、私は! 私は、ユリウス兄様と一緒に居ます! その人達はいりませんっ!!」



 ぎゅっと小さな手のひらで服を一握りしたのだろう。僅かに引っ張られるような感覚の後、可愛らしくも力強い、シャーロットの張り上げた声が怒りに震えていた言葉を飲み込ませた。


 後ろから抱きつくようにしてシャーロットがウォルターに向けて離れる気はさらさら無いと態度で示す。


 そんな、シャーロットの暖かな体温を背中で感じながら俺は、恐怖に震えていたシャーロットが自分の意見を言った事に酷く感動しては、サラサラの頭を撫で回して愛でたい衝動を必死に抑え込んでいた。


「どいつもコイツも、なんで俺の言う事が聞けねぇんだッ! 次期伯爵の俺の言う事を黙って聞いとけば良いんだよ、お前らは! それを、シトラスといい、お前らといい!!」


 大声で怒りの声を上げるウォルターだが、さっきまで震えていた身体が嘘みたいに静まったのは、きっと今のこの瞬間に俺が目の前の男を兄とも家族とも思えなくなったからだ。


 けれど、そんな悶々とした言葉にし難い感情は、「兄様、どうしましょう。思わず言ってしまいました……」と上目遣いで頬を朱色に染めた頬を両手でで押さえては、恐る恐る呟いた天使の顔によって、核兵器並みの爆撃を受けたが如く木っ端微塵に吹き飛ばされた。


 はぁ〜! ヤバい、可愛すぎる! 天使だ! 俺の後ろに天使がいる!


「だったら、ユリウス! お前が説得しろ!」


 あっ、そうだ! さっきまで俺と師匠の訓練で暇だっただろうし、後で蜂蜜ミルクを作ってあげよう! 蜂蜜をたっぷり入れた温かなミルクを喜んでくれると良いんだが。


「おい、聞いてるのか!? ユリウス!!」


 それに、先日のチンピラ風の男達に絡まれてシャーロットに選んだ服を見れてないし、着てもらうのも良いかもしれない!


「チッ! お前が此処までそいつの事を気に入ってるとはな。だったら、二日後に俺とユリウス、お前だけで決闘を行う。逃げるなよ?」


 知識のない俺だが、出来るだけシャーロットが可愛く見える服を選んだ筈だ。しかも、シャーロットと店員で決めた服もあるようだし、見せてくれるのが楽しみすぎるな!!


 俺はいつの間にか、シャーロットのあまりの可愛さに現実逃避していたのだろうか。


 「兄様、兄様。大丈夫ですか?」と俺の顔を覗き込むようにしてシャーロットの瞳が合った事で俺は意識を浮上させる。


「あれ、ウォルターは何処に……まさか、逃げたのか?」


 なんか、途中で男のうざったらしい高笑いが聞こえたような気がしたが……?


「ユリウス様、まさか聞いてなかった……とか?」

「い、いや? そんな事はないですよ!」

「ですよね! 流石に私の一番弟子であるユリウス様と言えど、そんな事ある筈が無いですよね!」

「あ、あぁ! 勿論! そんな事あるわけ、ないじゃ無いですか!」

「じゃあ、ウォルター様の言っていた事は受けると言う事ですか?」


 ウォルターが言ってた事?


 シャーロットにウォルターの従者を付けるっていうのは否定してるし…………、何のことだ?


「兄様! 頑張ってください!」

「お、おう? ……頑張る? 何を?」


 シャーロットの期待に満ちた瞳で言われては頑張るしか無いが、何を頑張るのかが分かってない。


 まぁ、そう大したことでも無いだろう。


 そう、楽観的に考えていた俺はようやく知る事になる。


「ウォルター兄様とユリウス兄様の決闘、私はユリウス兄様を全力で応援しますから!」


 何故、いつの間に。そんな問いの答えは決まってる。


 俺が今後の妄想にかまけていたあの時しかない!


「……決闘? はぁっ!?」


 俺のあまりに情けない声が屋敷に大きく響いた瞬間だった。

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