第一章 転生したら悪役令嬢の兄だった

第1話 俺、悪役令嬢の兄に転生する


 夏の蒸し暑い地獄のような高校の補講の後、俺がヘトヘトになって玄関の扉を開けると、『あぁーーーー!!』と妹である桜淵さくらぶちそらの奇怪な叫び声が聞こえてきた。


「おーい、どうしたー? 妹よー」


 どうせまた下らない内容だとは思うが、一応棒読みの質問をして台所の麦茶をコップに注いでから飲んでいると、何やらドタドタと暴れる音が聞こえてきた。


 そして、バタンッ!と扉を荒々しく開けると、我が家の我儘お姫様が。


ぃーー、大変だよ! 一大事だよぉ! 重大事件だよぉぉっ!!」

「あ〜、うるさいうるさい。それで、何が大変なんだよ?」

「シャーロットが死んじゃったぁっ!」

「…………いや、誰だよ。俺、全く知らねぇんだけど」

「だから、シャーロットだってば! シャーロット・アクアリウス! 前に、一から全部教えたじゃんかぁ!」


 半ば涙目になっている妹にガクンガクンと肩を振られる中、俺は記憶の片隅に追いやられていたそれを引っ張り出して、ようやく妹———空が何を言っているのかを理解した。


 『シャーロット・アクアリウス』とは、妹がハマってやってる乙女ゲームに出てくる悪役令嬢だ。


 なんでも、空に言わせると主人公に仕掛けられた数々の悪事の責任を全て主人公が気に入らなかった他の令嬢から押し付けられ、元々愛など何も無かった家族にも見捨てられる。


 唯一、盲目的に愛していた婚約者はシャーロットの事に終始興味を示すどころか、主人公を虐める彼女を罵倒した上で無視し続け、主人公との婚約とシャーロットの婚約破棄で全てを失い闇落ち。


 全てに絶望したシャーロットが立ちはだかる最終盤では主人公カップルへ一発当たれば即死レベルの闇魔法を使うシリーズ屈指の最強の敵となる—————超絶可愛い最推しなんだとか。


 何故そこでそうなるのかは妹の事ながら、よく分からん。


 『推ししか勝たん! むしろ、推しの場面を増やしてー!!』とは妹の言葉だ。


「で、その悪役令嬢さんが死ぬって? そりゃ、敵なんだから追放なり処刑なりされるんじゃねぇの?」

「違うんだよ! 隠しルートとか外伝も含めた全ルートを五回やったけど、やっぱり全てバッドエンドだったんだよぉ!」

「うわー、バッドエンド不可避。詰みじゃん」


 内心、全ルートで死ぬって相当恨み深いなと思いつつも、冷凍庫の扉を開ける。


「あれ、アイスってもう無いっけ? うっわ、最悪だ。帰る時に買って来れば良かった」

「ちょっと、兄ぃ聞いてる!?」


 頬を膨らませて抗議する空を横目にアイスを探すが、やっぱり無い。こんな暑い日には冷房の効いた部屋でアイスを食べないとやってられないと言うのに。


 我慢すれば良いのだが、こんな溶けそうな暑さには流石に勝てずに身体がアイスを欲している。


「はいはい、聞いてる聞いてる。って事でちょっと、アイス買ってくるわ」

「えっ、出掛けるの? なら、私も行く! 準備するからちょっと待ってて! 置いてかないでよ!?」

「はいはい。あと、自分で出すんだぞ?」

「けちー! でも、良いもんねー。策があるから!」

「は? 策?」

「内緒ー! にひひっ♪」


 そうして、真夏の日差しの中だというのに、何故か満面の笑みを浮かべる空と共に近くにある大型スーパーへと直行した。


 何十種もあるアイスだが、予備の分も合わせて三つカゴに入れて会計をしていると、空が背後から「あっ、これも良いですか!」と店員さんに渡し、通してしまったもんだから隠の気質のある俺は断る事が出来ず、泣く泣くお金を出す事になってしまったとさ。


「やったー! ありがと、兄ぃ♪ ひゃー、冷たいっ!」


 だが、まぁ。


 空が嬉しそうに笑ってるし、「次からはお前が出せよ?」と言っておくだけで勘弁しておこう。


 みんみんと元気良く鳴いているせみの側を通りながら、ガリ○リ君らしき物を食べては「やっぱりあづぃぃぃー」と零している妹を車道から歩行側へ寄せる。


「ありがと、兄ぃ♪」

「さてな。ほら、それよりもシャーロットが何だって?」

「えっと、シャーロットの幼少期って両親と過ごしてたんだけど、事故で亡くなっちゃって。そこから後見人として叔父のアクアリウス伯爵に引き取られるんだけど、そこでも兄達やメイドから散々虐待を受けて育つの。あっ、でもね!」


 はっと何かに気付いてはスマホを取り出し、妹のシャーロット推しフォルダ1を俺にずいっと見せた。


 ……のだが、さっき俺の名前の横に76って書いてあった何かが見えたような……見間違いか。


「学園に通う為に伯爵家から寮に入ったことでね、良かった事もあるんだよ! アクアリウス家の別邸に居た時は良くても冷めたスープと湿気ったパンしか食べれなかったけど、寮の食堂で出た暖かな料理を食べたこの表情が本当に可愛いの!」


 画面には驚いた様子でちまちまと少しでも無くならないようにと食べるシャーロットの挿絵が描かれていた。


 描いた絵師もこのシーンが好きだったのだろう。


 髪色と同じ猫耳とユラユラと揺らめく尻尾が生き生きと描かれたシャーロットの可愛さを倍増させている。


「へぇ、これが悪役ね〜。どっかのお姫様でもやっていけそうな程には確かに可愛いけどな」

「でしょ? 私の推しだからね~……でも、兄ぃに可愛いとか言っても良いのは妹の私だけなんだから、他の人には言わないでよ? 周囲の女の子達に気持ち悪いって引かれちゃうよ?」

「うぐっ、そんな心配しなくても相手がそもそもいねぇっての。あぁ〜、俺の青春っていつ来るんだろ? もう高校二年だぞ?」

「…………いらないよ、そんなもの」

「空? 何か言ったか?」

「なんでも〜! ほら、それよりも今度はあっち面白そうだから行こ♪」


 何故かは知らないが、空は昔から俺が他の女性を褒めると途端に表情が変わる。


 中学に入ってばかりの頃なんかは俺のスマホに女子の名前があるだけで問い詰められては泣かれたものだが、今では冴えない男子生徒の一人になり、いつしか喋りかけてくる女子も居なくなった。


 とはいえ、いつになっても兄離れが出来ずに嫉妬してしまう所もとても可愛く思えてしまうのは友人曰く、俺が施しようが無い程の重度のシスコンだかららしい。


 俺の腕に手を絡め、前へと引っ張っていく妹のサラサラの黒髪を眺めつつ、チラリと見た顔が満面の笑みだったのには不覚にも笑いそうになったのを堪えた。


 平日の昼間だが、都会の大通りになれば少なからず学生カップルの姿もチラホラと見え始めた時、「ねぇ、……兄ぃも結婚したいとか考えるの?」と空がどこか不安気な声で聞いてきた事で俺は視線を妹へ戻す。


 どうやら、俺が結婚したら自分は一人になるんじゃないかと思ったらしい。


「さてな〜。俺まだ高校生だぞ? そんな決心も出来てないっての。でも、そうだな。今のままも十分楽しいから、今は良いかな?」

「その言葉は婚期を遅らせる言葉だよ?」

「っても、俺が結婚してる想像が出来んから、仕方ねぇだろ?」

「じゃ、じゃあ! そんないつまでも結婚出来なさそうな兄ぃには私を今後一生養う権利を与えようー! チラッ?」

「うわ、いらねー! そんな事より、さっさと彼氏でも作れ!」

「ひ、ひどぉッ! なにさぁ! 自分だって私ばっかり構うから彼女出来ない癖にー! だから、慈悲深い心を持つ妹の空が兄ぃを一人にしないようにって、あっ、笑うなぁっ!」

 

 けれど、俺が拒否した時の空のあまりの必死さにそんな我慢も虚しく、思わず吹き出して笑ってしまった。


 買ったアイスもあまりの暑さに液体状となっていたが、そんな事すら気にならない程に世界一可愛い妹と馬鹿でくだらない会話をしては笑いながら二人並んで歩き、俺達はいつものようにゲーセンに寄り道したりしながら家へ歩いていた。


 

 だが、そんな妹との幸せな時間は一瞬にして崩れ去る。



 それに俺が気付いた時にはもう遅かった。


 一つの甲高い女性の悲鳴が耳をつんざき、爆発の如く鳴った衝撃音。


 目を向けた先には、制御を失った車がアクセルをベタ踏みしているであろう猛スピードで真っ直ぐに俺達の方へ向かってきていた。



「兄ぃッ!」



 妹だけでも!と思い突き飛ばそうとするも、何故か空は俺に力強く抱き着いた事で、差し迫る時間の中で妹をすぐに抱き締めて少しでも車から遠ざける様に俺は右肩を前に出した。


 百キロを超える車を目の前にして俺の足は固まる事しか出来なかったのだ。



 だが、ほんの一メートルに迫った車のフロントガラスに映った俺の姿が何故、ゲームに出てきたシャーロットに似た顔立ちの男だったのか。



 それを理解する前に俺の身体に凄まじい衝撃が走ったのだった。


*****


「早く侍医じいを連れて来て! ユリウス様! すぐに治療に掛かりますので! 意識をしっかりと保ってください!」


 遠くで女性の声が聞こえる。


 俺は夢から醒めるように、俺を差す日差しにまぶたをひくつかせながらもゆっくりと開けた。


 すると、友人と行った秋葉原で見たメイドの格好をした女性が俺に何か言っており、他のメイド達は慌てて何処かに走って行く。


 まるでVRで映画を見ているみたいな感覚だが、頭にズキリと鋭い痛みが走った。


 「うっ!」と小さく呻きながらも、視界の端に映る粉々にひび割れた鏡を見て、俺は固まった。


 額から血が出てはいるが、それ以上に目を引く綺麗に整えなられたサラサラの黒髪に真っ赤に染まった紅い瞳。



 何より、生前でも見た事が無い程に顔立ちの整った美少年が鏡の中から驚いた様子で俺を見ていたのだった。

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