第2話 新しい妹は、将来悪役令嬢になる女の子だった


 俺がこの世界に自意識を持つようになって、早くも一週間が過ぎた。



 最初の二日こそ、自分の姿が生前と全く違う事に鏡を見るたびに驚いていたのだが、それも段々と慣れ、本当に自分は死んだんだなと実感させられた。


 所謂、転生者って奴だ。


 俺が前世の記憶を覚えている事からしても、死んだのはあの車が原因で間違いないんだが、予想外だったのが、身体の元の主人であるユリウス・アクアリウスの記憶も持っていた事だろう。


 てっきり、生前の記憶かユリウスの記憶しかないものだと思っていたんだが、これは自分が誰なのかを知るきっかけとしては非常に役に立った。


 俺と一緒に巻き込まれた空の事は気になるが、まさか妹も転生してたりするのだろうか。だとしたら、早急に何とかして見つけ出したいが、外見も変わってるだろうし、なんの手がかりもなく手探りで探し出すとなるとなかなか厳しい。


 だが、あの乙女ゲームを愛していた妹ならすぐに気が付いて何かしらの行動を起こすだろうから、それまではこの現状をどうにかするのに専念するとしよう。


 自室からコツコツと足音を巨大な屋敷の廊下に響かせながら、俺は一つの扉の前に立つと同時に、扉がメイド達によって開かれ、脚を前に進めた。



「ユリウス、遅いぞ」



 すぐに飛んできたのは渋い男の声。


 部屋の中心に堂々と置かれた10メートルはあろうかという長テーブルの上座にユリウスの父にして、アクアリウス伯爵家当主であるアヴェルト・アクアリウスが此方に鋭い視線を向けていた。


 短く切った黒髪に鋭い目つき。がっしりとした体格から出る圧は物言わせない雰囲気を醸し出している。


 右隣には、ユリウスの母であるナタリー・アクアリウス。左隣には最初に兄のウォルター・アクアリウスが座り、その隣に姉のシトラス・アクアリウスが座っている。


 どうやら、最後は俺らしい。


「すみません、父様」


 しかし、そんな注意もどうでも良いと思える程に、今日の俺は知らず知らずのうちに気分が高揚していた。


 何せ、自身の名にも付くアクアリウスという家名を知って理解した事だが、此処は妹がやっていた乙女ゲーム『四季の姫君』の世界なのだ。


 そして、今の俺は八歳児。それが事実ならあの子が来る歳。俺にとってもこの家にとっても、大事な日だ。じゃなきゃ、犬猿の仲で有名のウォルター兄様とシトラス姉様が此処に集まる訳がない。



「皆、以前から聞いていたと思うが、新たにこの家に入る者を今から紹介する」



 淡々と喋る父からは興味も無い雰囲気がビシビシと伝わって来るし、母は悔しげな表情からして否定どころか、これから来る彼女に対しての強い拒絶だろう。


 ちなみに、俺は楽しみにワクワクしている。何せ、妹があそこまで惚れ込んだ将来美人になる彼女が俺の妹になるってんだから嬉しくない訳がない。


 感情を表にあまり出さない姉に関してだけはよく分からないが、「母さん、大丈夫だよ。兄妹の俺達がちゃんと面倒を見るからさ」と言う兄の考えている事ぐらいは流石に分かる。


 まさか、ここまで嗜虐しぎゃく的な笑みを浮かべながら言う男がいるとは思いもしなかった。


「ウォルター、シトラス、ユリウス。お前達にとっては妹だ。入ってきなさい」



 俺が入って来た扉が開き、光が差し込む中、歩いて来た背の低い少女に俺は息をするのを忘れる程に見惚れていた。



 腰まで伸びた長い銀髪にほっそりとした触ったら折れてしまいそうな身体。


 目鼻はしっかりと幼さを残してはいるが、今の段階でもこれから美人になるという確信が美容系に疎い俺にでも分かる程だ。俺と同じ紅い瞳も違和感なく存在している。


 あの妹が『推し!』と吠える理由ぐらいは分かっていたつもりだが、実物は想像以上だな……。


 彼女は扉の前で俺達の視線に少しビクつきながらも、「…………ット、です」と頭を下げた。だが、その声量はマズい。あの男を刺激する。


「ッ、シャーロット。言った筈だ、此処に来る以上、お前は私達の一員になる。それをブツブツと、聞こえもしない! お前は由緒正しい貴族家に入るんだ! 魔力が備わっていなければこんな娘——————おい、ユリウス! 誰が立てと言った!」


 人前では形式上、現伯爵家当主であるアヴェルトを父様と呼んではいる。


 けれど、この男の弟夫婦の間に生まれたシャーロットの両親が事故で亡くなった後、まだ幼かった彼女を貧民街へと放り出し、ゲームでは邪魔だからと一室に食事を数日も与えずに監禁や虐待をしていた男の言う事なんて特に聞く気もない。


 ましてや、相続権のあるシャーロットの同意無しに弟の兄というだけで夫婦の財産を全て奪い取った挙句、彼女に魔力という利用価値があると分かれば突然養子に迎えるクズは特に。


 何しろ、生前にやった物語の終盤では、シャーロットに向かって『あの愚弟の選んだ女は金にもならぬ駄鳥を産んだな』とかほざく奴だ。


 シャーロットにアクアリウスが継ぐ魔力を七歳で発現させてなかったら、アヴェルトは彼女をそこら辺の孤児として記録を抹消し、見向きもしなければ関わろうともしなかっただろう。


 ただ、彼女を引き取ったのは利用価値があると判断しただけに過ぎない。いや、それよりも今は俺の妹、シャーロットの事だ。


「ッ! ……んなさい、ごめんなさいッ」


 父の威圧する声に怯えたのか、スカートの裾をぎゅっと小さな手で握り、薄らと瞳の端に涙を浮かべる彼女の前へ怯えさせない様にしゃがみ込み、出来るだけ笑顔でシャーロットに話し掛けた。



「これ以上謝らなくて良いよ。それと、父様が怯えさせてごめんね。僕の名前はユリウス・アクアリウス。君のお兄ちゃんだ。よければ、君の名前を教えてくれないかな?」



 子供と話すときは立ったままじゃなくてしゃがみ込んで視線を平行に合わせると良いという話を生前に聞いたことがあるが、それを実践してみたところ、シャーロットは何処か驚いた表情で俺を見た。


「ぁ、わ、私の名前はシャーロット。シャーロット・アクアリウス、です」

「うん、よろしく! シャーロット。あっ、そうそう、シャーロットはお菓子とか甘い物好き? 君はもう僕の妹なんだ。遠慮は要らないよ?」

「ぇ……でも……」

「大丈夫。僕はシャーロットの味方だから」

「じゃ、じゃあ……蜂蜜はちみつ入りのミルク……飲みたい……です」


 すると、シャーロットは甘い物と聞いた直後にキラキラと瞳を輝かせているみたいに口をぽっかりと開けて可愛らしいお願いを出してくれた。頬を僅かに赤く染め、恥ずかしがっている姿が特に愛らしく、とってもチャーミングだ。


 そう言えば、生前の妹の空も冬になると俺が作った温かくて甘い蜂蜜ミルクをよく美味しそうに飲んでたっけと思うとそれが面白く、思わず俺も笑ってしまう。


「良いよ。シャーロットがお腹いっぱいになるまでいくらでも。じゃあ、僕の部屋で……いや、今日は天気が良いし外でお喋りでもしながら飲もうか?」


 それに此処じゃ、あの家族がいるからな。


 しかし、案の定「おい、ユリウス。弟の分際で勝手に出しゃばるなよ? そいつは俺が直々にを見てやるんだ。分かったら、さっさと戻れ。シトラス、お前からも何かこの使えない弟に言ったらどうだ」と兄のウォルターが引っ込んでれば良いものを勝手にしゃしゃり出てくる。


「ふ〜ん。ユリウスがあの子をね。まぁ、私には関係無いわ」

「チッ、俺の兄妹のはどいつも次期当主である長男の指示も聞けない無能ばかりか」

「知ってる? 無能って、自分じゃ能無しって気付かないから無能なのよ? 私は自分がどの程度かは理解しているもの。兄様はどうかは知らないけど」

「シトラス、それはどういう意味だ?」

「さぁ? 兄様なら、それぐらい考えられるのではなくて? もしかして、言わないと分からないのですか?」


 どちらにしろ、残念がってくれて何よりだ。無能だなんだと言われても、俺はお前とは仲良くなれそうになくて心から安堵してるがな。


 どちらかと言うと姉の独壇場である喧嘩を収めるために父も駆り出された所で、俺は隙を見てさっさとシャーロットを連れて廊下へ出たのだった。


 そう言えば、二人が口喧嘩を始める時、一瞬だけ姉さんの視線が俺に向いた気がしたけど。


 まさか、姉さんが注意をシャーロットから外してくれたのか? ……いや、そんなまさかな。

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