5日目

第22話 ヨウスケの死


 過去を聞きつつ、気持ちを整理した二人が夜通し歩いてやってきたのは、ヨウスケの生まれ育った地域の中で一番大きな図書館。


 間もなく開館時間がやってくるからなのか、はたまた、今日は臨時休館なのか、閉ざされた門が、二人の行く手を阻む。


「行きましょうか」


 足を止めたヨウスケへ、ミヤビの柔らかい声が寄り添って、門をすり抜けると、すぐに図書館の前へと移った。


 真新しい木で作られた外壁に、大きなガラスの窓。規模が大きいだけでなく、建設されたのも比較的最近であるため、おしゃれな雰囲気がある。


 すでに太陽が顔を出し、朝日があたりを照らしている。その心地の良い光は、図書館の入口に当たって、館内の様子を見ることができた。


 入り口の自動ドアのところには、開館時間を告げる看板が立てられている。一瞬休館日かと考えたが、どうやら違うらしい。

 館内では人が行き交う姿が見受けられる。

 どうやら開館時間まではまだ余裕があるために、この看板が立てられているようだ。


「来ちゃったか……」

「来ちゃいましたね」


 心臓が強く音を立て、背中が冷える。

 ヨウスケは唇を噛みしめて、力強く拳を握る。


「ここでなら、探せると思うんだ……俺が死んだ理由を」

「そうですね。私、お手伝いしますよ」

「うん、ありがとう」


 ひとりじゃない。それを心の支えに、ヨウスケは覚悟を決めた。

 門と同様に、扉をすり抜けて館内へ入る。まだ職員しかいない朝の図書館は新鮮味があった。


 木の匂いが充満した館内。

 入って左側には、展示会を行うことができる小さな会場。

 右側には小さな子供たちに読み聞かせを行うことができるキッズスペース。

 どちらにも今は人が誰もおらず、シンとした空間になっている。


 職員が行き交う奥には、本がぎっしりと並ぶメインスペースが広がっている。


 普段図書館なんて利用したことがないヨウスケは、何がどこにあるのかなどわからない。なので、入ってすぐの壁にかかっている館内の案内図を見て首をかしげる。

 一体どこで調べればいいものなのかわからなかったのだ。


「直近の出来事を調べるなら新聞でしょうか? 新聞なら、こちらの方だと思います。図書館であれば、少し前の新聞も残してあるでしょうし」

「そっか、そっちか。じゃあそっちに行ってみよう」


 ヨウスケよりもミヤビの方が、図書館について詳しかった。

 パタパタとミヤビは走って、あるコーナーの前で立ち止まる。そこに並んでいたのは、各新聞が一週間分しまってある棚だった。気持ちを落ち着かせつつ、そこまでヨウスケもゆっくりと足を運ぶ。


「いつの新聞にしましょうか?」

「俺は今日で……五日目だから……」

「でしたら、五日前のもの、もしくは四日前のものでしょうか? 全国紙より、地元紙の方がいいでしょう。だったらこの新聞かな? 確か真ん中あたりに各地域の記事が書いてあったような……あ、でもトップに書かれているかもしれないし……どこでしょう?」


 ミヤビは新聞の棚を漁り、一つのローカル新聞を取ると、近くの大きなテーブルへ広げる。

 この新聞に、自分のことが書かれているかもしれないと考えると、ヨウスケの心臓は強く脈を打つ。


 なぜ、死んだのか。

 そのときにいったい何があったのか。


 何も知らない、わからない。だけど、全てがここの新聞ではっきりとわかる。

 自らの死因を知りたいけれど、知りたくない。

 知ることが怖い。


 ヨウスケは全てミヤビに任せ、ガタガタと震える自分の体を抱きしめた。


「えっと……ここにはないな。こっちかな……? っ……あ、ありました。おそらくこれかと……読みますか?」


 ミヤビは慣れたようにペラペラとページをめくって、そしてついに見つけてしまった。

 眉をしかめて、ヨウスケの顔色を窺うミヤビ。

 あまり心配をかけたくないと思ったヨウスケは、自分で読むのがいくら怖くても、恐る恐るその記事を自分の目で読む。


『高校生通り魔に刺されて死亡』


 地元の新聞の中間ページ。そしてそのページの中心に大きく書かれていた見出し。写真も載ったその見出しの内容を詳しく確認していく。


『市内の高校に通う巻田ヨウスケ(十七)さんが、通り魔に刺されて死亡しているのを確認した。巻田さんは、部活を終えて帰宅途中に、女性が刃物を持った男に襲われているのを目撃。女性を助けに入った巻田さんであったが、逆上した男に腹部を刺され、出血多量にて死亡したとみられる。警察はその場にいた女性から話を聞き、犯人を追っている』


 この記事を読んで、はっきりと、そして鮮明にその日のことを思い出してしまった。



 ――星空の下、真っ暗な帰り道。

 サッカーと親友との喧嘩で頭がいっぱいで、次の日には謝ろう、どう謝るか、そればかり考えながら家に帰る途中のこと。ふといつもの慣れた道を歩いていたときだった。細く人もほとんど通らないような道の先から、小さな悲鳴が聞こえた。何処だ何処だと、目をこらして見てみると、女性が刃物を持った男に襲われていた。


 全く見たことのない女性であったが、襲われているのを見て見過ごすわけにはいかない。無意識に体が動いた。

 本来であれば、危険な状況に出くわした際にはまずはその場で警察に連絡すればよかったが、この時のヨウスケの頭にそんなことは浮かばなかった。


 女性と男の間に入り、何とか女性を助けて、男を説得もしくは逃げようと試みる。


 刃物は危ない、まずはしまって。

 ここはひとまず話し合いを。

 怒ることもあったかもしれないけど、話せばわかるって。


 たかが高校生のそんな言葉では男の心に響くことはない。


『何も知らないガキのくせに、黙ってろ!』


 そう言われながらももみ合いになり、電柱に頭を強くぶつけた。

 ズキズキと痛む頭を押さえたときには、すでにぼやける視界になっていた。そしてその直後、腹部に強い痛みが走ると、「キャ―!」と甲高い女性の悲鳴が木霊する。


 痛む場所に手を当てれば、温かい液体がどくどくと流れ出ていくのを感じた。しかし、視界は悪く、その色さえわからない。


 次第に足元がおぼつかなくなり、立っていられなくなった。ズルズルと膝から崩れ落ち、片手は腹部に、片手は地面につけてなんとか意識を保っていようとした。だが、意識はあっても力は入らなければ、視界もどんどん悪くなるばかり。


 俺、死ぬ……?


 頭に浮かんだ死の可能性。否定したくて、勝手に涙がこぼれた。


『雑魚がっ!!』


 ヨウスケの状態などお構いなしに、男はヨウスケの腕を乱暴に掴み取ると、引きずって移動させられる。力を込めることすら不可能になっていたヨウスケは、地面との摩擦で更に傷を負うも、その痛みが分からなくなるほどの出血で意識を保つことだけに必死だった。

 そうして無抵抗なヨウスケは、男に少し離れた公園へと連れていかれる。


 人のいない夜の公園。

 そこで何度も繰り返して刃物を振り上げた男。


『お前のせいで』

『クソガキ』

『偽善者』


 言葉と共にその後から伝わる激しい痛み刺されたのは一度だけじゃないと理解する。

 真っ赤に充血した男の目。最も繰り返し何度も聞こえた『お前のせいで』という言葉。


 ヨウスケが間に入ったことに怒り狂い、鬼のような残虐な行為に及んだ男。


 何回、何十回と刺されるうちに、ついに完全に痛みがわからなくなった。


 手を上げる力も、声を上げる体力も、抵抗する力さえもない。

 薄れゆく意識の中、『死ね、ゴミ』という言葉を聞いた。

 それ以降の記憶はない。それを最後に息絶えたのだ。


「はっ……!」


 よみがえったヨウスケが死ぬ直前の記憶。

 バッと服をめくり、腹部を確認する。

 タキシードへ着替えるときは気にも留めなかったが、ちゃんと見ればいたるところに傷があった。


 へその両横、両胸。みぞおち。

 記憶の中では、後ろからも刺されていたから、背中にも同じように傷がいくつもあるだろうと思うと、胸がどんどん苦しくなっていく。


「はっ、はっ、はっ……」


 一回の呼吸が浅くなり、何度も何度も酸素を求めて短く浅い呼吸を繰り返すヨウスケ。生きているときには味わったことのない息のしづらさに、体が傾いた。


 広げられた新聞の上に手をついて、体を支える。


 隣ではミヤビが、落ち着かせようとヨウスケの背中をさする。

 だが、そこにも死ぬ直前で男につけられた、死につながった傷があると思うと、何にも染まっていないミヤビに触れてほしくなかった。


 傷のことを、死のことを次々に思い出すと、どんどん気持ち悪くなってきて、ヨウスケはミヤビをその場に置いたまま急いでトイレへと駆け込む。


「うげぇ……げほっ、げほっ……」


 死後何も食べていないので、もちろん胃の中には何も入っていない。だからいくら吐いても何もでてこない。でも、あまりにも気持ち悪くて、何かが込み上げてくるのを出しきってしまいたかった。


 死後の体は痛みを感じないはず。だけど、ヨウスケは全身にとてつもない痛みを感じ始めた。

 苦しい。痛い。ずるずると体から力がぬけて床に座り込む。


 トイレの床に座るなんて汚い、なんて感覚はなかった。


 あんな風に刺されて殺されて死にたくなかった。

 こんな形で、急に死にたくなかった。

 痛いまま死にたくなかった。

 まだまだずっと、生きていたかった。


 一度は死を受け入れたヨウスケだったが、生への願望がまた現れる。同時に、あの鬼のような男への大きな恨みが生まれる。


 なんでこんな目に合わないといけなかったのか。

 自分は本当に要らない人間だったから、あの男に殺されたのか。

 あの男が言うように、喧嘩もするし、親友を傷付けるゴミのような人間だったんじゃないか。

 なら、自分がいなければよかったのか。


「うっ、う……なんで、俺が……」


 目からは涙がこぼれる。

 自分自身の死因を知りたかったはずなのに、知ってしまったことを後悔した。

 あの時女性を助けに入らなかったら、自分は生きていただろうと。

 ただの偽善者だ。誰かを助けることで、本当は自分が助けられたかっただけだ。

 警察に電話すればよかったのに。刃物に非力な高校生が勝てるわけがなかったのに。


 後悔が募っていく。


 ヨウスケだけが理不尽な目にあったのが辛くて、世界を、人を、全てを恨んだ。

 するとヨウスケの心がどんどん黒く染まっていく。


 心だけではない。


 ヨウスケの足元から、生き物ではない、真っ黒な何かがもぞもぞと動いた。


「ヨウスケ、さん……」


 時間を置いて、ミヤビの声が聞こえた。

 でもここは男子トイレ。死んでも一応性別は違うから、ミヤビは入ってこないだろうと、ヨウスケは返事を返すことなく、ただただ嗚咽を漏らす。


 同じ死者同士でも、死に方があまりにも違う。

 ミヤビは自分が死ぬとわかっていて、少しずつ死に近づいた。

 でもヨウスケは、死ぬとはこれっぽっちも思っていないうちに、他者によって死がもたらされた。


 自分は覚悟して死んだミヤビとは違うんだ。だから、自分の気持ちがミヤビになんてわかりっこない。この気持ちを話したところで、誰も救われることもないからと、返事もすることなくその場にとどまり続けた。


「ヨウスケさん」


 今度はミヤビの声が近くから聞こえた。

 ふと顔を上げれば、すぐ前に彼女が立っていた。

 ここは男子トイレだぞ、なんて言う気力もなく、再びうつむいてミヤビから逃げようとする。


「私は」


 芯の通った透明な声に、ヨウスケの肩がピクリと動く。


「私は……ヨウスケさんの気持ちがわかりません」

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