第11話 死にたくなかった。でも。
「ヨウスケくん? どうかした?」
何かを感じ取ったのか、イツキは声をかけた。しかし、ヨウスケはうつむいたまま応えることがない。
「――っで」
「え? 何? 大丈夫?」
焦りが思考を乱れさせる。
それでも何とか言葉にしなくては。そう言い聞かせて、一つ一つ、感情を言葉にしようと試みる。
「俺は、さ。俺は、二人みたいに、何で殺されて死んだのかもわかんねぇんだ。死にたくねぇんだ……」
「ヨ、ヨウスケさん?」
突然の爆発した感情。眠っていた野良もピクリと耳をかたむけている。
「俺は、まだっ……生きたいっ……」
だんだんと声が小さくなる。同時に目から熱いものがこぼれた。慌てて顔をおさえるも、おさえきれなかったものが頬を伝って地面に落ちる。
だが、絨毯になっている水族館の床にシミとして残らなかった。
「うん、そうだね。僕らもまだ……もっと、ずっと長く生きたかったよ。いろんなことをやりたかったし、遠くへ出掛けたかった。それに、大切な人に伝えたいこともあった。でも、もうそれら出来ない。僕らには、生きている人に何かを伝えることは出来ないんだからね」
ヨウスケよりも高い背のイツキは、少しかがんでヨウスケと同じ高さになってから、優しくそう言った。
「僕らの当たり前だった生活は、もうこない。どんなに泣き叫ぼうと、訴えても。二度とこないんだ。それでも、僕らはここにいる。もし、ミヤビちゃんの言うとおりなら、僕らは限られた時間を自分のために使おうよ。それがきっとさ……僕らの最期の思い出になるから」
「そう、だな……そう……うん」
ヨウスケに寄り添ってくれる優しい声が、氷のように固く冷たくなってしまっていた心に響いた。
自宅で見た動かなくなった自分の体。それを囲んで悲しむ家族。家族になにも残せないのなら、残りの期間は家族ではなく、自分のために使おう。それがイツキの考えであった。
真の通ったその考えに、ヨウスケの心は前を向く。
「あ、そだそだ! やり残したことで思い出したんだけどさ」
暗い空気を断ち切るのはエミリの声。何を言い出すのかと視線が集まる。
「ウチ、結婚式やりたい」
そのやりたいことを聞いて、ヨウスケの涙はスッと止まった。
「ちょっ? ちょ、ちょっと待ってって! エミリ、よく考えよう?」
今までの冷静な様子からうってかわって、見るからにも焦りだしたイツキ。反対にエミリはずっと目をキラキラと輝かせている。
そしてその目をパッとイツキへ向ける。
「めっちゃやってみたくない? だってウチら、絶対出来ないって思ってたからさ! あっちこっち行ったし、あとやり残したことっていったら、それぐらいじゃん! むしろ、他に思い浮かぶ? 浮かばなくない? それしかなくない?」
「いやいやいやいや。確かに結婚式は、僕たちには出来ないっていうこと、よくわかっていたよ。わかっていたけれどもさ、でも。でもだよ? そもそも僕らは――」
言いたかったはずなのに、イツキの口はグッと固く閉ざされた。
何を言いたかったのかがわからず、ヨウスケは首をかしげる傍らで、ミヤビが少し顔を赤くしながら期待する瞳を輝かせている。
「ね、ねっ! 結婚式! ミヤビちゃんもいいと思うよね! だって結婚式だよ、結婚式! 真っ白の……いや、いろんな色のドレスを着て、みんなに祝福される。それで好きな人と一緒に前に進むの! こういうの、女の子だったら誰でも一度は憧れるじゃん?」
「はいっ! 私、結婚式って物語の中でしか見たことがなかったので、是非とも参加してみたいです」
「ほーら。ミヤビちゃんも参加してみたいって言ってるじゃん? ウチらのやり残したことをやっていこーよ。ね? イツキ」
まるで盾にするように、ミヤビの後ろへまわったエミリは、手をミヤビの両肩に乗せてイツキへ差し出す。
ミヤビとエミリ。二倍となった期待する瞳に見られ、渋っていたイツキが下を向き、小さく「はぁ」と息を吐いて頭を抱えた。
「衣装は? どうするの? 僕たちはもう死んでいる。物に触れることすらかなわない。そんな状態なのに、結婚式ができっこないでしょ?」
イツキの言うとおりである。閉ざされた水族館の扉をすり抜けたように、死者であるヨウスケ達は、物に触れることができない。
「ん? でもさ、俺たち、水族館のベンチには座れてるけど?」
水族館の扉は触れられなかったけど、ベンチのように触れることができるものもある。
何の法則があるのか分からないが、もしかしたら。自分たちが必要とするものであれば、触れることができるかもしれない。
「ま、よくわかんないけどさ。きっと何とかなるって!」
エミリは決して諦めようとする様子はみせず、むしろやる気を増しているように見えたそんなエミリに少し間を開けてから、イツキは口を開く。
「エミリの言葉が示している本当の意味を、ミヤビちゃんは理解してないだろうけどね」
顔を上げてそう言うイツキの顔を、ミヤビが期待に、希望に満ちあふれた顔で見つめる。そんな顔をされては、誰だって断ることができるはずなかった。
「わかーったよ。やろう、結婚式。僕らの本当の最期を飾る、結婚式を」
「やったー! イエーイ! さすがイツキ! そういうところ、めっちゃ好きー!」
「はいはい」
しぶしぶ了承したイツキと、エミリがハイタッチをする。二人でパチンといい音をたてた後、エミリはミヤビともハイタッチをしていた。
「ほら、ヨースケくんも。イエーイ!」
「イ、イエーイ……?」
大きな音を立てて、ハイタッチは思っていたよりも力が強かったこともあって、大きな音が出た。
「結婚式に参加できるなんて夢みたいです!」
「でしょでしょ。やるからには、ちょーいいとこにしたいよね。ここら辺、いい式場あったっけ?」
「うーん……あいにく僕はお葬式しか参列したことないからわからないなぁ」
やるとなったからには、ちゃんとやりたい。そんな思いで、うーんとうなりながら頭を悩ませる。しかし、ヨウスケには思い当たる場所があった。
「それなら俺、場所、知ってるよ」
「マジで? ヤバ。どこどこ?」
「結構近いとこ。緑が多くて、建物も綺麗だった」
「ちょー気になるんですけど。行ったことある感じ?」
「そう。前に親戚の結婚式に行った」
二年前。あまり顔をしらない親戚の結婚式に行ったことを思い出す。
真っ白のドレスに身を包んだ親戚の新婦。どちらかと言えば、フンワリとしたものではなく体のシルエットが分かるようなドレスだった。
新郎は、グレーのタキシード。結婚式といえば、白とばかり思っていたから、その色が綺麗だなと感じたことはハッキリと覚えている。
新郎新婦の友人たちは、鮮やかなドレスや皺のないスーツに身を包んでいた。
まだ中学生だったヨウスケは、そんな「オシャレな大人の世界」に憧れた。
式に参加した人達はみんな笑顔で。みんなが幸せな結婚式だった。
「ウチらだったらさ、式場閉まっててもカンケーないじゃん? 壁すり抜けられるし? そうしたら使いたい放題じゃん? もう行くしかないっしょ!」
エミリは大きく拳を振り上げて、歩き始める。
「それじゃあ、れっつごー!」
「おー!」
そんなエミリに続けと、拳を振り上げて声を出したのはミヤビだった。
残された男二人、互いに顔を見合わせる。
「……僕たちも行こうか」
「そうっすね」
「みゃあ」
ぐいぐい進む女性陣に圧倒され、引きつった顔をしながら、二人と一匹は静かな水族館を後にした。
外に出れば満天の星空が一行を迎える。
気落ちしていたヨウスケは、すっかり気持ちが落ち着いて、むしろそれどころではない現状に少し期待して前を見て歩く。
「疲れない体って、こういうとき便利だよね」
「そうっすね。寝れるけど、無理して寝なくても平気だし、お腹も減らない。二十四時間動けるなんて」
とぼとぼ歩く男性陣は、意気揚々と弾む女性陣に着いていく。
ヨウスケ自身、疲れないという自分の口から「死んでいる」ことを認めた言葉が出たことに、少し安堵していた。自分は死を受け入れられたのだと、そう感じたからだ。
いつまでも、死んだという現実を受け入れることができないままでは、残された七日間に何もすることなく終わってしまうだろう。だが、受け入れられたのなら、何かできるはずだと、前を向いて進んだ。
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