第27話 頼朝の和歌1 ~ 富士山の煙

 源頼朝がつくった和歌は、二首のみ、残されています。

 かれが生涯に、どれだけの数の歌をんだのかはわかりません。


 頼朝の経歴を考えてみますと、十二歳から宮廷に出仕して、丸二年のあいだ「皇后宮 権少進ごんのしょうじょう」や「上西門院 内蔵人うちのくろうど」として、皇后や女性貴族・女官たちのもとで働いていたのですから、基礎はしっかりと学んでいたものと考えられます。


 子息・実朝のすぐれた歌才や、先祖・義家の歌の素養なども思い合わせると、歌の潜在能力は充分で、折に触れ、残された二首の他にも歌を詠んではいただろうと想像されます。


 色好みの人ですし、妻・政子さんにも当然、歌を贈っただろうな、と思います。他の女性にも贈ったかもしれません(笑)


 ……しかし、確実に残されているのは、二首のみです。





 まずは、頼朝の歌、一首目です。



  道すがら 富士の煙も かざりき


   晴るるもなき 空のけしきに



「……道中、富士の噴煙も、見分けることができなかった。晴れ間も見えない、空模様のために」


 いつ詠まれたものかは分かりませんが、富士山を直接見ながら詠んだのでしょう。「晴るる間もなき」は、いくさや政治のことでなかなか晴れない、頼朝の心中と重なったのだと思います。


 この歌は『新古今和歌集』(1210年ごろ完成)に選ばれました。東国の人が、東国の雄大な景色をまっすぐに詠んだところが、評価されたのでしょう。


 

 ちなみに頼朝の時代、富士山は煙をあげていました。


 西行法師も『山家集』(1190)に、富士の煙を詠んでいます。

 直接その目に富士を見ながら詠んだものと思われ、煙だけでなく、火明かりも見えたようです。



 けぶり立つ 富士におもひの 争ひて


  よだけき恋を するがへぞ行く  西行



「……駿河の国に入った。煙が立ち昇る富士山頂には、火が争っている。

 それと同じように、わたしのなかに恋の炎が燃えている。

 富士山のように圧倒的なほどの恋をしに行こうじゃないか」



  風になびく 富士のけむりの 空消えて


   行方も知らぬ 我が思ひかな   西行



「……風になびく富士の煙が、空に消えてゆく。

 私のなかに燃えている思いの火も、あの煙のように漂い、空に消えてゆくのだろうか」


 どちらの歌も、「思ひ」という言葉に、「火」が、掛け言葉となっています。



 その百年後、阿仏尼が1277年の旅行中に、「富士の山を見れば 煙もたゝず」と書いています。

 平安初期には大噴火があり、平安時代には数度の噴火の記録がありますが、鎌倉時代には比較的安定していたようです。


 その後、1400年代からまた噴火活動がはじまり、1707年に宝永の大噴火が起こりました。


 富士山に煙が立ち、マグマが燃えているというのは、現代にはない、歴史世界特有の光景ですよね。(……現代では、富士山さんには眠りつづけていてほしいものです。)



 頼朝の歌、二首目は、また次回――。

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