パンツの国を知る→パンツにも正装がある

 国祖の像は人間の原寸よりもやや大きく、筋骨隆々の立派な髭の人物だった。逆三角形の体には不完全な甲冑を身に纏い、下半身は何度見ても狭衣ビキニパンツだ。礼拝堂の中には私達以外おらず、背中から差し込む陽射しを全身に受け、国祖像は神々しく腰に手を当て直立している。

 磨かれてひんやりとした石床に手をついた私に、オズワルド様が戸惑ったような声を掛けた。

「……マイ、どこか具合が悪いのか?」

 膝をついていた私は慌てて立ち上がろうと顔を上げたが、迫る赤とその奥の巨大な銅像に力が抜け今度は肘をついた。腰を抜かしてしまったかもしれない。

「……マイ、一体どうし」

「どうして……」

 私はこれまで抑えこんでいた疑問を我慢できず、力なく拳を握って呟いた。

「どうして下衣パンツなの……!」


 そしてその疑問は払拭されたけれど、完全に藪蛇だった。

「我々の国は大小六つの島が集まって出来ている。その島々を初めて纏め上げ国の礎を築かれたのがこの方、エーミル様だ」

 オズワルド様の声は変わらず柔らかだけれど、どこか熱を孕んだように響く。

「その昔、海から火が噴き上げ、島に住む者達は行き場を失ったことがあったそうだ。呼応するように最も大きな島の火山が噴火、陸地は揺れ海は赤く染まり、熱い岩石の津波が押し寄せたという。当時五つあった島の内、四島は壊滅状態になり生き残った者も島から出られず瀕死状態になってしまった……!」

 そしてそれを救ったのが、火山から最も遠かった島のエーミル様。彼は死を恐れず金属で出来た甲冑を身に着けて、島々を回り人々の救助に尽力した。島を渡る内、彼の身なりはぼろぼろになり、しまいには銅像のようになってしまったという。そして島々は統一、エーミル様が初代の統一者となった。

「見なさい、マイ。エーミル様の何と神々しき貫禄、狭衣ビキニ一枚になるまで民のために尽力した、その姿……!」

「……はい」

 狭衣ビキニ型が主流だったかは置いておいて、この国の元の下衣かいはパンツではなかった、ということなのか。

 私は礼拝のための──エーミル様はあくまで国祖で、この場所は自然神を奉った礼拝堂なのだそうだ──木のベンチに腰掛けたまま、仕方なくも肯いた。ここの位置に座ったのはエーミル様を正面から見上げなくて済む、と思ったからなのだが、如何せん前でも横でも下からのアングルは危険が付物だ、と深く理解することになった。それに輪を掛けて、オズワルド様が舞台俳優よろしく銅像を背景に熱く語るものだから、赤が躍動するのを引きで観察しなければならなかった。

「そして島民はエーミル様を讃えその献身を忘れぬ為にも、下半身は下衣パンツ一枚に改めたのだ……!」

 私は劇の終幕を感じ、パブロフの犬の如く名俳優に拍手を送った。オズワルド様の最後の台詞はエーミル・ポーズで決まった。

 彼は私の傍に歩み寄り「分かってもらえただろうか」と、興奮冷めやらぬ瞳で私を見下ろした。「はい、詳しくご説明いただいてよく分かりました」と、私は立ち上がった。高さが悪い。

 オズワルド様は「良かった」と感激した様子で何故か私の手を取り、オリーブ色を優しく細めて目尻を下げる。彼の手が触れたのは初めてだった。ぽかぽかと温まった大きな手のひらからじんわりと熱が伝わってきて、私の頬も熱を持った。

 夫がいなくなってから、誰かに手を触れられたことがあっただろうか……。


「おやそこにおられるのはオズワルド様ですかな?」

「! これは司祭殿」

 突然掛けられた声にパッと手が離れ、お互いの汗でぬくまっていた温度が急速に冷えた。ぞく、と震えた肩を竦め、私はおずおずと振り返った。既にオズワルド様はくだんの男性と会話を始めている。私も挨拶が必要か、と冷えた手を擦り合わせながら近づき、違和感に足を止めた。

 下衣パンツが露出していなかった。紫の腰巻きをしている! 

 思わぬ驚きと感動にわななく胸を押さえつつオズワルド様の隣に並んだ。

「おやこちらの方は」

 司祭様は好々爺の笑みで私を見、オズワルド様に紹介を求めた。

「あ、あー……マイだ。……狭衣ビキニを拾って届けてくれた女性だ。他国から来たので街を案内していたところだった」

 何だか歯切れが悪い。けれど私は初めて下半身厚着の男性に出会い、心の底から安堵していた。この街では簡単に視線を下ろせないからか、男性と話すことをおいそれと出来なかった。下衣パンツが隠れているだけでこんなに安心するなんて、と三十五年間の習慣の強さを知った。

「おやオズワルド様直々とは……初めましてマイさん。私はこの街の司祭をしています。困り事があればご相談に乗りますよ」

 司祭様は私に握手を求め微笑んだ。「はいありがとうございます、寄らせていただきます」と口をついて出た言葉に、この世界での孤独を自覚する。少しでも自分の世界に近い人物に助けを求めようとしている。やはり、私は帰りたいのだ。

 途端に気持ちが落ち込んでふ、と視線を下げた。紫の腰巻きが揺れ「ではオズワルド様、後ほど」と別れの挨拶を終えた司祭様の脚が裾から露出した。え? どうして腰巻きなのに、と思う間もなく司祭様はくるり、と背を向けた。紫の細い縦ラインが白い小作りなお尻にピィ、と緩みなく走っていた。

 司祭様の下衣パンツは、前布の大きな祭衣ふんどしだった。


 「マイは体が弱いのか?」と、心配するオズワルド様を余所に、私はこっそりとため息を吐いた。

 三度床に崩れ落ちた私は、とうとうオズワルド様に抱き上げられてお邸に帰ることになった。私はもっとお店や街の様子を見たかったのだが「また機会を作ろう」の一点張りだった。確かに一時間の間に三度も倒れたら病気か何かだと思うか、と独り言ちる。

 しかし目立った。喧騒の街中で、白上衣シャツ短衣ブリーフのイケオジが女性を子どものように抱き上げて帰って来たのだ。後ろ指を差された。それに初めてのお姫様抱っこは、首にしがみつかなければバランスを保てず、ただ歩いた方が疲れないと思われた。「もっと体重をかけていい」と言われても、会って三度目の男性に体重なんてかけられない。お邸に着く頃には変な筋肉痛が発生し、地面が恋しくて仕方なかった。

「少し休めばまだ歩けました」

 と、カウチに下ろされ傷む腕をさすりながら非難がましく見れば、「体調を整えるのが先だ」と相手も硬い顔で返す。完全に病弱認定されてしまったらしい。それよりも早く座って欲しい、赤が眼前にあっては落ち着かない。

「お掛けになって下さい」

 と、私がそう言うと「いや」とオズワルド様はお茶を濁した。そして私に背──高さ的にはドンピシャでお尻──を向け「この後また司祭殿と打ち合わせがある」とぴくり、と窪みを深くした。やはり少し食い込んでサイズが合わないのではないか、と一メートル先の赤を思わず凝視したとき、「だが夕食までには戻る」と聞こえた。

 「そうですか」と心なく答えながら、縫い目にほつれを見つけて目を細める。これって手縫いなのだろうかきっとそうだろうなどと思考していると、「だから、その」と言い淀む台詞。さすがにおや、と顔を上げると、オズワルド様の後ろ耳が彼の短衣ブリーフほど真っ赤に染まっていた。


 そうして今度は何故かオズワルド様と夕食を共にすることになったらしい。女性の家人──初めてお邸内で女性に会った──が夕食用にわざわざ新しい服を用意してくれ、着替えた。日本では珍しくないスタイルのワンピースだが、この街ではあまり見ない──女性は必ず上下の分かれた上衣と腰巻きスカート──服だった。何故着替えるのかと、その家人に尋ねると僅か逡巡の後、「オズワルド様も正装でご夕食を召し上がると仰ったそうです」と短く答えた。

 正装……? 嫌な予感が過ぎったけれど、ありがたく滞在させてもらっている身としては主の誘いは無下に断れない、と肯くに留めた。

 普段部屋に届けられる食事はパンのようなもちもちした主食と根菜中心のスープ、時にはお肉がつく。オズワルド様との夕食でもそれは変わらないようだが、テーブルには見たことのない果物がボウルに飾られていた。

 その豪華さに少し戸惑う。

「お招きありがとうございます」

「あぁ。マイ、体調はどうだ」

 既に席に着いたオズワルド様──正装というだけあってフリルの多い上衣に上着──に頭を下げる。促され私も席に着いた。食事用のテーブルで向き合うのは初めてだったけれど、下衣が全く見えないことに気づいてホッと息をついた。

 「さぁいただこう」という合図で私達は談笑しながら食事をとった。話題はこの街のことが主だったが、私の以前の仕事についてもオズワルド様は興味があるようだった。

「スポーツとはなんだ?」

「そうですね……皆で体を動かしたりして勝負するゲームのような……」

「ゲームとは?」

「えぇと……あぁ、お祭りみたいなものです」

「なるほど、祭りか! それはいい! 近々、この島でも年に一度の祭りがある。君の国ではどんな祭りが?」

 けれど説明は難航し、少々筋違いの理解をされてしまったかもしれない。致し方ない、文化が違うのだ。それにしてもこの島にはスポーツがないのか、と意外な気持ちになる。

 オズワルド様は終始オリーブ色の瞳を私に向け、穏やかに話し掛け続ける。私は言葉を選びながらも自然に応える。時には二人で笑み溢し話題の尽きることはない。

 楽しい。こんな風に話をしながら食事をしたのはいつぶりだろう。

 この世界に来てからは宛がわれた部屋でずっとひとりだった。いや違う。夫がいなくなってから誰かと食事をするなんて、数えるほどしかなかったかもしれない。手に取った赤ツツジ色の果物にふ、と自宅の庭を思い出す。

 ――日がな一日庭を眺め、日が翳ればカーテンを二重に閉めて小さな卓で食事をとる。夫が死に大きな食卓は処分した。ぼんやりとテレビを眺めてほんの十分で終わる夕食。私はもしかして、元の世界でも孤独だったのだろうか。

 思わぬ感傷に沈み言葉の途切れた私は、そ、と腕に何かが触れる感覚に気づき慌てて視線を遣った。オズワルド様が私の席の傍に跪いていた。シルクのような白い上衣が艶やかに光を放っており不思議な色のブローチが私を見上げていた。そしてやはり、筋肉質な脚は剥き出し。角張った膝小僧に視線が着地し「ぁ、すみません私、ぼんやりして……」体を彼の方に向けた。

「マイ……その、不躾に感じるかもしれないが、私の本心と思って聞いて欲しい」

 膝に置いていた手を持ち上げられ、握られた。手が驚くほど熱い。覗き込んだオズワルド様の瞳は、昼間のように熱を孕んできらりと濡れて見えた。ぞわ、と羞恥にも興奮にも恐怖にも似た感慨が胸から肩へと抜けた。知らず手を奪い返そうと引いたけれど、ぎゅ、と手をきつく握られ肩を竦める。

「マイ、どうか私の伴侶になってもらえないだろうか」

 ひとつ大きく動悸がしてぐ、と胸が泥を詰め込まれたように息苦しく重くなった。美しく煌めくオリーブを直視できなくなり目を逸らす。けれど途端に拘束が腕にまで伸びた。掴まれた腕を見、今やぎらと光る瞳を見遣り、私はただ「オズワルド様……」と言った。彼は私を見つめてゆっくり立ち上がり、私は彼の瞳に釣り上げられたように顔が持ち上がった。

「君が亡夫を忘れられないのは理解している。だが私は君を好きになってしまった」

 亡夫、と聞いて胸を埋めていた泥がそそがれていくのを感じた。そして、あぁこの人は私を好きと言ってくれたのだ、というどこか遠い感慨が胸に広がった。下がる視線、視界に赤が昇ってくる気配。

「どうだろう、マイ。へ、返事は今でなくても」

「申し訳ありません、お断り致します……」

 そうか、正装は狭衣ビキニなのか、と私は妙に納得しながら目を閉じた。



 続く

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