パンツの国で暮らす→赤ブリーフの訪問

 私は結局、その後もお邸に十日ほど滞在して、去った。オズワルド様はあれから姿を見せず、お礼も挨拶も出来なかった。けれどプロポーズをお断りしたことに後悔はない。私はもう夫を持つ勇気はない。それに考えれば考えるほど、領主の妻などと言う大層な肩書きの夫は要らないし、どんなに情熱的であっても赤狭衣ビキニで迫られ続けたら気持ちは冷めてしまうだろう。下衣文化の違いが決定打ではないけれど、状況に流されたくはなかった。

 引っ越したのは人好きのする女将さんが切り盛りする宿屋の屋根裏だ。女将さんは明るく大きな体で「ようこそ」と、私を抱きしめて迎え入れてくれた。そして五階の高さの街を一望できる窓辺に立ったとき、私の胸には不思議と新しい生活への期待が湧いたのだった。少々風が強く吹くのが難点だけれど、窓辺からはオズワルド様のお邸も見える。丁度、借りていた部屋が向かい合わせの位置にあるのだろう、見覚えのある樹を懐かしく思いながら暮らしている。

 そうして私は斡旋してもらった職場で文字──不思議なことに文字は分からなかった。同時に、自分の話す言葉が日本語ではなかったことにも気づいた──を覚え、掃除や書類整理の仕事をし、帰って来て宿屋を手伝い炊事を覚えた。

 三月ほど経つと、ひとりで火を熾しスープを作ることも出来るようになった。世界に少しずつ馴染んでいく感覚。職場は男性ばかりだけれど、役場のような機能を持つ現場で、皆が灰色の中衣トランクス。遠目には短パンに見えなくはない――そう思ってきた辺りがもう馴染んだ証拠だろう。慣れとは恐ろしい。

 そしてこの国はエーミル様に感じ下半身を晒すパンツ姿になる国民性なだけあって、皆とても感情豊かで意外に奥ゆかしい。いや、下衣パンツ姿だから性に奔放、と先入観を持つことがおかしかったのだ。きっと私のいた世界では下着なだけで、ここではそれが当たり前になっているだけのことなのか。


「随分ここにも慣れたねぇ」

 女将さんも目尻を下げて言う。既に半年過ぎていた。ここの気候は地球で言う南国か、年中温暖で季節がない。安い給料だと冬がないのは助かる。

「あんた、まだ若いんだから誰かと一緒になりなよ! アタシはもう懲り懲りだけどね!」

「アッハッハ」と快活に笑う女将さんに「私もよ」と笑い返す。他国から流れてきたという彼女とはすぐに仲良くなった。この国の下衣事情には彼女も、初めは度肝を抜かれたという。同志に出会えたと分かった日は心安まる夜を過ごした。生活は穏やかながら順調だ。

 今朝も女将さんと雑談に興じながら食事の用意をしていると、ガタンと宿屋の戸が開いた。「ほら、今日もマウロが来たんじゃないのかい?」「やめてよ、彼はそんなんじゃ」などと軽口を叩きながら芋の皮剥きで顔を上げずにいると、女将さんが慌てて立ち上がった。

「オズワルド様!」

 私は驚いて振り返った。カウンターの外に濃い茶色の髪を撫でつけて、少々気まずげに微笑む彼がいた。芋を持ったまま立ち上がる。

「女将、入らせてもらう」

 と、領主らしく厳かに言うオズワルド様は跳ね板を勝手に上げ厨房に入ってきた。途端、露わになる懐かしい赤短衣ブリーフ。どうしてそんな絶妙なの、上衣シャツ! と混乱する。目のやり場に困ったのは久しぶりだった。

 今日のオズワルド様はフリルのない庶民が着るような形のシャツにいつもの短衣を合わせ、今の流行で上衣の裾を短衣に挟みふわりとさせている。さすがトップオブパンツ領主様だ。

「マイ、元気そうで何よりだ」

 懐かしいテノール。少し痩せたように見える。芋を慌てて桶に戻す。

「オズワルド様も……あの、私、滞在のお礼もしないで出てきてしまって……その節はお世話になりました」

 私ももうこの国に来て半年、お礼をするときは相手の見えないポイントで目を閉じる技を学んでいる。それが相手が赤短衣でも有効な実践と、この瞬間に証明された。私は完全勝利に笑みを深めつつ体を起こし、目を開けた。けれど映ったのは寂しそうな表情。ぐ、と喉の詰まる感じがして息を止める。オズワルド様は「あぁ」と眉を下げて一度目を伏せると、感情を切り替えたように私をじっと見つめた。

「マイ、君の力を借りたい。私の相談に乗ってくれないか」

 そう言ったが最後黙り込むオズワルド様を眺め、どうやら込み入った話のようだ、と女将さんと私は視線を絡めた。オズワルド様は私の返答をただ待っている。

「……マイ、あんたの部屋で話しなよ」

 女将さんにはオズワルド様から好意を打ち明けられたことを話してあった。つまり客観的に見ても彼は憔悴しているように見えたらしい。私は一つ肯いて「こちらへ」と裏の階段に彼を促した。領主様が宿屋女と歩くのを目撃されるのは良くないと思ったからだ。

 オズワルド様は大人しくついて来た。狭い階段が蒸し暑いのはいつものことだったけれど、今ほど息苦しく感じたことはなかった。ほとんど忘れかけていた、プロポーズを断わった直後の彼が目蓋にありありと浮かんだ。彼は泣いたのだ。

 部屋に着く頃には、こめかみから汗が滴っていた。


「マイ……その、入っていいだろうか」

 オズワルド様は紳士にもそう断わってから入室した。そう、この国の男性はこういうところがある。だから女将さんは簡単に部屋へ、と言ったのだろう。ましてや領主に手籠めにされたとなれば、女将さんが黙っていない。ここは町一番の宿屋なのだ。

 「どうぞ」と答えながら汗を拭った。狭い部屋では座る場所はベッドか書き物椅子しかない。しかし天井が少々低いので、彼が立っているのは辛そうだ。私は逡巡し、椅子を勧め自分はベッドに腰掛けた。

「それで、突然どうされたのですか」

 出来るだけ上半身だけを見るように努める。ふわっとした上衣のシルエットが赤のチラリズムを生み出してむしろ落ち着かない。斜めに座り直す。

「以前、君が祭りの運営の仕事をしていた、と聞いたのを思い出したのだ」

 祭り? と思い当たらず首を傾げる。

「確か、皆で体を動かす……何と言ったか」

「……あぁ! スポーツのことですね」

 元の世界ではいくつかの体育館や競技場と提携し、大小様々なイベント企画を提案する会社に勤めていた。特にスポーツ関連を担当することが多かった。私は事務だが、小さな会社だったので、どんなイベントごとにも駆り出されていた。そう話したことを思い出し、オズワルド様に深く肯く。

「そうだ、それだ。マイも話には聞いているのではないか、祭りがあると」

「はい。そして今年はエーミル様生誕二百年の大きなお祭りになる、と聞きました。他の島からもたくさん人が見に来ると……」

「その通りだ。今年の祭りはうちの島の担当になっているんだ。大切な節目の祭りになるのでもう何度も会議を行っているのだが……いい案がなく、皆頭を抱えているのだ」

 言葉通り、オズワルド様は撫でつけた髪をくしゃりと崩して膝に手をついた。頬に影が差してやはり以前より痩せたようだ、と分かる。苦悩の様子が見てとれるが、これ以上股を広げないで欲しい。

「……例えばそのお祭りはいつも何を?」

「島中から集まった露天が並び、楽師や踊り子を呼んで踊る。あとは海で素潜り勝負の集まりがある」

「素潜り勝負の集まり? その、どれくらい潜ってられるかってことですか……?」

「そうだ。催しはこんなもんだ」

 私は全然駄目だ、と項垂れた。露天と踊りはいいけれど、素潜り勝負はいただけない。潜ってる姿が見えるならまだ面白みがあるだろうが、陸で浮き上がるのをじりじり待つイベントなんて面白くもなんともない。記念祭典とは思えない内容に言葉が見つからない。

 両手で顔を覆っていた私が恐る恐る顔を上げると、オズワルド様も同じように項垂れていたらしい。指の隙間から目が合った。覆いが外され彼の眉が上がり、困ったような嬉しいような顔になる。あぁまだ好きなのだ、と他人事のように自分への好意を受け止めた。そして同時に、フラれた女に助けを求めるなんて藁にも縋る思いだったのかもしれない、と彼の訪問の重みも受け止めた。

 私は心を決めた、手伝おう。

 ふ、と息を吐いて気合いを入れると、姿勢を正した。

 この瞬間からオズワルド様はクライアント。今から提案の前のヒアリングを始めるのだ。もし職場の人間が見たら、営業の真似事なんかしてと笑うかもしれない。でも、応えたかった。

「ではオズワルド様、どのようなお祭りにしたいのか、出来るだけ具体的に教えていただけますか」

 彼も姿勢を正した。崩れた髪をかき上げて私を真正面から見返したオリーブに、もう悲観的な色は何処にもなかった。



 続く

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