黒い根っこと変なハリネズミ 後編



 トグが手際良く木製のジョッキにエールと、チーズとナッツが盛られた小皿を出してくれる。礼を言ってカウンター前に腰掛け、まずは空きっ腹にぐいっとエール。


「ッはぁー!! これだよこれ」

「先に少し食べた方がいいですよ、お疲れでしょう」

「何言ってんだ、この疲れ切った体にくらっと回る感じがいいんじゃねえか!」

「そういうものですかね」


 こだわりのジョッキは、古くなったエールの樽で作ってあるらしい。だから木の香りが酒の味を邪魔しない。豊かな麦の香りに、後を引かないすっきりした苦さ。ビリリとした炭酸。飲んでいる時も無論最高だが、飲み込んだ後、口の中に残る香りがまた、麦穂をじっくりローストしたように香ばしい。


「美味いよな、ほんとここのエール……」

「そりゃ、ドワーフの出す酒がマズいわけねえだろ」

「いや、北のドワーフの国にも行ったことあるけどさ、マジでここの酒が一番だと思うぜ、俺」

「おいおい、もう酔っちまったのか?」


 ゴムが照れたように口元をむずむずさせたが、手捌きは揺るがない。あっという間に皮を剥いで棘を抜き、肉を部位別に分けている。動物から食材へ変わってゆくその過程を見ているこの時間を、ローデは気に入っていた。


「ゴムのおっさん、冒険士をやっても強そうだよな……刃物の扱いがもう、人間業じゃねえもん」

「料理と戦闘は全く違うさ。俺は料理人が天職なんだよ」

「それはそうだな……」


 癖の強めなチーズを飲み込み、エールをもう一口。ゴムにはああ言ったが万年金欠は確かなので、ローデはここ数日まともなものを食べていなかった。それこそ木の根をしゃぶって凌いでいたのだ。ローデを含む大抵の冒険士はその能力を生かして何でも屋のようなこともやっているので、金入りはまあまあ良い。しかし、新たな秘境を求めて旅立つというのは、それ以上に資金が必要なのだ。


「しかし安定よりロマン。これこそが冒険士の生き様」

「もう酔っ払ってやがる」

「お疲れだったんですね」


 トグが笑うと、いつの間にか隣に座っているアレーナが頬を染める。すっかり乙女の顔になってやがる。


 カウンターは結構な高さがあるが、ゴムの手元はよく見えた。そのために背の低いドワーフの彼は踏み台を使っているのだ。こうして作る過程を見せるのも飯を美味くする、といつだったか言っていたっけか。


 ゴムは薄く削いだチュア肉をまずは鉄板の上でサッと焼き、塩も振らずに口に入れた。


「思ったより臭みがねえな。比較的豚に近いか……いや、もうちっとあっさり目かな。確かに香草風の香りがする。内臓抜いて、腹に草詰めたりしてねえだろ?」

「してない。けど、香草みたいなの食ってたぜ、そいつ」

「おい、毒草じゃねえだろうな」

「腹は壊さなかったぜ。すげえ辛かったけど」

「食ったのかよ……」


 ドワーフはため息をついて、残りの肉を大きな包丁でぶつ切りにし始めた。隣でトグがどこから持ってきたのか大きな薬研やげんでバリバリと棘を砕いている。確かに、すりこぎ程度では歯の立たない硬さだった。


「煮ても焼いても美味いが、今日は煮物にする。相当疲れてるっぽいからな」

「え? 脂ギットギトの炙り肉でも全然いけるぜ!」

「そんなギトギトの肉じゃねえよ、これ。変な見た目の割に引き締まってんだ」


 軽口を叩きながらふらりと手元のナッツに目を移し、一粒食べてエールを一口。顔を上げると、もう肉が鍋で煮込まれ始めている。おまけに香草やら生姜やら例の根っこやら芋やら、色々入っている気がする。


「あれ、いつの間に……」

「大丈夫かお前、今日はあんま飲みすぎるなよ?」

「え? ああ、うん……」

「美味そうな匂いがしてきたな」


 鍋を見つめて呟くように言ったアレーナの口の端から、黒くて細い根っこがはみ出している。


「あれ、お前それ」

「味見に少しもらった。確かに美味いな、これ」

「だろ? なあ、俺寝てた?」

「ああ。カウンターで頭を打っていたぞ」

「マジで?」

「しかし、すげえ色が出るな……」


 でかい岩塩の塊を削りながらゴムが笑った。確かに鍋の中の湯は真っ黒に染まっている。


「だな……」

「ま、味は保証するぜ」


 ぱらぱらと鍋に塩が入る。立ち昇る湯気から複雑な香辛料の香り、いや、半分は肉と棘の香りなんだろうか。


 木皿にたっぷり盛られて、「ほれ」と目の前に置かれる。


「う、うまそう……!!」

「ほんとかよ」

「いや、色はアレだけど、照りと匂いが」


 例の根っこのせいで、肉も芋も全部が炭のように真っ黒になっていた。皿の上で湯気を立てながらとろりとテカる、漆黒の塊。けれど漂ってくる香りがあまりに食欲を刺激してくるので、ちっともまずそうに見えない。ドワーフ印らしい重たい鉄のフォークが差し出されたので、握りしめて一番でかい肉に突き刺す。


「は、ぅ、ふまっ……!」


 熱々のそれを舌の上ではふはふとしながら目を輝かせると、ゴムは「だろ?」と言ってニヤリとした。


「うま、これ、これすげえ好き、俺、これ、また作ってくれ」

「いいから食えって」

「おう!」


 はじめに来るのはガツンとした塩気だ。皿に盛った後、何かをパラっとしていたのは塩だったらしい。肉の脂と混ざらない純粋な塩粒がピリリと舌に触れた直後、膨大な旨味が押し寄せる。じゅわっと溢れる肉汁だけじゃない、木の根から滲み出した大地の香りと甘み、サンショウと言ったか、香草の刺激的な香り。とろとろになって舌に絡みつくような肉の食感、そして――


「辛っ……!」


 ローデは歓喜のため息と共に口からほうっと湯気を吐き出した。ビリビリと辛い、この腹の中から燃えるような熱さが、疲労でぐったりしていた胃を働かせ始める。早く早く次をと訴えかける腹に、まあまあ落ち着けとエールを流す。


「合うぅぅ……!」

「そっかそっか」


 ゴムが頷き、黙々と口に入れ続けているアレーナを満足げに眺めて、そわそわしているトグにも一皿出してやった。


「いいんですか?」

「おう、後学のために食っとけ」

「ありがとうございます!」


 トグが上品な仕草で真っ黒な肉を口に入れ、「あ、美味しい!」と顔を綻ばせる。その時だけアレーナが皿から顔を上げて彼を凝視する。アレーナが食事に目を戻すと、トグがちらりと流し目で彼女を見て、含み笑う。怖い。黒く染まった唇が血に見える。


 こいつらに挟まれるのやだなあ、と思いながら木の根を食う。こっちも、じっくり煮込まれて味が抜けていそうなものなのに、なぜか生で食っていた時より味が濃い気がする。流石は根っこだからか、煮汁をたっぷり吸っているらしい。噛むたびに熱々のスープが滲み出す。待ちきれず飲み込む前に芋も追加した。こっちはほくほくで、表面は黒いが中は真っ白。そのコントラストが美しい。肉や根っこに比べて味が染みていないが、そのやさしい甘みにホッとする。


 ホッとしたところにエール。


 バチバチ弾ける炭酸と苦味、暴力的なまでの麦の香り。じわりと熱くなる喉。ああ、また肉が欲しい。塩気と辛さに蹂躙じゅうりんされて、それをすぐさまとろっとした肉汁が癒す。でもまだ辛い。舌が熱い。ああ、酒が欲しい。ああ、でもそうしたらまた肉が、根っこが、芋が、酒が、ああ、嗚呼――





 空腹がおさまるまでしっかり肉と酒を繰り返したら、少し気持ちが落ち着いた。いつの間にか脇に置いてあったパンを、皿のスープにひたして食べる。元々ニンニクバターで焼いてあって美味いが、この味がまた汁と合う。


「いや美味えよゴムのおっさん。これ、このチュアってやつ狩ってきたらまた作ってくれんのか? 俺、狩人に転職しようかな……」

「何言ってんだ、馬鹿」


 ドワーフが髭を揺らしてくつくつ笑う。


「だってよぉ……」

「お前ががっついてる間にトグを本部にやって調べさせたんだがよ、チュアはこの辺じゃ珍しいが、南の方だと山ほど湧いて困るような害獣らしい。どうにか仕入れといてやるから、お前は宝探しに行ってな」

「え、おう」


 目を丸くして頷くと、ドワーフはにかっと笑って言った。


「冒険士ってのは、衣食住よりロマン優先なろくでなしであってこそだろうが。俺はそのロクでもねえ価値観をぶっ壊す飯を作るのが楽しくてここで働いてんだ。早々に張り合いのねえこと言い出すようじゃ困るんだよ」

「……おう!」


 ガツンと気合が入ったローデは、満面の笑みを浮かべて言った。


「そういうことなら任しとけよ、ゴムのおっさん。またおっさんが見たこともねえすげえやつ狩ってきてやっから!」

「いや、それは期待してねえ。大体、お前の持ち込みはいつも、どれも、これも、おかしいんだよ。今日はたまたま上手くいっただけだろうが。この間なんて……」

「よっしゃあ、気合い入った!!」


 ローデが叫んでジョッキを突き上げると、全然話を聞いていなかった周りの冒険士達がなんとなくわあっと盛り上がった。ゴムが「おい、聞けよ……」と言ったが、次はアレーナをどう翻弄しようかと悪い顔で考え込んでいるトグを含め、誰も聞いていない。呆れ顔のドワーフは、やれやれと肩を竦めて自分の分の肉をたっぷり皿に盛った。



〈完〉





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冒険士ギルドの持ち込み食材飯 綿野 明 @aki_wata

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