第12話 精霊たち

(どこか出られるところはないかしら……)

ピティは窓辺に近よった。

何重にも重なりあっている分厚いカーテンを押し上げてみたけれど、窓には鍵らしきものは見つからず外からも内側からも開けられない仕組みになっていた。

(トランクが無い。伯爵に持っていかれたのかも……)

大事な秘宝が入っているはずの木製のトランクが見当たらない。しかし、ピティはそれほど気にしていない様子だった。


 しばらくすると、奥側にある扉がノックされて召使いの女性が二人と剣を待った騎士が三人入ってきた。

「失礼いたします。雨に打たれたままの衣装では風邪を召されてしまわれます。どうぞこちらにお着替えなさってください」

 差し出された衣装は清楚であったがとても上質な素材であることはすぐにわかる。ギルガンド王国は絹の名産地だった。

 ピティもびしょぬれのままでいるのはつらかったので着替えることにした。

召使たちが手伝おうとしたので断ろうとしたものの、ドレスの肩ひもや帯のとめ方がよくわからず、手伝ってもらうことになった。

召使たちはピティを椅子に座らせられると髪の手入れまで始め、三つ編みはとかれ入念にくしけずられていく。夕日の色をした長い髪は滝のようにさらさらと流れるようで、美しい宝石がきらきらとかがやく髪飾りまで付けられた。

「ピティ様、お鏡をどうぞ」

大ぶりな手鏡をわたされた。この鏡にも大そうな彫刻や小さな宝石がたくさん付いていて、ピティの細い手には、ずしりと重かった。

「……」

 鏡の中には、まるでおとぎ話の中からぬけでてきたような美しく高貴な少女の姿があった。ピティは自分でも、こういう格好をするとお姫様というものにみえるのだなぁと感心していた。

 こんな危機的な状況で、おしゃれを楽しんでいる場合ではないことはわかってはいるのだが、この着飾った姿をストーンに見せてみたいとか、自分のことを美しいと思ってくれるだろうかと思わずにもいられなかった。

 ふと現実に戻ると、豪雨であふれかえっていた川の中に落ちてしまったストーンはどうなったのだろうという不安がわき上がってくる。

(ストーン君は水泳は得意だったはず。でも、伯爵の攻撃で気を失っていたと思う)

あれほどの高さの橋から落ちて、はげしい水の流れの中からたすかることは不可能にみえる。

 ピティはかなしくて、召使たちが持ってきてくれた夕食も食べる気にはなれなかった。雨に打たれたせいなのか、ピティは体調をくずして熱を出してしまった。

(ストーン君に会いたい……生きていてほしい……)


 あわてて召使いたちがやって来た。

「明日には、伯爵様はここを出発されます。ギルガンドまでの旅は長くかかりますので、お薬をお飲みになられて早くなおしてくださいませ」

 ピティは、とらわれているとはいえ丁重に扱われていた。本当にピティの体を心配しているかどうかはべつにしても、少なくとも無事に国までつれて帰ってギルガンド王にささげなければならないのだった。

 ピティは捕らわれたままギルガンド王国の野望に利用されるくらいなら、このまま熱にうなされて果てたいと思い薬を飲まなかった。



(どれくらい眠っていのだろう……)

目を覚ましたストーンは呆然として天井をながめていた。屋根を見上げると簡単な造りで、どこかの小屋か倉庫といった感じであった。

耳をすませると遠くで水の流れる音がかすかに聞こえてくる。

(あの河川の近くなのだろうか?誰がここへ運んでくれたんだろう。

それとも敵に捕まったのか?

それにしては手足は自由じゃないか)

身体を起こそうとしたストーンは、右肩に猛烈もうれつな痛みを感じてまた倒れた。

「まだ動かない方がいいですよ……」

小さい声で誰かがそういった。

聞き覚えのある声のように思えるけれど誰の声なのかはよくわからない。

「誰だ?」

 声がした方を振り向こうとするけれど、右肩に激痛が走って出来なかった。

「こちらを向いたとしても姿は見えはしません。私は風の妖精ですから……」

(なんだって? 風の妖精?)

ストーンは驚きのあまり痛さも忘れたかのようにとび起きてふり返った。

かあさん?まさか、ここは……、天国かどこか……?」

「そんなに驚かれても困ります。その肩の傷はかなりひどい、骨にひびが入っているかもしれませんから動かさずにいたほうがよいですよ」

「どうしてかあさんが?」

「違います、私は実体を持たない風の妖精なのです。あなたのははの姿に見えているとすれば、それはあなたがえがいているただのまぼろしです」

「そんなはずはない。かあさんの声だ」

「そうではありません。そう聞こえているのなら、それはあなたに聞こえている幻の声なのです。私たち妖精は声を持ちません。あなたの心の中に直接、話しかけているのですから」

「そんな、信じられない。たしかにそう見えるし、そう聞こえるよ」

「人間には私たちの姿は見えません。たとえば、大気の精霊は透明な女性の姿に見え、水の精霊は美しい少女の姿に見え、炎の精霊は燃えさかるトカゲの姿に、そして、土の精霊はひげをたくわえた老人の姿にみえるといわれるのは、人間たちがそのような幻をみているからなのでしょう」

「昔、父さんがそんなことを言っていたなあ。それより、俺はどうやってたすかったんだ?」

 妖精は、ストーンが川に墜落ついらくしたのを見ていたらしい。激流の中からストーンを助けたあと、この山小屋に運んで手当をしてくれたようだ。

「大気の精霊と水の精霊はお互い相性が悪くはありません。水の精霊たちは、あなたの命をうばわずに、すぐに私のもとへ渡してくださいましたよ」


 ストーンが見つめていた場所にはしだいに何も見えなくなっていった。

冷静さをとりもどすと、ははの声には聞こえなくなっていく。耳で聞こえているのではなく、言葉が直接、頭の中に入ってきているのがわかった。

そもそもストーンは物心がついたころにはすでに母はなく、その声を覚えてはいなかったのだ。

「それより、伯爵の居場所を教えましょう。伯爵は、あの少女を連れ去ってディルガ城にいます」

「なんだって。すぐ近くじゃないか。まだ、そんなところにいたなんて」

「そうです。伯爵は首尾よく少女を手に入れたものの、ここはスコル国内。アンタレス大公の反撃にあってギルガンド軍も一歩前進しては一歩後退しています。伯爵は手近な城で待機しているのです」妖精は戦況を説明してくれた。

「ただ、いつまでもそこにいるとは限らないでしょう。ギルガンド国内まで脱出されてしまうと、もはや少女を取りもどすことは不可能になります」


「どうしたらよいんだろう……?」

「私ができるのはここまでです。私たち精霊は人間界に余計な手出しはしてはいけないという大自然のことわりがあるのですよ。ただギルガンド王国には、その決まりから外れた炎の精霊がいます。十分にお気を付けなさい」

「炎の精霊だって?」

「本来、精霊たちは心を持たない。しかし、その精霊は、人間の魔導師に召喚されてしき心を与えられた。魔導師とはギルガンド王、その人です。そして、炎の精霊はその忠実な臣下として、彼の野望の手先となったのです。炎精霊サラマンドラの名は、ブロンクス。今回の戦乱もピティさんがさらわれたことにもブロンクスがかかわっています」

「たいへんじゃないか、大公に伝えない……」

「アンタレス大公に伝えたとしてもすぐには信じてはくれないでしょう。

今、彼女を救い出せる人は、ストーン。あなただけなのです……」


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