第3話 そよかぜ

 風が吹き抜けていく。

さわやかで、やさしい、そよかぜだった。


 草叢くさむらに寝転がっていたストーンは、じっと大空を見つめて、ゆっくりと形を変えながら流れていく雲を眺めていた。

まっしろな雲はいくつもの大陸や島を形どっているように見えて、まるで空に描かれた世界地図のようだ。


 風は強さを増していった。

木の葉を舞い上げ、草木を揺るがし、あたり一面を吹きぬける突風となった。

視界がさえぎられて、青い空や白い雲も見えなくなったストーンは、強烈な一陣の風が大陸や島々を揺るがしたように感じた。

「烈風……だ」

体を起こして、風に飛ばされないように手足をふんばる。その背中にとても力強いエネルギーを感じ取っていた。


「俺もこの風のように強く吹きぬけていきたい!」

ストーンは風に吹かれながらそう叫んだ。


 浜辺で暮らしていたころよりも背が伸びていたので、もし父が生きていたとすれば、ほとんど同じくらいの高さになっていたかもしれない。

ストーンはたくさん食べるが、それ以上によく駆け回っていたので、細身ながら骨格にはしっかりとした筋肉がついている。動物でいえば、ひょうや狼のような印象であった。髪色は、この浜辺の民に多い黒に近い色。肌はかなり日焼けしていて元の色はよくわからなかった。

不運な境遇にはあるが、その表情にはいつも陽気さがうかがえた。



「また~、さぼっている! ストーンくん、練習はどうしたの?」

夕日の色の背中まで届く長くてやわらかそうな髪を三つ編みにした美しい少女が近よってきた。素朴でおとなしそうな服装だ。質素な服だがよく手入れされているのか清潔感はある。潔癖で丁寧な性格なのだろう。

 

 少女の名前は、ピティという。年齢は、ストーンと同じかやや幼くみえるが、態度はストーンの姉か、お嫁さんを気どっているような感じだ。

おとなしそうだけれど明るい性格なのだろうか、ピティといっしょにいると周りの人たちも楽しくて幸せな気分になるらしい。じっとすましている時は、ふれると消えてしまいそうな幻のように、はかなくて高貴な美しさがあって、もしも背中に白いつばさがついていたら、彼女はまさしく天使にちがいないと思ったことだろう。


「ピティちゃん。もうお昼?」

あわてて身を起こすストーン。


「おさぼりさんに、あげないわよ」

ピティは持っていたお弁当をあわてて背中に隠してしまった。

少女は舌を少し出して、ベッという仕草をした。


「居眠りしていたわけじゃないぞ、すこし空を見て考え事をしていただけだよ」

ストーンはさぼってなかったという説明をはじめた。


「お空を見ていたの?」ふと少女も天を見上げた。


「そうだよ。あの大海を渡ってさっそうと飛んでいく海鳥のように、この空を流れて行く雄大な雲のように。世界中を思いっきり駆け巡りたい」

少年のきらきらと輝く瞳の中には世界が映っていた。


「ふーん、ストーン君って、旅人になりたいの? 冒険者みたいな? 」

ピティは少年の瞳の中をのぞきこむように近よってきてたずねる。


 かわいらしい女の子の接近に少しどきどきとするストーンのことを気にもしないで、ピティは少年の瞳の中に何か宝物でも入っているのではないかと探したくて熱心に見つめていた。


「なにか、見えた?」


「わたしが見えた」


「ピティちゃん、近づきすぎ……」


「なにを照れているの、ストーンくん。かわいい! わたし、ストーン君の瞳の中には万華鏡のようにいろんな世界が映っているのかなぁと思ったのだけれど。そんなわけないか……」


「そだね。そんなわけないよ。せっかく、俺の夢を話そうかなあと思ったのに」


「あっ、聞きたい、教えて……」


「うん、いいよ。俺、冒険の旅にでる。そして、この広い大陸を風のように吹き抜けて行きたいんだ!」


「風なの?それなら、さきほど吹いていたすごい風。なんというのだっけ。烈風……みたいな、世界を揺るがせるくらいの風になってね」


「えっ、烈風? さきほど吹いたあの風のような? 」


「うん、わたし、あなたが英雄とよばれるくらいの立派な人になってくれるって信じているの」


「英雄かぁ。そうだなあ、ただの一国の王だけでなく、この大陸全土の大王にでもなってみせようかな」


「べつに王様じゃなくても。英雄は、たくさんの力やお金を持つことだなんて思わない。たぶん、英雄がたくさん持っているのは、いくら分け与えても尽きることのない希望と、両手いっぱいでも抱えきれないほどの皆の心なのじゃないのかな」


「なるよ、俺。かならず……」


「きっとよ、約束。ねっ?」


「よし、なるよ……かならず。えっと、ピティちゃん。俺が英雄になったら……、君を花嫁に迎いに来る! 」


「うん、待っているね。王様のお嫁さんって、お妃様よね。わあ、どうしよう?」


「どうする?」


「だいたい、ストーンくんが王様になんか成るはずないでしょ」


「えっ、ピティちゃんが言ったのに……」

ストーンは、風のようにすばやく飛び起きると、あっという間に少女の後ろにまわりこんだ。「弁当、見つけた!」


「そうそう、さぼっているのじゃないかって……先生が怒っていたわよ。早く食べて先生の所へ行きなさい!」


「パクパクパクッ。あっ、もう食べたよ」


「ばかっ、せっかく手間をかけて作ったのに、ちゃんと味わってよ」


「うっ、冗談だって。食べたふりしただけだよ。ピティちゃん、早く食べろと言ったじゃないか」


「まったく、ストーンくんって、何もわかってないのだから、もう~」


 ストーンとピティは、生まれてからずっといっしょに育った兄妹か幼馴染のように仲良しだったが、出会ってからまだ一年もたっていなかった。初めて会ったときから、不思議とお互いにとても気が合うのだった。

ずっと昔から知っている気がする……、ストーンはそう思うこともあった。


 ドラッケン先生の知り合いの娘さんで、外国に住んでいたのだけれど、家族を失ったというような事情があるようで、この国に来ることになり、先生がしばらの間、あずかることになったらしい。


 ドラッケン先生といっしょに港まで迎えに行ったのがまるで昨日のことのようにはっきりと思い出せる。海風にゆれる夕陽のような美しい長い髪、清楚なまっ白のドレス。

 すこし緊張した表情をうかべた可愛いらしい横顔、手には旅の荷物がつまっている上等そうな木のトランク。外国の船から下りてきたピティの姿を初めて見たとき、ストーンは口をポカンと開けて見とれていた。

 ひとめぼれとは、そういうものなのかもしれない。


 その女の子とこうしていっしょに過ごせることは幸せなことに違いない。

わいわいと楽しく食事をすませると、ストーンは剣術の練習に戻って行った。

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