第一部

第1話 風の少年

 夜も明けはじめたころ、砂塵を巻き上げて海岸を駆けていく少年がひとり。

何かに追われているのだろうか、それとも何かを追っているというのか。

辺りはまだ薄暗く寒いというのに、全速力で走っていく。

「今日こそ……親父おやじは帰って来るはずだ!」


 少年の名は、ストーン。

この国の言葉で嵐や強い風という意味をもつ名前だ。


 なんだか、今日は親父たちの船が帰って来そうな気がする……、

眠そうな目をこすりながら家を飛び出してきた。


 浜辺から潮風に乗っていそのかおりがただよってくる。

風がはげしく海面をたたき、波のはねる音が大きくひびきわたった。

港町ファングの海はんでいて、どこまでも青い景色が広がっていく。


 早朝の浜辺は、仕事から戻ったばかりの漁師たちでにぎわっている。

港には、ひときわ大きな漁船が停泊していた。精悍せいかんな顔つきをした中年の男が、木箱をいくつも肩にかついで船からおりてくる。ほかの漁師たちにいろいろと指示を飛ばしている。彼はこの一団のおさなのだ。名前は、ロックス。


親父おやじ、おはよう……たくさんとれた?」

少年は元気よく声をかけた。父に会えたのは何か月ぶりだろう。


「おう、ストーン。早起きだな。ほら、このとおり大漁だ」

肩にかついでいた木箱を地面に置くとふたを開けて見せてくれた。今にも飛び出してきそうな勢いでたくさんの魚たちがはねまわっていた。


「すごい、たくさんだね」

ストーンはうれしそうに魚を見ていた。


今朝けさに帰ってくるとよくわかったな?」


風の精霊シルフィードが教えてくれたよ」


「ほお。時々、不思議なことをいう。もしかするとお前には精霊使いの血がながれているのかもしれんな」


「精霊使いだって?」


「この世界は大まかにいうと四つの元素で出来ていると言われている。大気、水、火、土だ。それらをつかさどる精霊たちがいて、その力を使う能力をもつ人間もごくまれにいるのだ。おまえの母さんがそうであったように」


「母さんのことはおぼえてないなぁ」

ストーンは少しさびしそうな表情をした。


「おっ、それより、朝飯はまだ食ってないのだろ、とれたての魚の味見でもしてみるか?」

ストーンの父は小刀を取り出すと白金にかがやく美しい魚をさばき始めた。

 まずは刺身で味わい、続いて火をこすと貝などといっしょに大ぶりな鍋に入れた。香ばしいにおいが鼻をくすぐった。


「腹ぺこだよ。浜辺ですぐに焼いて食べるのが一番うまいね」

浜の潮風にまじりあって焼魚のよいかおりがあたり一面に漂いはじめていた。


「あっ、あの箱にはカニが入っているぞ。食べてみたいなあ……」

ストーンは積み上げられていた木箱のふたのすき間を見つめていた。


「あれはだめだ。あの箱は漁業組合に渡して、そのままリオニア行きだ」

父は大きく首を振った。リオニア王国は、この半島の北部全域に覇を唱える大国だ。


「ちぇ、リオニアに行っちまうのか。親父おやじたちがつかまえてきたというのに」


「そう言うな、国と国には大事な決まり事がある。ルールを守るから争いを防ぐようになっているし、守ることができなくて戦争になってしまうこともあるのだ」


「えー、カニ一匹で戦争になるんだ?」


「まあそれだけですぐに戦争ということにはならないが……。リオニア王国は大国だ。その気になれば、われらスコルの国などは、ひとひねりで滅ぼされてしまうだろう」


「そんな……」


「漁業ひとつでも多くの決まりがあってな、希少品のカニはリオニア王国が占有できる。うまいカニを食べてみたけりゃ、リオニアまで出かけて高いお金を払うしかない」


「つまんないな。今、目の前にあるというのに」


 ストーンたちが魚を食べていると、砂浜を一組の裕福そうな身なりをした親子が通りかかった。


父様とうさま、あの人たちはこんなところで魚なんて焼いて。まさか、フォークも使わずに手づかみで食べるつもり?」と子供のほうがたずねた。


「そのまさかだよ、モンスーン。ここの人達は、その日その日の釣りで生計を立てているのだ。生きて行くのが精一杯なのだ、わかるだろ?こんな場所で食べていたら、行儀が悪いとか、汚いとか考える余裕なんてない」

と、その父親モンテカルロきょうは答えた。彼は漁業ギルドの長であり、この港町ファングの領主でもあった。


「ヘェー、そうなの……何かすごいね。ぼくらには考えられない生活だね。でも、おいしそうに食べているよ」

 まだ幼い少年モンスーンは、ストーン親子の食べている魚を見て、うらやましそうにつぶやいた。


 すると父親は厳しい目線を向けて注意した。

「モンスーン!  おまえはこのスコル公国最大の漁船組合の御曹司おんぞうしなのだぞ。こんな下々のようなことはするな、わかったな?」


「はい、父様とうさま」とモンスーンはよい返事をしたものの、おいしそうな焼魚が気になってしかたがないようだ。



「なぁ、親父おやじ。あの見るからに金持ちそうな親子さあ、浜辺で食べる魚ほど新鮮でおいしいってこと知らないなんて、かわいそうだよなぁ……」

会話を遠耳に聞いていたストーンは自分の父親に言った。


「こらっ、ストーン。聞こえるじゃないか、わしら漁師たちは、あの方に世話になって暮らしているのだぞ」


「でもさ、あのガキのほうは何かこの魚を食べたそうにしているよ」

そう言うとストーンは父親が止める間もなく、その少年の方に駆け寄った。

ちょうどモンテカルロ卿は用事で別の方向に歩いて行ってしまったので、その場にはモンスーンが一人いるだけだった。


「お前、本当はこの魚を食べたいのだろ?」

ストーンがたずねるとその少年は遠慮がちに首を縦に振った。


「だろっ?やっぱり。これやるよ、食べなよ」とストーンは自分の持っていた焼きたての魚を手わたした。


「えっ?いいのかい?」と少年はおそるおそる魚をうけとった。


「こわくないよ、毒なんか入ってないからさ。熱いから気をつけて食べな」


「うん、いただきます」とモンスーンは行儀よく両手で持って焼魚を一口食べてみた。「うわぁ、熱い、やけどしちゃった」


「ハッハッハッ、だから、気をつけなって言っただろ……あっそうだ、俺はストーンっていうのだけど、お前は?」


「僕はモンスーンといいます。はじめまして」とまたまた礼儀正しく答えた。


「ほんとに良い所のぼっちゃんって感じだな」とストーンは笑った。


モンスーンの父親が戻って来て、見知らぬ子供と親しそうに話しているのを見て、あわてた。

「だめじゃないか。どこの馬の骨ともわからない子供と、……んっ? それにお前が今口にしている物は何なのだ?まさか、そいつにもらったのか?」


「でも、お父さま。これおいしいよ、それにこの子、いい子だよ。ストーン君っていうのだって」モンスーンは少しおびえながら小声で答えた。


「何を言っているのだ、だめだ、だめだ! そんな熱処理もされてない汚い魚なんぞ捨ててしまいなさい。さあ、行くぞ、モンスーン! 」

息子が大事そうに持っていた魚を取り上げ、地面にたたきつけた。半分だけ食べられた焼魚は無惨に地面に落ちたままだ。


「何するんだよ!魚がかわいそうじゃないか、この魚はせっかくモンスーンに食べてもらおうと思っていたのに」ストーンは言い返した。


「ふんっ、バカかね? 魚に気持ちなんかあるわけないだろ、かわいそうなのは魚ではなく、君の頭のほうじゃないのかね?」

言い捨てると、モンテカルロ卿は子供の手をひっぱって、むりやり連れて行ってしまった。

モンスーンはすまなさそうにふり返りながら、泣きそうな顔をして帰っていった。


「子供のほうは、いいやつかもしれないけどな。あれじゃ、友達もできないだろうな」


――― 竜王歴三〇七〇年、

ウォースター半島 スコル大公国 港町ファングにて


 のちに烈風王と讃えられる英雄もまだ、勇敢な父に憧れるただの少年だった。

風の少年ストーンとその父・ロックス、その朝の浜辺での一時ひとときが、この親子の大切な想い出となってしまった。

 ストーンはそれからも幾度となく、この浜辺を訪れただろう。二度と戻っては来ない父を想って。

 少年は海岸を走った、誰よりもはやく、誰よりもつよく駆ける。何かに追われているのではない、風の吹くその先にある何かをつかむために走っていた。

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