第13話「魔女の家」

 クレメントと二人で山道を歩きつつ、互いしかいないのに黙っているのも不自然で、逆に彼を妙に意識しているように思えて来た。そして、一度でも話してしまえば、川の堰を切ったように思いつけば話すことがいくらでもあった。


 確かにあまり口外しづらい始まりからだとは言え、私たちは一年ほどの間誰よりも近い距離に居たのだ。共通の話題は、見つけようと思えばいくらでもあった。


 もし、まだ彼を好きなままなら。


 こうして、一緒に居るのは辛かったかもしれない。けれど、もう私にとっては、元彼であるクレメントはすっかりと過去へとなってしまっていた。


 いくら最低な人だとは言え……落ち着いて考えれば、ほんの少しだけど同情できる余地はあった。


 クレメントの心中にある、ランスロットへのひりつくような対抗心は、それを持ち続けている自分が一番辛いのかもしれない。


 それを上手く処理できないままでクレメントは、自分にその感情を湧かせるランスロットには何の罪もないとわかりつつも、彼を気に入らないという気持ちを抑えることが出来ない。


 同じ立場に居るけれど、彼らの性質の違いで役割なども違うのだろう。向き不向きは、仕方ない。私が見ても、いくら戦闘では強くても我慢強いとはとても言えないクレメントは指揮官には向かないと思う。


 適材適所だ。彼らの上司だって、そう判断するはずだ。


 そして、これもランスロットのせいでもないんだけど。次なる王となる王太子にも気に入られている様子のライバルを見て、クレメントは自分が優秀だからこそ、より嫉妬の気持ちを止めることが出来なかったのかもしれない。


 思わず「あいつが嫌だと思う事なら、何でもしてやろう」と、黒い憎しみの気持ちに変わってしまうくらいに。


 そして、こうしてやけに冷静に事の次第を分析出来るのも……何もかも、私はもうクレメントの事が、そういう意味では好きではないからだ。


 それは、一緒に歩いている彼も重々にわかっていると思う。自信家の彼には珍しく、時折寂しげな目をすることがあったから。


 それを見て、心の何処かには彼を慰めたい気持ちがあった。この人は紛れもなく、私が前に好きだった人だった。


 でも、何もかも。もう、終わってしまったことだ。



◇◆◇



 ようやく途切れた緑の枝葉を抜けて、小さな広場へと辿り着いた。そこに建てられた、いかにもな苔むした石造りの建物を見て、私はすぐ後ろから着いてきていたクレメントを振り返った。


 彼は私の言いたいことを察して、微妙な表情で口を押さえた。


「あー……これか。なんか予想より……めちゃくちゃ、ボロくね? 不便だし……こんなとこに、良く住んでんな。まあ、それは良いか。ディアーヌは俺の後ろに居て、黙っててくれ。殿下から、魔女に渡す書状は預かっているから」


「わかった」


 私が神妙な表情で頷いたので、クレメントは吹き出して笑った。


「あれ? さっきまでの勢い、どこ行った? 絶対に、ランスロットを元に戻したいんだろ?」


 揶揄うような口調で、クレメントは笑った。


 これが、普通の事なら。さらっとして、私は言い返せたはずだ。けれど、私はどうしても、ランスロットに元に戻って欲しかった。私の事を好きだと言ってくれた、彼に。


 そのまま。何も言えないままで唇を噛み締めた。彼を見つめたままの私に、クレメントは見間違いでなければ、今まで見たこともない切なげな顔になった。


「……そんな顔、すんなよ。ここの魔女は、なんか亡命に近い逃げ方をして東の地を出て来たらしいから……この国のレジュラスの王太子の、直々の要請には従うだろ」


 苦い顔で眉を寄せて、くるりと体の方向を変えてクレメントは先に魔女の家の扉の方向へと歩き出した。私は、慌てて大きな背中を追う。


 どうか、引き受けてくれますように。空に祈るような、気持ちだった。


 ここに来る間に、ランスロットのことを考える時間はいくらでもあった。だから、私はあまり気が付きたくない事実に、気がついてしまっていた。


 もし、ラウィーニアがコンスタンス様への恋する気持ちをなくして仕舞えば、我が国の王太子の精神状態はガタガタになるはずだった。その間、政務は滞り国は回らない。政敵や敵国は喜び庭駆け回り、沢山の人が困る代わりに沢山の喜ぶ人が居るはずだ。


 国の一大事と言って、差し支えない。


 けれど、今現在。筆頭騎士の一人、ランスロットが私への恋する気持ちを失っている状態なのが、耐え難いと思っているのは……多分私だけだ。ランスロット本人は、そもそも私の事を気持ちを含めすべて忘れているので、彼が次の恋をすれば全て解決しちゃう。


 魔女が引き受けてくれなかったら……ただただ、私一人が泣くしかないという、とても悲しい状態……だった。


 先を行くクレメントは、ドンドンと大きな音をさせて扉を叩いた。中から迷惑そうな声が響き、私たちは息を殺して彼女の登場を待った。


「……なんだい。あら。良い男」


 私の思い込みで魔女というからには、歳を重ねていると思っていた。けれど、クレメントを一目見た途端に目の色を変えた女性は若く、簡単に言うととても綺麗な人だった。焦茶色の緩く巻いた髪に、同色の瞳。整っている顔の造作は、陶磁器で出来ている人形を思わせる。


「突然の訪問を、失礼します。私は、レジュラスの王宮騎士団の筆頭騎士クレメント・ボールドウィン。同僚の一人が、東の地に伝わるという呪術に掛けられて居ます。こちらが、我が国の王太子からの助力を願う書状です」


 俺様クレメントが、真面目に仕事している。


 何だか、私は背中がむず痒い気持ちになった。いや、もちろん彼だって時と場合を考えて口調を変えるだろうし、仕事中はそうなんだろうけど、私たち二人は、お互いに私的な時間を過ごす事が多かったから。


「ご丁寧にどうも……私はグウィネス。おや。こちらのお嬢さんは?」


 クレメントから白い手紙を受け取りつつ、魔女のグウィネスは、彼のすぐ後ろに居た私に気がつき不思議そうな顔をした。黙ってお辞儀をした私に、会釈を返す。


「……それも、手紙に。王太子殿下は自分の婚約者を庇っての事故なので、報酬はある程度は保証すると」


 グウィネスはそれを聞いて、急いで手紙の封を開け、手紙に目を走らせていた。何故かクレメントが、そんな様子を前に私に軽く目配せをした。


「なるほどねー……この呪術は、確かに東の地のもので間違いない。古いもので、使える術者も少ないはずだ。レジュラスの王太子の婚約者に掛けようとは、考えたもんだね。攻撃系のものではないから、ある程度の検知式の魔術も、すり抜ける事が可能……でも、二度目はない。それがわかっているからこその、手口。それも、媒体に子どもを使うとは、ひどい畜生も居たもんだ」


 多分リーズからの詳しい経緯の説明とコンスタンス様からの直々の要請が書かれた手紙を読み終え、グウィネスは眉を寄せ、難しい表情になった。


「解くことは、可能ですか」


 クレメントは静かに聞いた。グウィネスは、それを聞いて眉を寄せた。


「……可能では、あるよ。あんたんとこの魔術師が、有能で助かったよ。この子を忘れていて、それを思い出させるんだから、呪いを解く薬を作るには彼女がどうしても必要だったからね。この森を抜けるくらいの、根性のある女の子で助かったよ。私は、これから薬を作る下準備を整えているから……あんた達に、頼みたい事がある。この近くにある沼に生える薬草が要るんだよ。しかも、採れたての新鮮なのが」


「……行くわ!」


 思わず大きな声を出した私に驚いて、二人は目を見開いて驚いていた。気合いを入れたことが恥ずかしくて顔を俯けると、グウィネスは微笑ましそうにして笑った。


「そんなに、好きなんだねぇ。こっちのボールドウィンさんも割と良い男だけど、そっちが良いのかい?」


「こちらは、元彼なんです。そっちが良いです」


 グウィネスは私の答えを聞いて、驚きにやにやとした笑みを浮かべた。彼女の中で何かが、俄然盛り上がったようだった。


「はー……こちらが、元彼かい。そんで、お嬢さんの事を忘れてしまった男の方が……良いと……」


「その……沼の場所を教えて貰って良いですか。早く取りに行きたいんで」


 クレメントは呆れた顔をして、何処か違う世界に言ってしまっているグウィネスに冷静に尋ねた。


 私もそれを、早く知りたかった。何なら、取るものもとりあえず、今すぐ走って行きたいくらいだから。

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