第12話「元彼」

 結論から言うと、私は彼らの職業である王宮騎士団の筆頭騎士という立場を舐めていた。


 この森に棲む魔物たちは、当たり前の事なのかもしれないんだけど木の属性が多いようだった。クレメントが何やらぶつぶつと呪文を呟き、次々と放たれる火の玉や激しい炎を纏う剣で繰り出される技は凄まじい。


 リーズが一人での任務は彼であればと推薦したのに、コンスタンス様が渋っていた理由は、私と彼の関係性だけだということは良くよく分かった。


 複数の魔物相手だとしても、すぐさま対処してしまえるくらいにクレメントの強さは本当に、圧倒的だった。特攻と言っていたし、相性の問題も、あるんだろうけど。


 私たちの目指す魔女の住処は森の奥にあり、そこは沢山の制約のある移動魔法では行けない。


 東の森は鬱蒼とした緑深い森で、狩人くらいしか通らないだろう獣道はとても整っているとは言えない。気をつけていたはずの私が、木の根に足を引っ掛けて、転びそうになったところをクレメントは咄嗟に二の腕を持って支えてくれた。


 彼の悪行が頭を掠めどうしても顔を顰めてしまうのは、仕方ないとしても。転んでしまいそうだったのを助けてくれたのは、確かだ。


「……ありがとう」


 とても感じの良い感謝だとは言えないけれど、彼も自分が過去何を仕出かしたかを思えば文句は言えないと思う。


「……悪かったよ」


「謝られても困るから。もう、謝らなくて良いよ」


 大袈裟なくらいにプイッと顔を背けて歩き出した私に続いて歩き、クレメントは苦笑しつつ言った。


「ディアーヌ。お前……前から、そんな性格だったっけ。それだったら、俺もお前とまだ一緒に居たかも。なんで、あんな大人しい感じの言いたいことも言えなさそうな猫かぶってたの?」


 クレメントの心底不思議そうな言葉に、怒りで頭が沸騰しそうにはなった。今は他人とは言え、そんなこともわからない人だったんだと思うと。


 私は一回大きく息を吐き、なるべく心を落ち着かせて言った。


「……好きな人には、好かれたかったからに決まっているでしょ。私が、一番良いと思う自分を見て欲しかったからよ」


 魔物の多い森の中で周囲を警戒しつつ彼は、私の横をゆっくりと歩いた。


 ちなみに今は乗馬時のような長いズボンを着て動きやすい格好をしている私は、これでも自分では早く歩いているつもり。どんなに腹を立てても、足の長さはどうしようもない。だからと言って急に伸びたら、怖いし。


「……それって、一般的な話? 俺は黙って訳もなく、泣かれるくらいなら。なんでも思っていることは、明け透けに言ってくれる女の方が好きだけど。あいつ……ランスロットは、どうだろうな」


「それって、どういう意味……?」


「そのままの意味。でもあいつ、お前だったら何でも良いんじゃね? 俺と付き合ってた間も、お前が傷つく事を一番に気にしていたみたいだし?」


 多分、クズなクレメントは「ディアーヌが傷つくけど、それで良いのか」みたいな事を言って、真面目なランスロットの事を傷つけて楽しんでいたんだと思う。本当に最低。


 でも……そうか。ランスロットには、どうせ仲の悪いクレメントへの嫌がらせの一環だと思って、最初から素を見せていたかも。口説かれようとしていた場面で頬を摘んでも、笑ってたくらいだし。


「……ありがとうね。クレメント、私と付き合ってくれて」


 なんだか自分の中で、スッと色んなことが整理出来て。何だかすっきりした気持ちで私がそう言うと、クレメントは大袈裟に顔を顰めた。


「……は? 俺がやったこと……わかってるよな? この前に聞かれた通り。お前に声を掛けたのは、ランスロットに嫌がらせしたかったからで……」


「そう。それは、わかってるわよ。でも……もしかしたら猫被っている状態の私だと、ランスロットとは上手くいかなかったかもしれない。最初から素のままの自分で居られたから。そういう意味での、感謝。別れた時は、本当に最低な意味のない恋だったと思った。でも、次にランスロットと上手くいくための恋だったのかも」


 クレメントとランスロットは、立場上同じ筆頭騎士だし顔貌も双方タイプは違えど、とっても整っていると言って差し支えない。


 だから、こう思ったのだ。クレメントが声を掛けずに、ランスロットと付き合っていたとして。私はやっぱり、彼とどうしても別れたくなくて嫌われたくて。猫を被ってしまったかもしれない。上手くいかなかったかもしれない。


「あー……俺と付き合っていた事が、ランスロットと始まる前に踏み台にされたってこと? はは。大した女だわ」


 クレメントは、面白そうにそう言った。


 そうだ。誰とだってこういう風に、付き合った頃から本音でぶつかっていたら? ううん。クレメントとの事はもう既に終わったことだし「もしも」を考えるなんて、無駄なことだ。


「踏み台っていうか……人生に無駄なことなんて、ないんだなって思ってたとこ」


 そう思った。木々が密集している深い森の中では、明るい陽の光は届き難い。茶色い葉っぱに埋もれた足元は見えづらい。でも、しっかりと自分で地面を踏み締めて歩いて行くしかない。


「はは。それは、光栄だわ。俺も……ランスロットの事どうこうなくて、付き合っている間はディアーヌのことは可愛かったよ。お前が好きで居てくれたのは、わかってたし? まあ、でも……」


 そこで言葉を止めたクレメントは、何とも言えない顔をした。


 でも私は別れた理由が他に何かあったとしても、特には知りたくなかった。もしかしたら別れた直後の私なら知りたがったかもしれないけれど、あれから随分時間が経っていた。


 激しい恋の炎が消えて燻っていた熱も、もう綺麗に冷めてしまうくらいには。


「ねえ。クレメントって、なんでランスロットの事をそこまで意識しているの? ランスロットは、そんなにクレメントの事をどうこう思ってなかったみたいだけど……あんな事、されたのに」


 言外に私が言わんとした事を察したクレメントは、大きく顔を歪めて息を吐いた。


 きっと彼だって、わかっている。真面目なランスロットはクレメントが私が付き合い始めても、ひどく傷付けられたというのに。自分の事を置いてでも、私の心配ばかりしていたんだと思う。そんなランスロットを嫌う理由が、私にはわからなかった。


「……騎士学校の頃から、あいつの事は嫌いだった」


「嫌いって……そんな理由?」


 どこか投げやりに放たれた言葉に対して、私は呆れた。騎士学校への入学は十六歳からだ。初等学校の話では、ないもの。


「そんな……くだらない理由だよ。虫がすかない。何でも涼しい顔をして簡単にやり遂げる癖に、嬉しがる様子もない。そういうのが、ムカついたし嫌だっただけだよ。そんなもんじゃね? 嫌いなやつとか。ディアーヌだって、性格の合わない貴族令嬢の一人や二人居るだろ」


「そりゃ、居るけど。だからと言って、嫌がらせが過ぎない?」


 その程度の理由で声を掛けようとしていた女の子を事前に知っていたからと、横取りするなんて全く意味がわからない。


「嫌いな奴に、一泡吹かせたかっただけだよ……まー、別に思った程にはすっきりもしなかったけど? そういう経緯で付き合い始めたディアーヌは確かに可愛いけど、信じないかもしれないけど罪悪感は俺も一応あったし。ランスロットは、お前の心配ばかりしてたよ。嫌味を言えば、大事にしてやってくれってさ……お前、あいつになんかした?」


「……知らない。あんな人に会えば、流石に覚えてると思うし。本当に、クレメントって……子どもっぽい。なんでこんな人、好きだったんだろう?」


 私が彼を見上げて口を尖らせると、クレメントは大きな声で笑った。


「あー……そう? 俺はお前と別れてから、やっぱり寂しかった。ディアーヌは可愛かったし。惜しい事したなって。一年も付き合ったしなー……俺は復縁しても良いよ。事情を知っても、お前が良いって言えば」


「もう、騙されない」


 苦手な虫を見るような目を彼に向ければ、クレメントはわざとらしく流し目をして肩を竦めた。


「まー……王太子妃が、ライサンダー公爵令嬢に決まったのは、確かに大きいけどさ。ランスロットに飽きたら、いつでもどうぞ」


「絶対に、それはないから。ちょっと……ランスロットを元通りにするのを、邪魔するのだけはやめてよ」


「良いじゃん。俺だって筆頭騎士の一人で、あいつとは同じで。それなりに好きだったろ?」


「最低な中身を知って、すぐ冷めた。今は何とも思ってないから。それにはっきり言うと、私。外見は、ランスロットの方が好みなんだよね」


 私がピシャリとそう言えば、クレメントは胸を押さえて傷ついた演技をした。


「えー……あんなに好き好き言ってたのに、女の心変わりは一瞬だな」


「自分から別れるって言い出したんだし、当然でしょう。もう、騙されないからね」


 二回目の言葉に、クレメントは苦笑して頷いた。

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