9-3 the end of the beginning(3)

 自分の命より。

 やっと会えたなつかのことより。

 遠野と二度と会えなくなること、それがすばるにとって一番キツいことだと思った。

(死にたくない! お願いだから!!)

 心の中で叫ぶすばるの目の前で咽び泣くなつかは、すばるのよく知っているなつかそのものに見えた。遠野の腕の中にいるなつかを見ていたすばるは、何故か、胸が軽くなるほどホッとため息を漏らす。

 その時、二人の間から、ピーという電子音が鳴った。

 カチャン--と。丸い形状の爆弾が、バラバラに床に落下するのが見える。同時に、遠野の腕の中にいたなつかが、意識を失い崩れるように遠野にしなだれかかった。

「クリア」

 遠野の声が、狭い室内に響いた。その声に反応し、緒方が意識を失ったなつかを抱き上げる。

 はぁ、と深いため息を吐いた遠野は、すばるに向き直った。そして、未だカウントし続けるすばるのパイプ爆弾に手を添える。

「待たせて悪かった。今、はずしてやるからな」

 すばるは、小さく頷いた。

 不思議と恐怖心はなかった。

 立ち上がれないほど乗馬鞭で殴られ、首に爆弾を嵌められた時の方が、よっぽど怖かったように感じる。真っ直ぐパイプ爆弾を見つめる遠野の視線を追って、必然的にすばるは遠野の顔を覗きこんでいた。

「怖かったら、目ェ瞑っとけ」

「大丈夫。怖くないよ、遠野さん」

「すぐに終わらせる」

 遠野はにっこりと笑うと、すばるの髪をくしゃくしゃと撫でる。照れたように笑うすばると目を合わし、遠野は手にしていた小さな針金をパイプ爆弾の防爆の穴に差し入れた。

 --カチャン。

 首から響く電子音が、乾いた音を立てる。すばるの自由を奪っていた重さが一気に崩れていった。ドーナツの形状がバラバラと形を失い、床に散らばる。怖くはなくとも、やはり気を張っていたのか。体を支える糸が切れたように、すばるは腰の腰から力が抜け、床にペタリと座り込んでしまった。

「なつかは……。やっぱり、すばるが大事だったんだな」

 床の上に散らばった爆弾の残骸を見て、遠野が静かに呟いた。

「どうして?」

「起爆装置がない」

「え?」

 仕組みは分からなくとも、その言葉の意味は分かる。遠野の呟いた意外な言葉に、すばるは言葉を失った。

「すばるの爆弾には火薬の代わりに、砂が入ってる。ほら、色が違うだろ?」

 すばるの足元には、白い砂。海岸から採取したようなサラサラとした感触の砂が、すばるの服にひっついている。反対に。遠野が視線を投げたその先。なつかがいた場所には、黒い粉が散らばっている。

「おまえを殺す気なんて、毛頭なかったんだ、なつかは」

「……」

「本当に、なつかは。何もかも終わらせる気だったんだ」

 遠野の言葉が、すとんとすばるの胸に落ちた。変わり果てた、今のなつかの姿を忘れてしまうほど。毎日、一緒にいた頃のなつかの顔が、すばるの脳裏に焼き付いては消える。

「なんだ……よ。全然、変わってなんかいないじゃんか」

 なつかの核心は、さらに別なところにあった。

 それは、すばるのなつかに抱いた複雑な気持ちを後悔させるほどに。

 甘く、そして、苦しいほど優しかった。

 すばるの頬を、再び涙がつたう。

「ごめん……。ごめんね、なつか」

「すばる。もう、泣くな」

 声を押し殺して泣くすばるの背中に、遠野は腕を回した。今にも壊れてしまいそうに泣くすばるを、強く抱きしめる。

「ねぇ、遠野さん」

「なんだ、すばる」

「オレ、また、なつかと元に戻れるかな? なつかと笑って、家族になりたい。なれるかな?」

 声を震わせ、迷うようにすばるは言った。その言葉の中には、言葉を真実に変える揺るぎない芯の強さがある。

 すばるの写真を最初に見て感じた〝この子は、大丈夫だ〟という根拠のない刑事の勘。己の勘は正しかったのだ、と。

 すばるの核心に触れ、決意を感じ取った遠野は、すばるの髪をくしゃくしゃと撫でて言った。

「これからは、すばるが作るんだ。大丈夫。自分を信じろ、すばる」


✳︎ ✳︎ ✳︎


「入院生活も二度目っすけど、やっぱ、なかなか慣れないっすねー」

 じっと寝ていることが苦痛で仕方がないといった感じで、緒方が大きく伸びをした。何故か窮屈そうに見える病院の白いベッドが、緒方の動きに反応してミシミシと音たてる。

「頭カチ割られてんだろ? 大人しくしとけ」

「カチ割ら……て、ないっすよ!! あいつのナイフが頭に当たっただけっす!!」

「言い訳すんな。十分ホラーだよ」

「ホラーじゃないっす! スプラッタって呼んでください!」

「あのなぁ……」

 やたらと喋る緒方に、どこか拙いところでも打ったのではないか? と。遠野は真剣に悩んだ末、話題を少しを変えることにした。

「入院生活もあと三日だろ? 我慢しろ」

 伸びをする緒方の横で、真剣にりんごの皮を剥いていた遠野が言った。ついこの間まで、入院中に緒方と同じ行動をしていたはずの、張本人の言動。緒方は矛盾を指摘することなく、肩をすくめ「うぃーっす」と返事をする。

「なかなか、報道されないっすね」

「何を?」

「ブラッド・ダイアモンドっす」

「あぁ、あれな」

 遠野は、ペティナイフをふきあげながら曖昧な返事をした。皿の上には、ピンと耳の立ったりんごのウサギ。器用にもかわいいりんごをこしらえた遠野の核心に触れて欲しくない、そんな素振りの返答。緒方は一人半端ない〝蚊帳の外〟感を覚えて口をへの字につぐんだ。

「〝報道管制〟を敷いてるんだよ」

「また、本庁あそこが口出してんすか?」

「まぁな」

「確かに、あそこまで真実を隠しちまったら。もう後には引けないっすもんねぇ」

 初動も捜査の手法も最悪だったせいで、かなり早い段階から報道管制は敷かれていた。

 ブラッド・ダイアモンドの解体も、三ツ谷すばるの救出も。二進も三進も行かなくなった警察庁本庁が、捜査第二課長を通じてを内命を下したことにより解決した事件だ。今更、花々しく報道発表されるはずもない。

 電車での襲撃事件の配信や駅前で爆発、ホテルでも銃撃等。一連の事件がどういう理由により解決したのか、わからない人が多いのが現状である。実際、未成年を巻き込んだこの事件について、内々に処理されたのは言うまでもない。

 人の記憶は完全ではない。事件は風化し、忘れ去られていくのだ。しかし、その記憶は当事者や関係者に深い影を落とす。その埋められない乖離を、理不尽というのかもしれない。

 まだ若く、感覚が擦れていない緒方が理不尽を口にするのは、当たり前のことだ。しかし、警察官として長く命を受けている遠野にとって、緒方のいう理不尽さはすでに溶解して形もない。理不尽さを感じながら、核心に触れることを放棄した結果だ。遠野は緒方との間に生じた温度差を悟られぬよう。曖昧な返事をした。

「おっと、おまえと遊んでる暇はないんだった」

「……すばるですか?」

 徐に椅子を立ち、荷物をまとめる遠野に、緒方が小さく声を発する。

「あぁ、送ってやらなきゃなんないからな」

「すばるに『また逮捕術やろうな』って伝えください」

「おう。緒方! 俺が帰ってくるまで、くれぐれも安静にしとけよ。緒方」

「了解っす!」

 緒方の元気な声に返事をすることもなく、遠野は足早に病室をでた。滑るように階段を降りると、病院の正面玄関に止まっている白いセダンが目に入る。

 自動ドアが遠野の体に反応するのを僅かにまっていると、運転席にいた男が車外へと出てきた。

「待ったか? 市川」

「いえ。今着いたところです」

「復職後早々、悪いな」

「いえ。私の怪我は、大したことはありませんでしたから」

 そんなことはない--。

 要塞化した廃屋から引き上げた遠野がアジトで目撃したのは、室内で意識を手放し倒伏した市川の姿。明らかに被弾したと見てとれる華奢な体からは、ゆっくりと血液が流れ出していた。

 緒方同様、救急搬送された市川は、受傷した怪我が半ば癒えると、早々に退院し職場復帰を果たす。市川は復職後、なつかのサポートを自らかって出た。本務である会計業務と並行して行う、被疑者の観察。未だ完璧には癒えない身体を酷使する市川は、有無を言わさぬ穏やかな表情を遠野に向ける。

(こんな顔をする時は、市川に何言っても無駄だからな)

 遠野は大きく息を吸うと、市川の肩に手を添えた。

「なつかは? 三ツ谷なつかは……」

「常態変わらず、です」

「そうか」

 〝被疑者、確保〟--。

 無線で一報を入れ、意識を手放したなつかを搬送する。無線の向こう側で色めき立つ捜査員の声が、僅かに聞こえた。

 一連の爆破事件の首謀者の逮捕。さらにはサイバー犯罪集団〝ブラッド・ダイアモンド〟の壊滅。それは世界を股に掛ける組織を一網打尽した。それは、かつてないほどの大きな功績に違いない。しかし同時に、遠野は得体の知れない無力感を抱えていた。

(まだ、にいるはずだ! 何かが、まだ。隠れているはずだ!)

 なつかを逮捕しても〝第二のブラッド・ダイアモンドはすぐ現れる。決して終わることはないのだ。

 パイプ爆弾を解除後、意識を失ったままなつかは未だ目を覚まさずにいる。

 心因性のショック状態--。

 長い間蓄積された緊張が原因か、重度の火傷による後遺症が原因か。未だはっきりとした原因は不明だが、首謀者であるなつかは昏睡状態にある。事件やブラッド・ダイアモンドに係る全てのことについて。なつかが目を覚さぬ限り、何も語られることはないのだ。

「すばるに伝えてください。なつかは私に任せてほしい、と」

「あぁ」

 添えた手で市川の肩を軽く叩きくと、遠野は大きく頷いた。そして、体を運転席に滑り込ませる。エンジンキーを回し、遠野はハンドルを滑らせた。

「お気をつけて」

 バックミラー越しに、頭を深々と下げ敬礼する市川がうつる。その姿を確認しながら、遠野はアクセルを踏み込んで加速させた。


「なんだか、懐かしいな」

 人が忙しなく往来する空港の一角。場所は異なるものの。遠野はフロアの隅に設置されたベンチに腰を下ろした。そして、徐に鞄から取り出したカラフルな熊のグミを口に放り込んだ。市川にもらって以来、遠野自身がこのグミにハマってしまったらしい。

「そうだね。そんなに昔のことじゃないのに」

 その言葉に同調したのは、野球帽を目深にかぶり、サイズの大きなパーカーを着た三ツ谷すばるだ。遠野が抱える袋に手を突っ込み、熊のグミを二、三個掴み取る。

 遠野とすばるは、互いに視線を交わして笑いあった。普通の親子にも見えるそのやり取りと光景。遠野もすばるもこれほどまでに、時間が過ぎるのを心底惜しいと感じたことはなかった。

 遠野に救出されたすばるは、しばらく検査や経過観察のため、F県の病院に入院していた。入院生活を送るすばるを気遣ってか。遠野は毎日顔を出し、ひとしきり話をして帰っていく。

 遠野との何気ない時間を過ごすにつれ、すばるひ忘れていた日常はこうなんだ、と実感するようになった。もう、見えない実態の恐怖に怯えることはない。すばるの心は、次第に落ち着きを取り戻していった。

 終わったんだ--。全部、終わったんだ。

 ようやく取り戻せた日常と、兄であるなつかの存在は、すばるに一歩踏み出す勇気を与えた。終結があるなら始動しなければ。そう心に決めた矢先、母方の親戚から、すばるを引き取りたいと言う強い申し出があった。

(今更、なんだよ……)

 全てをリセットして、なつかと前に進むと決めた矢先に、差し伸べられた庇護の手。瞬間、気負った感情を全て台無しにされたような感覚がした。すばるは苛立ちと葛藤で深くため息を吐く。    

 僅か十五歳の少年だ。昏睡状態のなつかと共に生きることを選択したこと。遠野は内心、不安に思っていた。全てを背負うには、すばるにはあまりにも大きな枷となる。暫くの庇護は、すばるをきっと強く、大きく成長させるだろう。遠野は、諭すようにすばるに声をかけた。

「なつかのことだけを考えるのが、おまえの人生じゃないだろ。なつかが目を覚ますその時に、成長した姿見せてやれ。そして、なつかが安心して笑える環境を、おまえが作ってやるんだ」

 どこかしら、なつかに対する負い目が、胸の奥底にあったのだと。すばるは遠野の言葉でハッとした。

 --いつでも、いい。スタートラインに立つのは、いつでもいいんだ。

 事件がなければ知り合うこともなかった、遠野や市川、緒方。離れがたいその存在が、すばるの背中を押す。

〝大丈夫だ、すばるなら大丈夫だ〟

 言葉を交わさなくとも。声は聞こえなくとも。

 背中から伝わる暖かさが、すばるの気持ちを強くした。

 ベンチに置いたすばるの手に、遠野の大きな手が重なる。

「そろそろ行こうか、すばる」

「うん」

 二人は、手を握り立ち上がった。

 互いの手が、残された僅かな時間を惜しむように繋がる。顔を見合わせもせず、言葉は交わすこともせず。

 出発口から僅かに見える窓の外には、突き抜ける青空。遠野とすばるは、真っ直ぐ前を向いて出発口へと歩き始めた。

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