8-2 エンカウンター(2)

「ッ!?」

「遠野補佐ッ!!」

 衝撃は遠野自身が装着したイヤホンを軸に伝わり、上半身が軽く吹き飛ばされる。大きく弾かれた遠野の体を、緒方は咄嗟に腕を伸ばして支えた。

「どっちだ!!」

 手を振り回し、もがきながら。遠野はイヤホンを乱暴に外して叫んだ。

「今の爆発!! どっちだ!!」

「ッ!?」

「無線か!? 至近か!? 緒方、どっちだ!!」

 何が起こっているのか? 同じくイヤホンを入れた左耳を押さえた緒方は、狼狽して言葉が出てこなかった。無線なら、サイバー犯罪対策課のある警察本部を。至近距離なら、市川のいる場所を。どちらの方で爆音が響いたのか。緒方は混乱する遠野の肩を支える腕に力を込める。実際、緒方自身、どちらで響いたか一瞬で判断できなかった。

 爆音の衝撃が強すぎる……! 左耳の内耳に直接響く爆音だったのか? 右耳の外耳を震わす程度の爆音だったのか? 

 思い出せ! 冷静になれ……! 

 直近の記憶を猛スピードで反芻しながら。まるで爆発音にトラウマでもあるかのように暴れる遠野の固く強張った腕を、緒方は強く握りしめた。

「無線……ですッ!」

「……ッ!! クソッ!!」

 遠野は短く吐き捨てると、襟にピン留めされたマイクに向かって叫んだ。

「サイバー特務から、サイバー犯罪対策課!!」

 遠野の呼びかけに、受令機はガサッと音を立てるだけ。緒方の左耳にあるイヤホンなんの反応も示さない。遠野はさらに、強く叫んだ。嫌な予感しかしない音。嫌な予感は、容赦なく遠野は心臓が抉った。

 無事で……! 無事であってくれッ! 

「サイバー特務から、サイバー犯罪対策課!! ……佐野!! 応えろッ!!」

『……イバー……策課』

 その時、僅かに。ガサガサと不快な異音を発する、無線機の空気が震えた。遠野は放り投げ、首からぶら下がったイヤホンを拾う。

「佐野ッ!!」

『遠野……佐。遠野補佐……野。遠野補佐、こちら佐野』

「無事かッ!?」

 次第に音質の明瞭度が上がり。サイバー犯罪対策課の捜査員の声が、よりクリアに聞こえる。遠野は、思わず前のめりに叫んだ。

『庁舎前道路に停車中の車両が、爆発炎上したようです! サイバー犯罪対策課、全員無事です! 繰り返す! 全員無事です!』

 瞬間、はぁ、と。遠野は深い息を吐いた。強張っていた腕の力が、嘘みたいに解けていく。

『機器等、現在のところ損傷無し! 肝は冷えましたが……。総員で、バックアップ続けます!』

「了解!! 頼んだぞ!」

 銃把を握りしめたまま固まった右手。その力を故意に抜く。しかし、嫌な予感が未だ治らない。

 市川の最後の交信はいつだったか? 几帳面な市川が、呼びかけに返答をしていたか?

 本能が叫ぶ予感に突き動かされる。遠野は、続けざま、マイクに向かってに叫んだ。

「市川ぁッ!!」

 --……ッ……プツッ。

 無線が断線した。遠野の強い呼びかけに応じない市川の無線が、異様なほど静かな断線音を響かせる。

「何があった……市川ッ! 応答しろッ! 市川ぁッ!!」


✳︎ ✳︎ ✳︎


「現地支援から各局。建物内監視カメラの映像をダミー映像に切り替え完了。アップデートは二分後を予定。なお、サイバー特務にあっては、ただ今より所持中のGPSを作動されたい、どうぞ」

 市川が異変に気付いたのは、そう無線を入れた直後だった。遠野と緒方が木々の中に姿を消してからしばらくのこと。

 捜査用の強力なWi-Fiをいるにも拘らず、何故か急に電波の調子が悪くなった。さらに加えるならば。先ほどから何者かの気配を感じる。

 市川は、ベルトに差し込んだ特殊警棒にそっと右手を伸ばした。出入り口の壁に設置された懐中電灯を無理矢理引き剥がし、スイッチに左の親指を立てる。靴音を極力抑え、市川はゆっくりとドアノブに手を掛けた。

『サイバー特務、了解』

 いつもの遠野の落ち着きのある応答。その声にどれだけ励まされ、どれだけ背中を押してもらったか。市川は、たまらず声を発した。

「遠野補佐」

『なんだ? 市川』

 伝えなければならないことを、きちんと伝えねば……。次はないのかもしれない。これまでの警察官としての市川の人生。おそらく、他のどの警察官より様々なことを経験し、色々なことに心を砕かれた。今、思うことを。遠野に伝えなければ、これまで以上に後悔する。市川は、出入り口のドアを前にして深々と頭を下げた。

「すばるを……必ず連れ帰ってください」

 感情が誤魔化せないほど、市川の声は震えていた。頭を下げた先には、自らのつま先。その方向は必ず旭日章・昂る太陽に繋がっている。踏み出す先は、仲間と一緒なのだと強く感じた。大丈夫、一人ではない。じんわりと心が凪いだ瞬間。

『任せろ。そのかわり、全部終わったら一杯付き合えよ』

 と、遠野のいつもの声が響いた。イヤホンから流れるその声に、市川は深く息を吸う。そして無線につながるマイクを切った。

 市川はドアノブから手を離す。特殊警棒を握りなおし、背中を建物内部の壁に付けた。ドア横に設置されている小窓から、薄暗くなった外をそっと覗く。

「ッ!?」

 僅かに捉えた視界の先。ドアのすぐ近くに、黒い小さな塊が見えた。数本の突起がついたその塊。市川はそれが一瞬で何かを判別した。サッと全身の血液が足下に落ちたかのように、体が急激に冷たくなる。

(電波遮断機!? まさか……!?)

 そう市川が思った直後だった。木々の間が閃光した。

 --パン、パンッパン! 

 続けて、小さな発泡音が三発。市川は反射的に身を屈めた。窓から侵入した銃弾が一つ。窓ガラスを突き破り、甲高い音を響かせて椅子の脚を弾く。壁に着弾する二つの衝撃が、市川の背中に伝わった。

 市川は息を呑んだ。手にあるのは特殊警棒。トラウマにより、未だ拳銃が握れない市川にとって、唯一その機動力と制圧力を発揮できる装備品である。しかし、その能力は接近戦にしか有効でない。こちらに向かい、正確に発砲する銃に対応できるか。早くなる鼓動と荒くなる呼吸が、握る特殊警棒の手に汗を滲ませた。

(いつまでも、こうしてはいられない……!)

 市川が覚悟を決めた、その時だった。

 バァァァン--!! 

 鼓膜を貫かんばかりの大きな破裂音が、無線機のイヤホンを通して市川の耳を貫く。

「ッ!?」

 衝撃に、一瞬身を硬くした市川だったが。すぐさま、左手に持っていた懐中電灯を割れた窓ガラスの外に放り投げた。同時に、ドアノブに素早く手を掛けた市川は、ドアの隙間をすり抜け、建物から外へと走り出す。

 衝撃音でジンジンと疼く左耳が、背中の向こう側で鳴り響く異音を拾う。

 三発の銃声と、パリンと割れたような乾いた音。そして、木々から迸る閃光を市川の視界の端は捉えていた。

(二時の方向……! 一か八かだ!)

 右腕を上下に一振り。手中の特殊警棒がスラッと伸びる。市川は体の向きを変えた。特殊警棒を振り上げると、閃光のした方へ突き進んだ。


『何があった……市川ッ! 応答しろッ! 市川ぁッ!!』

「……市川、です。どうぞ」

 若干の呼吸の乱れを整えるように。市川は肩で大きく息を吸って、冷静さを欠いた遠野の無線に応答した。瞬間、遠野がイヤホンの向こう側で大きくため息を漏らす。

『無事か、市川は』

「大丈夫です。……を一匹、捕まえました」

『ッ!?』

 闇が色濃くなった木々の間に、市川は特殊警棒を握りしめて立ち尽くしていた。市川の足下には、頭から流血した男が体を丸めてのち打ち回っている。呼吸の乱れが治まらない市川は、男の背中に向かって特殊警棒を強く振り下ろした。「ぐぁっ」とくぐもった声を上げ、男はぐったりと動かなくなった。

「遠野補佐……気をつけてください。動きを……読まれてます」

『……わかってる!!』

「こちらは、引き続き……支援を続行します。すばるを……お願いします」

『了解! 市川、頼んだぞ』

 無線交信を終えた市川は、意識を手放した男の両手に手錠を掛ける。湿った地面に落下した拳銃を拾い上げ、市川はゆっくりと建物に引き返した。

「……ッ」

 開けっ放しだったドアを勢いよく閉め、鍵を回す。瞬間、市川の体から力が抜けた。ドサッと、木板の床に鈍い音が響く。眉間に皺を寄せ、床に臥す。脇腹を押さえた市川の手指の隙間から、赤いシミがじんわりと広がった。

 格闘した末の受傷。市川の気配に気付いた男が、振り向きざまに発砲。脇腹に被弾し受けた傷は、すぐさま男を制圧できるほどに、深く致命的な傷ではなかった。しかし、市川にジワジワとダメージを与えるには十分な反撃だった。

 必死に這いつくばり、市川は銃撃で倒れた椅子を掴んだ。

 まだ、やるべきことを果たしてない……! 果たすまで、持ち堪えねば……! 

 市川を突き動かすのは、その一つの信念のみ。朱に染まる手に力を込め、市川は縋るような声で呟いた。

「遠野……補佐。すばるを……頼みます」

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