8-1 エンカウンター(1)

『現地支援から、サイバー特務及びサイバー犯罪対策課』

 日没まであと僅か。鬱蒼としげる木々の間を縫うように走る二つの人影は、足元が不安定な獣道をものともせず軽やかに移動する。

 すぐそばには押し寄せる外海。ゴォと音を上げながら岸壁にぶち当たる荒い波浪が、イヤホンから流れる無線の通話の僅かに明瞭度を下げた。遠野は緒方に目配せをする。二つの人影の主である遠野と緒方は、ピタリと動きを止めた。そして、落ち着きのある市川の声に全神経を尖らせる。

「サイバー特務、どうぞ」

『サイバー犯罪対策課、どうぞ』

 遠野の声に続き、全力で遠野を支援する、捜査員の力強く頼もしい声がイヤホンから響いた。

警護対象者マルタイが監禁されている建物の電力が落ちた模様。現在非常用電源で、最低限の電力で作動中』

 木々の隙間から見える廃墟となったレストラン。

 日が落ち、辺りが暗くなると。レストランの神秘的な昼間の佇まいは、息を呑むほど闇を孕んで一変させた。何人も寄せ付けない雰囲気と佇まい。それはまさに、地の利を最大限に活かした難攻不落の要塞のようだ、と。遠野は浅く息を吐きながら、市川の追加情報を待つ。

『建物内に設置してある監視カメラに接続。共有リンクを各捜査員端末、及び特務にあっては所持中のスマートフォンに送信。どうぞ』

 瞬間、二人のベルトのホルダーに突っ込んでいたスマートフォンが、鈍い震動音を上げた。

『サイバー犯罪対策課から現地支援』

『現地支援、どうぞ』

『サイバー特務の進入予定経路のカメラ映像のダミーを作成。今から画像を送信するが、現地支援から映像切替はできないか、どうぞ』

 無線の往来に耳を傾けていた緒方が、堪らず「仕事、早いっすねぇ」と苦笑し呟いた。

 木々の隙間に身を屈め、遠野と緒方は自身のスマートフォンを手に取り、画面を覗き込む。幾分ちらつく監視カメラの映像。しかしながら、内部を確認するには十分な解像度だ。遠野と緒方は、視線を合わせて頷いた。

『現地支援、了解』

 返事をした市川の声が遮断する。

 いきなり無音となったイヤホンは、同時に周囲に蠢いていた音を遠野の耳に一気に流し込んだ。遠野は思わず、イヤホンをしてない右耳を手で抑えた。

 はぁと浅く息を漏らし、老眼がキツくなった故に、癖となった眉間の皺を深くする。市川の声を待つ時間が、遠野には異様に長く感じられた。

『現地支援から各局。建物内監視カメラの映像をダミー映像に切り替え完了。アップデートは二分後を予定。なお、サイバー特務にあっては、ただ今より所持中のGPSを作動されたい、どうぞ』

「サイバー特務、了解」

『遠野補佐』

 突然、市川が無線越しに遠野の名前を呼んだ。

「なんだ? 市川」

『すばるを……必ず連れ帰ってください』

 無線機の向こう側で、市川が深々と頭を下げているのが手に取るようにわかる。それが以前、遭遇したあの場面と重なり、遠野は思わず声を喉に詰まらせた。

(そうだ。始まりも、こんな風に市川に深々と頭を下げられたんだったな)

 つい先日のことであるはずなのに。薄暗い会議室に市川に呼び出され、初めて認知したらすばるのこと。すばると過ごした、日常とはかけ離れた数日間のこと。妙に懐かしく感じられた遠野は、フッと口元をゆるめた。そして身を屈めたまま、声を顰めて市川に応える。

「任せろ。そのかわり、全部終わったら一杯付き合えよ」


 急な斜面を木に手をかけて降り、湿気を含んだ土に着地する。海から吹いていた穏やかに凪いでいた風は、夜になるにつれ次第に強くなった。その風は耳に嵌め込まれた、イヤホンに不快な雑音を残す。薄暗い視界のすぐそこには、レストランの壁。遠野と緒方は斜面伝いにゆっくり移動し、裏口を目指した。

「遠野補佐、監視カメラがダミー映像に切り替わってます」

 遠野の背後で、緒方がスマートフォンを確認して呟く。緒方の言葉に頷くと、遠野はマイクに口を寄せた。

「サイバー特務から、現地支援及びサイバー犯罪対策課」

『現地支援、どうぞ』

『サイバー犯罪対策課、どうぞ』

「現在時を持って、建物内部に進入する。……援護、頼んだぞ!」

 遠野は強く言い放ち、ホルスターに収まる拳銃をそっと抜く。色んな思いが繋がり伝わる自らの手が、強く拳銃を握りしめる。同じく、壁を背に拳銃を構えた緒方に目配せをし、そっと裏口のドアノブに手をかけた。

「慎重に……行くぞ! 緒方」

「了解ッ!」

 クルッと回ったドアノブは、静かに鉄製のドアの固定を解く。

 --開いた!

 瞬間、緒方がスッと体に隙間を滑らせた。無駄のない動きで内部に入ると、拳銃を四方に構える。

「クリア」

 緒方の静かな声に、遠野は体勢を低くして建物に体を入れた。

『サイバー犯罪対策課から、サイバー特務及び現地支援』

「サイバー特務、どうぞ」

『接続中のカメラには見廻りの映像等に異常は無し。右手の廊下を直進してください。ブラッド・ダイアモンドの監視先及び送金先の全てを凍結。尻尾を押さえました』

 矢継ぎ早に飛ぶ情報。良い方に転じ交錯する無線内容に、遠野は「了解」と静かに応答する。

「おかしいと思わないか? 緒方」

「おかしい、っすか?」

 互いに鼓舞し合うように、バックアップする捜査員たちの援護が飛び交う。右手の廊下に一歩踏み出そうとした緒方の体を、遠野の左手が制した。

「遠野補佐?」

 遠野が、眉間の皺を深くして呟いた。

「緒方、よく考えろ」

「……」

「サイバーテロ組織ソフトウェアが主流だが……。手製のパイプ爆弾を製造したり、部隊を組んで銃撃し、すばるを誘拐するほどの組織だぞ?」

「……」

「停電如きで、物理的要員ハードウェアがグダグダになるなんて、あまりにもお粗末すぎないか?」

 遠野の呈した疑問。緒方はたまらず喉を鳴らした。

「……まさか!?」

 一気に緊張が増したせいか、ついでた緒方の声が小さく掠れる。

 緒方の反応を横目に、遠野は穏やかな口調で無線に声を放った。

「サイバー特務から、現地支援及びサイバー犯罪対策課」

『サイバー犯罪対策課、どうぞ』

 この活気のある声を。確信した希望を含む声を。自らの言葉で潰すことになろうとは……。遠野は左手の拳を鬱血せんばかりに握りしめた。

「裏をかかれてる……。各局とも最大の注意をはらわれたい」

 そう遠野が言った、次の一瞬だった。

 バァァァン--!! 

 鼓膜を貫かんばかりの大きな破裂音が、遠野の耳を貫いた。

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