7-3 糸(3)

 緒方はSUVから重そうな機器をいくつか下ろす。両腕と肩に精一杯背負い込んで、海沿いの別荘の中に入った。続けて、バッグを抱えた遠野とファイルを抱えた市川が入る。

 簡素な作りのログハウス風の建物は、生活するには最低限の設備を要していた。三人は無言で、荷物を配置する。遠野がテーブルの上にすばるのパソコンを丁寧に設置している間に、緒方は置かれたテーブルに手際よく無線通信機等を設置する。一方市川は、ファイルを広げて、携帯無線機で連絡を取り始めた。淡々と静かに。殺風景だった一室が、捜査部屋へと趣を変える。

「Wi-Fi環境、無線設置。両方ともオッケーっす」

「了解。悪いな、緒方」

「遠野補佐、サイバー犯罪対策課のバックアップも完了です。いつでもサポートできます」

「了解。市川、無線機のリモコンマイクを、イヤホンに連動できるか? 手間を省きたい」

「了解です、無線機のスクランブル信号に受令機を合わせます」

「市川、サンキューな」

 ガサッと。

 無線機独特の雑音をイヤホンで拾った遠野は、キーボードとマウスを滑らかに操作した。すばるのパソコンと捜査用のパソコンをリンクする。すばるのパソコンに映しだされるディスクトップ画面が、捜査用パソコンのポップアップ画面に表示された。遠野はガサつく無線機のマイクを口元に下げる。

「サイバー特務から、サイバー犯罪対策課」

『サイバー犯罪対策課です、どうぞ』

 聞き慣れた捜査員の声に、少し安心し遠野の口元が緩んだ。

「帝都銀行の不正送金から、ハッキング先のホストに入り込めた。今から侵入させたワームを解凍して、バンキング先の動きを止める』

 遠野の声は揺るぎなく、淀みなく。無線ははっきりとしたその音を広げる。遠野は深く息を吸い込んだ。

 無線の向こう側にいる捜査員の顔を思い出しながら、再び声をかける。

「ハッキング先が監視している末端に異常が出るはずだ。業務で忙しい中、申し訳ないが片っ端から検索し、異常を見つけ次第追跡願いたい」

『サイバー犯罪対策課 了解』

 その一言を耳にし、遠野はホッと安堵の息を漏らした。

『サイバー高藤から、遠野補佐』

 無線通話を終了させようとした遠野に、突然、サイバー犯罪対策課長である高藤から無線が響く。遠野は、ハッと息を止め目を見開いた。

「遠野です。……課長、ご迷惑をおかけしてすみません。これできっちりとカタをつけます」

『謝るな、遠野補佐』

「……」

『警察は、個人の生命、身体及び財産を保護し、公共の安全と秩序を維持するという責務を担っている。この崇高な責務を全うするため、われわれ警察官は、次に揚げるところを信条として職務に精励し、国民の信頼と期待に応えなければならない』

 警察官の職務、そして執行。警察官の基本理念を述べる高藤の声が、遠野の胸にチクリと刺さる。

 私情を挟まず、職務に精励しているだろうか?

 信頼と期待に、応えられているのか?

 今回の事件は私情をかなり挟んでいると自覚している。処分対象であるなら、自分一人で背負い込む覚悟はできていた。遠野が、そう口を開こうとした時。無線の向こう側にいる高藤が柔和な口調で続ける。

『俺たちは、遠野に警察官としての全てを託す。引くな、遠野。わかったか?』

「了解……! ありがとうございます!」

 意外な一言。しかしその一言に、背負っていた全てが軽くなったような気がした。不意を突かれ、涙腺を刺激する言葉に、込み上げる熱いもの堪えた遠野が声を僅かに震わせて答えた。

 昂る感情を逃すようにため息を着いた遠野は、イヤホンを切り替え、緒方と市川に目配せをする。

「いくぞ……!」

 遠野は、ハッキング先に留まるアプリケーションをダブルクリックした。

 瞬間、アプリケーションの稼働状況を示すプログレスバーがポップアップで表示される。

「……行けよ」

 状況を覗っていた緒方が、小さく声を上げた。

「大丈夫だ。すばるのワームだ」

 遠野の言葉に、市川は小さく頷いた。

「緒方、そろそろ準備だ。市川、後は頼んだぞ」

 椅子から立ち上がった遠野は、上着を脱いでバッグに被せるよう置く。露わになった遠野の上半身。黒いTシャツの上を、拳銃ホルスターと防弾チョッキが覆う。遠野は、フッと短く息を吐くと、窓から見える建物の断片に視線を投げた。

 海沿いにある、白い欧風建築の古びたレストラン。西日がさらに赤く建物を幻想的に浮かび上がらせる。今はもう、かつての賑わいを感じられない。遠野は、ゴクリと喉をならした。

「今日で、全てを終わらせるぞ。すばる……!」

 遠野は自分を鼓舞するように呟くと、西日を反射して輪郭をくっきりとあらわす建物を睨んだ。


✳︎ ✳︎ ✳︎


「Shit! Why! (クソッ! なんでだ!)」

 キーボードのタッチ音しか響かない小さな部屋。その壁越しに機械的な声が怒気を含んで響く。拡声器を通さずとも漏れ聞こえるその声を意外と近くに感じ、すばるは体を小さく震わせた。

 その声を聴くと同時に、すばるが操作していたノートパソコンのディスプレイに、小さなコマンド画面といくつかの画面がポップアップで表示される。

 滝のように流る緑色をした文字の羅列と、目まぐるしく動くポップアップ。すばるは横目で見ながら、流れるような手つきで、いくつかのURLをcubic ATRIAのサーバーに貼り付けた。

「遠野さん……クリアだよ」

 小さく呟くすばるの声。それに呼応するかのように、cubic ATRIAのチャットに通知が届く。

〝(T . T) OK.thank you〟

 変な顔文字付きの返事。暫く眺めて、すばるは思わずくすりと笑った。

「なるほど、遠野隆史T.Tね」

 ポップアップのプログレスバーが、黒から緑に変化していく。

 すばるの心が落ち着いていくのと比例するように。

 満たされたプログレスバーが〝Successfully unlocked(解錠成功)〟の文字がいくつも表示する。

(自分にできるのはこれまでだ)

 すばるはその文字を確認すると、素早くポップアップ画面を閉じた。

 直後に、部屋に設置された拡声器から怒号がとぶ。

『すばるッ!! おまえ……ッ!!』

 今までとは違う、生々しい人間じみた声。すばるはニヤリと笑った。

「ほら、やっぱり。なつかじゃないか」

 この時を待っていたと言わんばかりに。すばるは、ゆっくりとエンターキーを押した。

 途端に、建物全体がガタン音を立て、揺れる。空調や電気系統がパタンと動きを止めた。瞬間、薄暗い非常系統の電気が点灯し、循環換気が動きだす。緊急用発動発電機が作動し、動力が移動した証拠だ。

『ッ!? 何をした!!』

 壁越しに響く怒号。すばるは、壁を見つめて答える。

「建物の機能を止めたんだよ。オレができるのはここまで」

『クソッ!!』

 さらに怒りをぶちまける懐かしい声に、静かにすばるは語りかけた。

「ねぇ、なつか。少し、話そうよ。オレ、なつかにいっぱい、話したいことがあるんだ」

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