第8話 決意と君と、生きる意味

「俺は────名前で呼ばれたい」

「え?」

「だから、名前で呼ばれたいんだって。苗字じゃなくて」

恥ずかしそうに俺αが目を背けた。

やめろ俺にもダメージが来る。共感性羞恥の極みだ。

「別に構わないけど………本当にそんなのでいいの?」

「じゃ、じゃあもっと欲張ってもっとそういうあれこれとか………」

「本当にそんなのでいいの?」

「すみません何でもないです」

怖。

まひなが無表情なのがさらに怖い。

同じ言葉なのに意味合いがガラッと変わり、二人の俺が怖気付く。

妹に意気地なしと言われたが、かなり的を射てい ると自覚した。

「今のは、ちょっとカッコつかないかなぁ」

まひなが呆れたようにため息を吐く。

後ろの俺にも貫通して言葉がブッ刺さる。

できれば俺αには俺のためにもこれ以上痴態を晒さないで欲しい。

「う、うるせぇ!俺だって健全な男子高校生なんだよ!そりゃあ、やましいことの一つや二つ、したくもなるわ!それに、何でもするとか言って妄想させたのはそっちだろ!」

あ、とうとう開き直りやがったコイツ。我ながら本当に情けない。今にでも殴り飛ばしたい。

「じゃあ……ホントにする?そういうコト」

「──!」

唇に手を添えて、いたずらっぽく、妖艶に目を細めた。

「え、あ、や大丈夫です」

突然の大人びた色気に当てられ、俺たちは固まった。

これは、心臓にわるい。

「ふふ、やっと1ポイントね。待ってなさい。絶対に追い越すから」

まひなが勝ち誇った笑みを浮かべる。どうやら、いつの間にか勝負が始まっていたらしい。

「はぁ。でも、もう二度とドギマギなんてしないから。俺の勝ちは揺るがないぞ」

客観的に見ると負けず嫌いだな、俺。たまには自分を客観視することの大切さを、この気色の悪い男から学んだ。

「ふーん。まあ、いいでしょう。とりあえずはそう思っておくわね、宗太郎くん」

まひなが好戦的な笑みを浮かべた。

「─────!」

不意打ちにドキッとする。危ない。即落ち2コマになるところだった。

当のまひなはわかってなさそうな顔をしている。

今の名前呼びと笑みの破壊力に気づいていないらしい。

「どうかしたの?」

「………いや、何ともない。よろしくな、まひな」

おい、どさくさに紛れて名前呼びしたぞ。

しかし、これはファインプレーだ。

「まひな、まひなか。うん。わたしもこっちの呼ばれ方が好みだわ」

まひなは何やら口の中で名前を反芻させて、満足したのか許してくれた。

「まひなんでもいいか?」

「それはやめて」

即座に切り捨てられた。本当に恥ずかしいらしい。

「じゃあ、宗太郎くん。少し切り替えるよ」

そう言ってまひなは顔を引き締める。

つられて俺たちも同じように顔を引き締めた。

「それじゃ、改めてお礼を。昨日はありがとう。宗太郎くんの機転のおかげで、多くのものが助かったわ」

そう言って頭を下げた。

「そんな大げさな」

「大げさなんかじゃないわ。今わたしがここにいるのも、宗太郎くんのおかげよ」

「どういたしまして。まぁ、最後のアイツの猛攻には肝が冷えたがな。まひなが声をかけてくれてなきゃ、今頃俺は避けきれずお釈迦だよ」

俺αは満足感ゆえか、照れて顔を少し赤くしている。

───だが、俺にはその言葉は凶器でしかなかった。

言葉がグサリと杭のように突き刺さる。

俺が言われるはずだった感謝の言葉。

俺が救えたはずのひと。

あの最後の油断さえなければ。予知夢通りにいった達成感からきた迂闊ささえなければ。

今観ている未来もあり得たのだろうか。

────今は感傷的になっている場合じゃない。これは、ヒントを得れる、最後のチャンスだ。

顔をふって、気合いを入れ直す。

「ふふ、どういたしまして」

まひなが優しく目を細めた。

「………まひな」

俺αはひどく神妙な顔をしている。

「?」

「今だから言えるが、俺は一つ、お前に謝らないといけないことがある」

「急にどうしたの?」

俺αは深く息を吸って、

「お前の手伝いをしたのは街の為でも、人の為でも、ましてやお前の為でも、恩返しでもないんだ」

そう言い放った。

まひなは黙って聞いている。

「俺は、俺の為にまひなを助けた。少しでもお前に近づけてたらという下衆な算段でお前を助けた」

夢俺は衝撃的な告白をした。

しかし、それはこれから関係を築いていく上で決して避けては通れない懺悔だろう。

………予知夢がないはずのこっちの俺がしたかは分からないが、俺はまひなに助けられてたあの日、学校にいる人を見殺しにして逃げた。

つまりは、俺はそんな人間だ。

それに俺αが言ったように、まひなを手助けしたのも下心だ。

報酬はもちろん、生きる意味とうそぶいて───見つけたいという気持ちもあっただろうが───お近づきになりたかったのだろう。

「だから俺は、お前に感謝されるほどの真っ当な人間じゃ─────」

「ふーん。じゃあ、宗太郎くんはもとからわたしに気があったんだ」

俺αの言葉を遮って、まひなは俺の予想とははずれた言葉を発した。

「………怒ってないのか?」

「そもそも報酬で誘ったのはこっちよ。それを下衆というのならわたしは悪女になるわ。だから、あなたはあなたが思うほど悪い人間なんかじゃないわよ。それに」

人差し指を前に出した。

「本当にそれだけだったらあの時、命を賭けてまでわたしを助けてないわよ」 

俺αは無言で俯いた。そして、少し迷ってから口から言葉を紡いだ。

「俺は、俺はまだ本当の生きる意味ってヤツを見つけられてないんだ」

「なんだ、そんなことかぁ」

「おい」

はぁーと、まひながため息を吐く。

おそらく結構勇気を出して放った言葉だったんだが。

「いい、宗太郎くん。人間って誰しも生きる意味なんて持ってるとは限らないわよ」

まるで生徒を諭す先生のような口調だ。

「清峰くんが言ってる生きる意味の定義って何?」

「そのままだよ。俺が生きるに足るだけの理由だ」

「そんなの人生の命題よ。人によっては見つける頃にはおじいちゃんおばあちゃん、最悪見つけられずにこの世を去るかもしれないわ」

「まひなは、あるのか?生きる意味」

「わたしは……今のところは沢山の人を助けること。未来のわたしは分からないけど、今はそれが目標で、理想よ」

「………そうか」

なるほど。こいつが光り輝いて見えたのはそういうことだったのか。

俺と違って明確な目標と理想があり、それを目指して歩んで来たのが、俺には眩しかったのかもしれない。

「俺の生きる意味は一体……」

「………もう!なんでそんなに執着しているかは分からないけど、そんなに欲しいなら、いいわ。わたしがあげる!」

しびれを切らしたようにまひなが声を大きくして、

俺αの右手をまひなの両手が強く掴んだ。

そして、

「あなたの生きる意味は、これからもわたしの相棒として、精一杯わたしを支えること!それがあなたの生きる意味よ」

真っ直ぐに俺ではなく、俺αを見つめて、そう強く言い放った。

───────────。

夢俺はかなり衝撃的で、思わず言葉を失っていた。

「報酬があれだけじゃ、割に合わないものね。これで等価じゃないかしら」

そう言ってまひなは強く掴んだ手を下ろして、後ろで結んだ。

「………お前会長にとことん似てるな」

「そうかしら?話したことはないけど、わたしはあんなに仏頂面じゃないと思うわ」

「違う性格の話だ」

何が面白いのか口を押さえて、ふふっ、とまひなが笑った。

「何だよ」

「いいえ、何でもないわ。───じゃあ、宗太郎くん。よかったら、これからもよろしくね」

笑いすぎて出た涙を指でこすりながら、満面な笑みで俺の名を口にした。

「───あぁ、生きる意味をありがとよ。まひな」

顔を少し赤くして、一拍遅れて俺αが言葉を返す。

不意に、段々とその光景がふにゃふにゃと歪み始めた。


そして、夢の終わりが来た。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


「……………」

これほど目覚めがいいのは初めてだ。

時計を見る。

短針がもうすぐで7に振れようとしている。

「生きる意味………か」

どうやらあっちの俺は手に入れたらようだ。

羨ましいくらいな、生きる意味を。

俺はまだ持ちえていない。

だが、見つけることは出来た。

そして覚悟と、何をすべきかも決まった。

「おにぃただいまー」

下の階でドアを開ける音と声がした。

妹が帰って来た。

「とりあえず、夕食でも食べるか」

腹が減っては戦はできぬ、だっけか。デジャヴな気がしたが気にしない。



一階のリビングへ降りる。

リビングでは妹が配膳をしていた。

こちらに気づいたのか、顔を明るくした。

「あ、ただいまおにぃ!」

「おう、おかえり」

そのまま夕食につく。

今日の献立は鯖の味噌煮とほうれん草のおひたし。

汁物はスタンダードに味噌汁にした。

丁寧に舌鼓を鳴らしながら、よく味わう。

我ながら上出来だ。

「ん、美味しい」

一気に味噌煮を頬張った莉沙が首を縦に振った。

お気に召したようで何よりだ。

「そういえばおにぃ、昨日夜遅かったよね。また、間宮くんと夜遊びしてきたの?」

ふと、莉沙が思い出したように尋ねてくる。

「あぁ、ちょっとはっちゃけ過ぎてな。でも、危ないことはしてないから安心してくれ」

「ふーん。ま、気をつけてよ」

特に疑う様子もなく、また箸を動かし始めた。

さりげなく気にかけてくれたことに、静かに感謝する。

クソガキだが、俺と違って根は優しい子だ。

「何その目。やめてくれない?」

莉沙が不機嫌そうに眉を歪ましている。

「いや、微笑ましい気分になっただけだ。気にするな」

「キモ」

うげぇ、とした顔で莉沙は椅子を引いて距離をとった。

………少しだけ傷ついた。

「ごちそうさま、と。じゃ、俺は出かけるから」

最後の味噌汁を啜ってから席を立つ。

「今日も?」

「あぁ、野暮用でな。友達が──相棒が待ってるんだ」

「へぇーすごーい。気をつけてねー」

全く興味なさげに、白々しい相槌を打たれた。

おそらくその相棒は幸太だと思われているんだろう。

「いってきます」

莉沙が手を振るのを尻目に、俺は家を出た──────。









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