第9話 裁定者

着いた。

目の前にそびえ立っているのは我が愛しの校舎。

海原高校だ。

時刻は午後9時。

正門は勿論裏門も全て閉まっている。

侵入するには塀を登る他ない。

塀は200mもない。登ること自体は容易い。

しかし、監視カメラが厄介だ。

やましいこともしていないのに、あとが付いてしまうのは不服だ。

ここは幸太に教えてもらったルートを使う。

正門から左に数えて2つ目の木の正面。

そこの塀から登ればうまい具合に隠れられるらしい。

ちなみに、あいつはこれをわざわざ学校で肝試しをする為に見つけたと言っていた。

意味が分からなかったが、そのおかげで今は楽に学校に乗り込めた。

次は武器になりそうなものを探す。

野球部の部室前にバッドがかけてあるのが遠目に見えた。

たしかあそこは監視カメラはなかったはずだ。

特に必要ないとかなんたらで野球部が抗議したとかなんとか。

噂でタバコの疑惑が挙がっていたが、真実を知っているのは神と野球部だけだろう。

今度幸太にでも聞いてみるか。

バットを持つ。少し重い。

だが、持てないほど俺も非力ではない。

学校には武道館を経由して入る。

あそこは監視カメラもなければ、窓も立て付けが悪く、鍵がかけられなかったはずだ。

幸いこっちの武道館は焼けていない。

「あった……!」

おとな一人がやっと入れる程度の幅だ。

するりと抜けて武道館に入り込む。

「…………」

ここから先は情報整理と覚悟が必要だ。

まず情報を整理する。

俺の、やらなければならないこと。

それは3つ。

一つ目は玉手箱を取り戻すこと。

おそらく今は青い鬼の手の内だろう。

それを、取り戻す。

そしてその真価とリスクを吟味した上で、玉手箱を使い、まひなを生き返らせたい。

まひなを生き返らせる為、それが第一目標と言えよう。

なおまだ実物は見たことがない。

二つ目は街を守ること。

街を守るということは、グゼンを倒すことに直結する。つまりはまひなの引き継ぎだ。

まひながいなくなった今、脅威を知っているのは俺しかいない。

ならばこそ、俺一人でグゼンを全て消し去らねば。

最悪、本当に最悪の手段だが、不可能だと感じたら他の協力を仰がなければならない。

親しい人たちを巻き込むことになるだろうが、そうなったら腹を括る。

とりあえず、優先順位が高いグゼンは玉手箱を持っているあの青い鬼だ。

勝算はある。ヤツは間違いなく弱っている。

なんせあれだけ満身創痍だったのに、まだ人を喰らえていない。

まひなも、喰われてはいないようだ。

あいつはグゼンに喰われたらその人の記憶が皆から消えると言った。

なら、まひなは喰われていない。

しっかりと、今も俺の中に刻み込まれている。

たから俺一人でもなんとかなる、筈だ。

そして、三つ目。

俺の観ている予知夢とはなんなのか?

この時点であれは、予知夢とは呼べないだ"何か"だ。 

考察するに、あれは別世界線の俺なのではないか?

だからこれからは、観ていた夢の世界線をaと置き、今いる分岐してしまった世界線をβと仮定しよう。

とにかく、今起きている街の危機と世界線aの夢が関連していないとはとても思えなくなった。

仮に関係ないとしても、この夢は利用出来る。

しかし、信用のし過ぎは災いを呼ぶ。

まひながもっともな例だ。

あの時は"予知夢のせいで油断した"。

あっちの世界線には、おそらく俺が今持っている力はない。

予知夢通りにいった、などと思い上がることなんてなかった。

だからこそ、あっちの俺は最後の最後まで油断なんてなかった。

それが俺と、あっちの俺──俺αの運命の決定的な分岐点だ。

まひなが死んだのは世界線αを観れるこの力と、頼り過ぎた俺が原因だ。

しかし、まだ使う。

この力を使わなければ、化け物どもの対策は出来ない。

こいつが、俺が──今持ってるバットを除いて──唯一持ちうる武器だ。

勿論もう二度と油断などしない。そして、夢に従い続けることもしない。

俺は夢に縛られ過ぎていた。また、大切な人を危機に晒すのではないかと。

だが、従ってなお、失った。

ならばこれ以上夢に縛られて行動する必要はない。

俺は従うのではなく、都合よく利用する。

臆病に何も考えず夢に縛られるのはもうやめだ。

今度はボロ雑巾になるまで使い切ってやる。

そして、最終的にはこの力の正体を掴んでやる。

それが三つ目の課題だ。

バットを握る手にぐっ、と力を込めながら、渡り廊下を歩く。

覚悟は決まっている。

あの夢を見た後なら間違いなくそう答えられる。

正直に告白しよう。

俺は、まひなのことが好きだ。

好きだ。大好きだ。

かっこいいところも、明るい優しさも、ふとみせる人並みの弱さも、向日葵のようなあの笑顔も、全部ひっくるめて恋愛感情として、超大好きだ。

クラスで気になっていた頃が比じゃないくらいに、今は俺にとってまひなは特別だ。

あっちの俺は、まだ答えを心にしまっているかもしれない。

しかし、俺はこんなことになったからこそ、まひなに対する気持ちがはっきりした。

その一点だけに関しては、あっちの俺に誇れる。

今度美咲先輩にあったら、胸を張って言おう。

「まひなは俺にとって、好きな人で、大切な人だ」と。

まひなとともに時を過ごす。

そして、まひなに想いを伝える。

それが、この俺が見つけた"生きる意味"だ。

その為には、今日生き残らなければならない。

そして、まひなを取り戻すのだ。


ここから先は生きる意味を手に入れるための───ただ死んではいけない茨の道だ。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


教室まで来た。

あのグゼンはここにいる、と思う。

理屈や根拠はない。ただ、直感的にそう思っただけだ。

重たいドアをかっ開く。

「ヤァ、マッテタヨ」

聞いたこともない声がした。

ゾワっとした。

まるで虫が身体の表面を這い上がったような気持ちになった。


ソイツはいた。


無作為に積み上げられた机の小山の上に青いソイツは鎮座していた。

「………喋れたのか」

今の青い豪鬼からはおぞましさを残したまま、明確な知性を感じる。

「オ陰サマデネ。痛ミデ完全ニ引キ戻サレタヨ」

青い凶相を歪ませた。

そこからは感情が判別出来ない。

それより、所々焦げた軀はそのままで、腹にぽっかりと空いた穴もまだ塞がっていない。

つまりこいつは弱ったままだ。

「で、お前は交渉でもしてくれるのか?」


「全ク。人間ハ口ダケハ回ル」


「──────────!」

放り投げられたソレを凝視する。

まるで新たなアートのようで、幼児が作った失敗作のようなソレ。

真っ赤に汚く染め上げられた体躯は、お世辞に言わせれば紅葉色。

四肢は人間が動かせる角度を超えている。

顔は見えない。だか、俺にはわかる。

ソレは、その正体は────────、

「───まひな、なの、か?」

「逆ニ何ニ見エルンダイ?」

「───っ!」

まひなを抱き上げ、グゼンを睨む。燃えるような憎しみが湧き上がる。

俺が別れた時のまひなはここまでボロボロではなかった。

つまり、誰かが手を加えた。

「テメェ!!」

「ソノ表情ヲ待ッテタヨ」

グゼンはおもむろに口角を上げた。

あれは──────嗤っている顔だ。

「なんでこんなことを!?まひなは、まひなはもう死んでたんだぞ!!」

死者を弄るなど、生者が犯してはならない大罪だ。

「何テコトハナイヨ。タダキミヲ苦シメタカッタカラサ」

は。

ただ、それだけの理由でまひなを?

「キミニハ私怨ガアッテネ。玉手箱デ世界ヲ変エル前ニ苦シメタカッタンダ」

私怨……?

「焼キ落トシタノハキミノ案ダロ。アノ子ハマダシモ、唯ノ人間風情ニシテヤラレタノハナカナカ業腹デネ」

なるほど。

こいつはプライドが高いらしい。

そして、人間を下に見ているのが見て取れる。

つまり、その気にも留めてなかったほど下等な人間風情に無様を晒したのだ。

奴にとっては煮えたぎるような憎しみなのだろう。

「はっ!人間様にしてやられた間抜けが。今仇を討ってやるよ」

まひなをそっと置いて、バットを青い巨体に構える。

憎くてキレてるのは、俺も同じだ。

ならばここから先は交渉などない。

「………人間ハ本当ニ口ダケハ回ル」

グゼンが横に倒れている金棒を持ち上げた。

………あれを喰らったら一発だな。

先手必勝。巨体目掛け駆け抜ける。

両手で握った金棒で薙ぎ払おうとするのが、見て取れる。

やはり、鈍い。

難なく露骨な横薙ぎをしゃがんで躱わす。

これで奴は無防備だ。

高々に構えたバットを握る手に、ありったけの力を込める。

もらった─────────!!


「ザンネン」


──────、──。

金棒は誘い込み。

本命は、俺の無防備を叩く事だった。

「ガっ──、─は!!」

グゼンは金棒から手を離し、腕で俺の一撃を流すと、カウンターの一撃を喰らわした。

無防備にその一撃は重過ぎた。

教室のドアまで吹き飛ぶ。

体が動かない。

まるで首から下が切り離されたかのよう。

「間抜ケハドッチダッタカナ?」

煽るように口元を歪ませる。

「サテ、ソロソロメインディッシュダ」

「待て………!何をする気だ!」

青い巨体が向かう先は俺───ではなくまひなだ。

「ドレガキミニ合ッタ一番ノ絶望カ考エタンダ」

「ボクニ食ベラレタラ、ソノ人ニツイテ記憶ガミンナカラ消エルノハ知ッテルカイ?」

知っている。まひなから説明された。

だから、ヤツがやろうとしている事を即座に理解する。

「アァ、美味シソウダナァ」

青鬼の目が爛爛と輝いている───ように見えた。

「このっ!やめろ!!」

身体は動かない。ただ観ているしかない。

「絶望ト無力ヲ感ジナガラ、ソコデ指ヲシャブッテテヨ」

「やめてくれ!!」

あぁ─────ヤツがやろうとしている事は正解だ。

それは、俺にとって一番の屈辱だ。

忘れたくない。忘れてはいけない大切な人。

この気持ちを伝えたい、大事な人。

青鬼が金色の髪をガサツに引っ張り上げる。

そして、空高々に持ち上げた。

下には穴のように大きな口。

必死に体に力を込める。

しかし鉛のように重く、一向に動く気配がない。

──────あぁ、神様。

お願いします。助けてください。

まひなは、あいつは俺にとって大事なヤツなんです。

頼みます。

命以外のものなら、なんでも差し上げます。

だから────だからせめて、あいつのことだけは覚えさせていてください。

「ソレジャア………イタダキマス」

「────っ!!」

目を瞑る。

……………俺は、また、救えないの、か。


「時間切れだ、阿呆。これだけやってまだ遊ぶとはほとほと呆れる」


「────え?」

何処かで聞いたことのあるような、声。

だが、それが帯びてる冷気は尋常なものではなかった。

目を開けると同時に、飛び込んできた情報は2つ。一つは、青い巨体が吹き飛んだこと。ぶつかった拍子に、黒板に亀裂が入っている。

二つ目は─────それを誰かが吹き飛ばしたということ。

「貴様……!誰ダ!?」

「新しき裁定者のロア。以後憶えて……いや、其方はもう失格なのだから、名乗りは不要か」

そいつは俺に背を向けて立っている。

その姿はまるで────────、

「………まひな?」

「馬鹿者。死者をおいそれと人に重ねるな」

首を少し傾けて、睨んできた。

まひなじゃない。

服も、声も、顔も、髪色も全て違う。

そいつは────つい数日前、保険室で会った子だった。

紫を帯びた紅い瞳。短く整えられた黒い綺羅星のような髪。

高位の存在感が漂うオーラ。

あの時と違うのは着ている服。

黒いショートパンツにタイツ、膝まできた長ブーツ。

床まで伸びている黒いコートには、赤い刺繍が入っている。

まるで夢物語で出てくるような姿だ。

街中で見つけたら、誰もがその姿に見惚れるだろう。

いや、今気にするべきはそこじゃない。

「じゃあ、まひなは、まひなの死体は無事か!?」

「知らん。自分で確かめよ」

まひなの死体はグゼンの手から離れて床に倒れていた。

「よかった………!」

ほっ、と一安心する。

まひなの記憶すらなくなったら、俺はとうとう無価値になってしまう。

「何故ダ?何故新タナ裁定者ガ!?何故コイツノ味方ヲスル!?失格トハドウイウコトダ!?」

グゼンがふらふらと立ち上がる。もう瀕死のようだ。

「味方をしたつもりはない。ただ、つまらん長い茶番に飽きたのだ。だから、これは罰。其方は妾の敵。ただそれだけだ。それと、失格は裁定者としての判決だ。そこに私情はないので安心するがよい」

裁定者?失格?

何を言っているのかさっぱり分からないが、青い鬼はかなり迫真に迫っている。

「一つ、さっきの質問に答えてなかったな。新たな裁定者が現れた理由。それは、相応しくない者が玉手箱を手に入れたから。マスターがやり直し───ゲームリセットを望んだのだ」

「ハ?相応シクナイ者?ボクハルールハ守ッタ!ルール通リ、裁定者を殺シテ玉手箱ヲ手ニ入レタ!!失格ニナル道理ガナイ!!ソレニ、ルールヲ破ッタノハアノ娘モダロ!?」

「道理ならあるぞ。其方は勘違いしておる。ルールは"欲望に呑まれず玉手箱を手に入れる"。其方は食欲、そして復讐の欲に呑まれた。本来の願望を後回しにするほどに、な。さっさと使っておれば、妾だって裁定者ではなく、非力な予備として終わっていたわ。あと、あの馬鹿小娘は、役目自体は放棄してない。偽善を掲げて其方たちを殺戮しまくっただけだ」

「嘘ダ!!」

やけくそだとばかりに何かを取り出す。

それは、俺の手に収まるぐらいのサイズの、朱い糸がかけられた黒い箱だった。

「玉手箱ヨ!我ガ願イヲ叶エタマエ!!」

青鬼が箱を結んでいる糸に手をかけた。

不味い!

あれはおそらく玉手箱だ。

開けられたら───────、

「………ハ?」

青鬼はうわずった声をあげた。

青い腕は力んでいるように見えるが、一向に糸が解ける気配がない。

「だから其方には開けられないと言ったであろう」

冷たい、哀れむような声だった。

「─────マダダ。マダ、大丈夫」

青鬼にはひっひ、と下卑た笑いを上げた。

その姿は怖いというより、気味が悪い。

「………簡単ダ。モウ一度、モウ一度殺セバイイダケジャナイカ」

そう言った瞬間、突如青鬼は金棒を持ち上げると、目の前の少女めがけて叩き落とそうとした。

「失格だと言わなかったか?まぁいい。妾も正直役目とかはどうでもいいのだ。妾はただ───殺しがしたいだけだ」

少女──ロアが口元を歪ませて、そういうや否や、金棒が砕けた。

まるで元々ヒビだらけだったかのように、壊れることが当然だったかのように、壊れた。

青鬼は驚愕している。

それもそうだ。俺すらも驚いた。

「この程度で驚くとは。道化師としての才能程度はあったのではないか?」

「暮ラスンダ。ボクハ赤ト、マタ、一緒ニ………」

青い巨体が今度は少女に殴りかかる。

しかし、その姿はあまりに弱々しい。

顔からは絶望が垣間見える。

はたから見れば化け物に襲われる少女の構図だが、俺の目には、化け物の少女に立ち向かう弱者にしか見えなかった。

「ウオォォォォ────!!」

「フィナーレ」

雄叫びは虚しく途切れた。

青い鬼は雑巾を絞るように捩れて、血飛沫をあげた。

赤い血がべったりと張り付いたその姿は、赤鬼にも見えなくはなかった。

「────あぁ」

目の前の少女から声が漏れる。

「最っ高…………!!」

──────!!

ゾッとした。

少女は顔を蒸気させ、この光景に陶酔している。

その瞳は紅色から変わり───比喩ではなく──金色に爛爛と光を放っている。

この少女は人間ではない。

それは力だけの話ではない。

その趣味の悪辣さ───人間とかけ離れた倫理観に嫌悪感を抱いた。


けど────────それだけじゃなかった。


このどうしようもなく悪趣味で、最悪な女を、俺は───と感じてしまった。

どうやら、俺という人間もとっくに壊れていたらしい。

「ふぅ。む──我ながら品性に欠けておったな。少々反省せねば」

ふと、少女が我に帰ったように、仄かに光を灯した闇夜を背景に振り向く。

それは、幻想的な光景で、でもどこか、既視感のあるものだった。

少女の顔には飛び散った血が妖艶に煌めいている。

それはまるで、御伽話のヴァンパイアのようだ。

「で───其方は、誰だ?」















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