第2話 青い豪鬼

「じゃ、任せたぞ〜!」

ホームランせずに三振した俺は、自転車を走らせて学校に来た。

もちろん三振はわざとだ。

化け物がいるのを知らない奴が行くより、知ってる奴が行った方が生存率が高い。

それに、朝仕事を任せたことに少し罪悪感もあった。

まぁ仮にホームランを打とうと思っても、打てるかは怪しかったから、どっちにしろ結果自体は変わらなかったのかもしれない。




「急げ急げ急げ!」

勝算はあった。

俺の勝利条件は生き残ることだ。

予知夢通りになれば瀕死にはなるが、命は助かる。この場合はまだいい。

しかし、俺はこのシナリオを回避してしまった。

これが裏目に出た。

無理矢理回避しようとして、生き残るシナリオを変えてしまったかもしれない。

そうなれば、生き残れるかどうかも怪しくなってくる。

今の時刻は5時半。

空を見上げる。まだ夕暮れ時で、夢で出たあの月は全く見えない。だからこそ、今突入する。

予知夢通りならば、月が出ている時に襲われて、そして助けられた。たが、この現実は今じゃどうなるかわからない。俺は夕暮れには化け物がいないことに賭けて学校に入る決意をした。

「部の悪い賭けだが、来るかもわからない助けを期待して、待つよりかは数倍はまだマシだ」



「そうか、ご苦労だった」

速攻で生徒会室から資料を取り出して、小林先生に提出を終えた俺は駐輪場まで走った。

「よし、これで帰れる!」

これでミッションコンプリート。時刻はまだ6時に至ってない。明日は引き続きやってくる。自分の中になんとも言えない達成感が溢れ出した。昇降口まで来た。あとは、外の駐輪場に行って自転車に乗って帰るだけだ。

「…………」

ふと、不安が生まれて立ち止まる。俺がこのまま帰ってしまったら、校内に残った人が襲われるのではないか。

俺が帰ることによって誰かが犠牲になるのではないか。不安は罪悪感に変わって心を蝕み始めた。

「────知ったもんか。大事なのは自分の命、だ」

そう決定して、一歩踏み出そうとした瞬間、視界が一瞬だけ暗くなった。目を擦る。こんな時に眠気でも出てきたのだろうか。

「いや、今はそんなことより─────!?」

────ソイツはいた。

昇降口で待ち構えていた。青い体躯。頭部に生えた禍々しいツノ。体長はおよそ200cmで天井スレスレだ。双眼がギョロっとこちらに向けられる。後ろには誰もいない。ならばその凝視を受けているのは、まず間違いなく俺だろう。

「……クソっ!」

頭より先に身体が働いた。さっき来た道を全力疾走で戻る。大丈夫、職員室に行って早く助けを呼ぼう。背後を振り返る。

「チッ速え!」

距離は一気に縮まっていた。化け物──青鬼は俺より少し速いぐらいのスピードで、すぐそこまで迫っていた。

「だが、俺の勝ち……だ!」

職員室まで間に合った。すかさず扉を開けて中に入り、扉を閉めて、内鍵も閉める。

「先生!化け物に追われてます!助けて下さい!!」

我ながら突拍子のないことを言った自覚はあるが、危機が迫っているのは充分伝わった筈だ。これで─────!

「…………は?」

さっきまで賑わっていた職員室には、誰も居なかった。おかしい。俺が職員室から出てから、まだ3分も経っていない。

そんな短い間に教師全員が一斉に退勤したとは、とても考えられない。

ドンッと扉が悲鳴を上げる。青鬼が扉を叩いた音だ。金属製の扉だが、この音だと、しばらくももつ気がしない。

「どうなってやがる!」

一旦扉から離れて窓から校庭を窺う。

「は………ははは」

絶望したせいか、自分を滑稽だと感じたせいか、

思わず笑いながら崩れ落ちた。

グラウンドは、走り回っていたサッカー部も、キャッチボールをしていた野球部もまるで存在しなかったように無人の大地と化していた。

この学校には、もう俺しかいない。校庭には人っこ一人の影すらなかった。

助けはまだ来ない。

いや、犠牲に目を瞑って逃げ出した俺が、助けなんか求めるのが、まず間違っているのだ。

扉がついにへこみはじめる。あと数十秒した突破される。

…………あー、無理だ、これ。

思い返せば本当に、目的もない、浪々とした人生だった。

穏やかな日々を切望したわけでも、別に波乱ありきの人生も望んだわけでもない。

中学の頃、両親が事故で死んでからバイトもせず、特に勉学に特段励むこともなく、残された遺産で娯楽を享受した。

傲慢に、怠惰に幸福な人生を当たり前のように貪った。

不幸な人からしたら、それはどんなに憎たらしい生活だったのだろう。

そんな日々に機転をもたらしてくれたのが、会長だった。

会長が俺を生徒会に推薦してくれたおかげで、仕事をする義務が俺の生活に発生した。

仕事は苦ではなかったと言えば嘘になるが、何もしてない頃よりかは遥かに充実していた上、それがちょっとした生きる意味だと思っていた。

そんな人生も、間もなく終わりだ。

特段やり残したことはない。

そもそも生に執着するような"悔い"など俺にはまだ作れてなどいない。ならばこの結末は必然だ。

この歳にもなって、生きる意味を見つけられなかったからこそ、ここが自分の終着駅だ。

腹を括るというよりかはもう、どうでも良くなった。諦めた。

今まで俺と関わってくれた皆様ありがとうござい─────いや、待て。

やり残しはないが、気掛かりが一つある。

俺の妹にして唯一の家族、莉沙だ。

俺が死ねば、莉沙は一人だ。

親はいない。とっくに死んだ。

ふと、両親の葬式の時のことを思い出す。

あいつはあの時だけは泣いていた。

顔をぐちゃぐちゃにさせて、咽び泣いていた。

────あんな思いをまたさせる気か?

────あいつを一人にさせる気か?

莉沙の事を考えていたら、一つ未練を思い出した。

「麻婆豆腐、まだ食ってねぇな」

今日の夕食は莉沙特製の麻婆豆腐だ。スパイスの辛味が存分に効いた俺の大好物。腹の音が鳴る。

これを食べるまでは、まだ三途の川を渡るわけにはいかない。

「…………」

もし莉沙が一人きりじゃないと確信したその時、俺の生への執着は霧散するだろう。

しかし、ひとまずでも生きる意味が出来たのなら、こうして無様に座っている暇はない。

「………よし」

地面についた脚を奮い立たせる。

俺には帰るべき場所と理由がある。

帰りを待っている家族がいる。

なまった指を鳴らす。勝利条件は依然変わらない。生きて帰ること。

そして帰って麻婆豆腐を食うこと。これさえ達成すれば勝ちだ。

隣の印刷室を見る。そこは教員が利用しやすいよう、職員室と扉で繋がっている。とりあえずはあそこに逃げ込んで─────。

激しい音とともに、扉が吹き飛ばされる。その隙に印刷室に走って逃げ込む。職員室につながる扉を閉めてから、廊下へとつながる扉を出て、一目散に逃げ出す。扉を激しく叩く音が聞こえる。ご丁寧に、わざわざ扉を破壊してくれるようだ。それなら時間は作れる。

「はぁ………はぁはぁ!」

階段を走り抜け、3階まで上がった。それから一番近い教室へ入り込んで、鍵を閉める。

「あとは………」

扉の前に椅子と机を重ねて、簡易的なバリケードを作る。掃除ロッカーを漁る。バケツは盾、箒は剣になる筈だ。

おそらくこんなものじゃ全く歯が立たないが、武器を手にするとちょっとした心のゆとりが生まれた。これからあの夢の少女が来るまで少しでも時間を稼ぐ。

他人を生贄にしたくせに、助けを待つしかないとは皮肉な話だ。

窓や迂回して昇降から逃げる手段もあった。だが、追いつかれる可能性が高かった。それに逃げられたとして、この学校だけに人がいないとは限らない。不測の事態だ。最悪、街にすら人がいないかもしれない。ならば、迂闊に外へ逃げるより、防衛に回るこの判断は、間違いではなかったと思っている。

「頼む助けてくれ………!」

そう言うと同時に、ドアを叩かれる音がした。ヤツが来た。反対側のドアへ急ぐ。バリケードは人一人ぐらいは通れるくらいの隙間を開けた。そこからするりと廊下に抜けて、隣の教室に潜り込む。ここからは時間との戦いだ。俺が抜けたドア側の教室は今いる教室を含めて3つ。この3つが尽きたら、箒とバケツを武器に戦うしかない。

「頼む…‥もってくれよ………!」



結論から言うと、もたなかった。

時間は稼げたが、月が雲に隠れて見えない。少なくとも、未来視通りのシナリオなら、助けが来るのは月が見えていた時だ。

時計を見る。

6時半。

小一時間耐えたが、もう終わりだ。俺が今いるのは自分の教室、つまり、終端の教室だ。ストックはもうない。ドアは叩かれて、今にも弾け飛びそうだ。

「………覚悟を決めるぞ……」

ドアが弾け飛ぶ。その衝撃で塵埃が吹き上がる。明かりがないせいで少し暗いが、輪郭はぎりぎり見える。

「喰らえ!」

チョークをまぶした黒板消しを投げつける。効果は全くないようだ。目潰し作戦は失敗。

「うおぉぉぉ!」

すぐに切り替えて、机を持ち上げ、脚を対象に向けて、全力で突っ込む。青鬼はされるがままに流されて、黒板を背に机で挟まれた。よし、これで一あんし──────、

吹き飛ばされた。青鬼は机の脚を掴んで、思いっ切り押し込んだ。それだけで非力な俺は無様に教室の中央まで吹き飛ばされた。

「馬鹿力が……!」

小細工も効かない、力でも勝てない。もう逃げることも、できない。

箒とバケツを構えるが、おそらくなんの意味もなさないだろう。化け物は体勢を低く傾けた。そして闘牛の如く、俺めがけて突進した。

「────っ!」

危機を察知して間一髪で避ける。恐ろしく速い。威力もイカれている。

世界が割れたような音で背後のロッカーが全壊したのがわかった。

こんなのを喰らったらひとたまりもない。予備動作が長い上、直進方向にしか進めなかったのが不幸中の幸いだろう。だが、青鬼は無駄にデカい頭をとうとう働かせたのか、歩いてやってくる。

こうなれば避けることもできない。詰みだ。もちろん出来る限り抵抗はするが。青鬼が殴りかかって来る。すかさず、バケツでガードを試みる。

「─────がっ!」

バケツは紙くずのようにひしゃげた。

ヤバい。マジでヤバい。

バケツ程度じゃ防げないどころか、モロに一撃を喰らった。

その場でうずくまり、頭を押さえる。血が出てやがる。身体中も今ので不自由になった。骨もいくつかは折れただろう。頭があまり回らない。青い巨体が近づいて来るのが、霞んだ目で見えた。

「ひっ……!」

恐ろしい。少しでも遠ざかろうと這いつくばる。そして、少しでも早く来てくれと、助けを求める。そんな抵抗も虚しく頭を掴まれ、持ち上げられる。

目が合う。

怖い。

全身が逆立った。何を考えているか全く読み取れない歪な顔。青鬼はギラついた歯がひしめく口を開けた。食うつもりだろうか。

「はっ……俺は不味い……ぞ……!」

声を震わせながら持っていた箒で、俺を掴んでいる青い巨腕を力一杯叩く。

それが効いたのか、不味いと聞いて気が変わったのか──多分どちらでもないだろうが──、何故か青鬼は俺を落とし体勢を低くした。さっきのような突進を繰り出す気だろう。これがおそらくラストのチャンス。殺される3秒手間。肺が破裂する勢いで息を吸い、

「誰か……助けてくれ!!」

出来る限りの大声に変換する。

これでもう、俺に出来ることはない。

そう考えたらどっと疲れが被さってきた。立ち上がる気力ももうない。俺の生存権は委ねられた。

青鬼を見つめる。今にも襲いかかって来そうな闘気。

だが、なぜかそれはやつの本来の性格とは程遠く離れてる気がした。

そう考えてるうちに、空気が一段とピリついた。

────来る。化け物の進撃が。俺の終末が。

「頼む……誰……か……」

動くことも出来ない。ならばこそ、その一撃は必中と化す。

今までの人生で一番長いように感じた刹那の時間。それももうじき終わりだ。

空気がさっきのように固まった。化け物の闘気が最高潮に達した。間もなく俺の肢体は消し飛ぶ。

残りコンマ1秒ほどで突進が来る寸前─────、


金色が横から俺の目の前を塗りつぶした。


それはまるで───夢のようだった。

「え?」

誰かが立ち塞がった。その瞬間青鬼はさっきいた場所から姿を消した。と、同時に眼前で大きな火花が激しく散った。

眼前の人と青鬼が正面衝突したのだ。

なにが起こっているか頭が追いつかない。

とりあえず助けが来てくれたのは分かったが、あの突進をどうやって防いだのか。

まるでフィクションを見ているような気分だ。いやそれは化け物と遭遇してからずっとか。

青鬼が後退する。そして、しばらく眼前の少女と睨み合いが発生した。

「グルゥゥ」

唸り声を上げたかと思うと、吹き穴になった入り口から教室を逃げるように抜け出した。

「助かった……のか?」

「ふぅ……。大丈夫?怪我はない?」

少女が振り返る。

整った容姿。腰まで垂れた長い金色の髪。透き通るようなブルーアイ。綺麗な声。

目を見開いた。

その少女は──────大城まひなその人だった。

月明かりに照らされたその姿は、まるで物語のお姫様のような可憐さだ。

「……あぁ、ボロボロだが一応生きてる」

一瞬見入ってしまって、返事にタイムラグが生まれた。

「えっと……体は動かせる?」

近寄って来て、心配そうに尋ねて来る。……近い。少しドキッとした。

「あぁ、大城のおかげでな。よいしょ…──っ…っと」

体に激痛が走る。

ふらついたが、大丈夫と言った手前やっぱり無理ですとは言いづらい。

くだらない意地を守るため、口を噛んで表情に出るのを抑える。

「……本当に大丈夫?」

「大丈夫だ。それより、ここからどうやって帰るんだ?というか帰れるのか?」

「安心して。今回の怪域は校内だけだから外に出れば、脱出出来るはずよ」

怪域が何かは分からないが、もしかして外に出ていれば、あの時逃げられたのか。

は。なんだ、それ。とんだ空回りをした気分だ。

「了解。じゃあ俺はこれから病院行くから。夢通り、間に合ってくれてありがとな、命の恩人さ────」

思ったより限界だったようだ。体の力が抜けて、視界が暗転する。倒れる寸前、何か柔らかいものが俺を支えたのを感じた。

そんな長いようで短い俺の一日の記憶はここでぷつんと途切れている。












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