第3章 2

 水源島公園での出来事は、響子にとって現実化した悪夢としか形容のしようのない出来事となってしまった。コンピューターとインターネットに関する卓越した知識と技術を間近に感じながら、旬一を尊敬するようになっていた。会社で響子が使っているパソコンの、デスクトップの背景の問題と、異様な気配の問題を、旬一が解決したと響子は思って、旬一をさらに尊敬するようになったばかりではなく、特別の思いも懐き始めるようになっていた。

 水源島公園で旬一の植物に関する驚くべき知識を知った時、旬一に対する尊敬と特別の思いがさらに深まっていくように思えた。そのような旬一が、沼地のところに来た時、突然変貌し始めた。今まで旬一の口から決して発せられたことのないような、悪意に満ちた言葉が響子の心を痛めた。旬一の口から発せられた悪意に満ちた言葉は、発せられる度に辛辣なものになっていった。響子の特別の思いは知らず知らずの内に異常な思いになっていた。その思いは響子の思考力を鈍らせ、理性を狂わせるようになっていた。その思いは響子の意思を支配し、知らず知らずのうちに洗脳するようになっていた。響子の旬一への特別の思いの異常さは知らず知らずの内にその強度を増していったので、旬一の辛辣な悪意に満ちた言葉を包み込むように受け入れていた。

 しかし、旬一の右手に握られた拳銃が、響子の網膜に、死の恐怖の映像を垣間見せた時、極限まで膨らんでいた異常な思いが、針を刺した風船のように一瞬のうちに形を失ってしまった。響子の眼の前にいるのは、今まで尊敬していて、特別の思いを抱いていた旬一ではなかった。ただ響子に銃を向けているだけの殺人未遂犯であった。

 旬一に対する尊敬と特別の思いはあとかたもなく消えてしまった。今にも響子に襲いかかろうとしている死の恐怖が、炎のような舌を伸ばしながら、存在していた。響子が感じているのは恐れから来る全身の震えと、絶望と悲しみのため溢れてくる涙であった。

 突然あの忘れかけていた異様な気配が、響子が感じていた恐れと絶望と悲しみを吹き飛ばした。旬一の背後から突然黒い手袋をした両手が現れ、旬一の銃を握っている右手首を掴んだ。旬一の右手から鈍い音がすると同時に、銃は地面に落ちた。旬一の背後で旬一の右腕を掴んでいる者と別の者が落ちた銃を拾い、ヘッドセットのマイクに向かって話しかけた。また別の者が旬一の両手に手錠をかけた。3人共フルフェイスの防弾ヘルメットと防弾服を身につけていた。フルフェイスのヘルメットのため顔がよく認識できなかった。異様な気配は、旬一の背後から両手を掴んでいた者から発せられたものであることが、響子の直感から感じ取れたような気がした。異様な気配は異様なものではなくなっていた。何か温かい安らぎを与えるような気配になっていた。

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