第2章 8

 銃密輸関連の対策本部での報告が終わった後、翌日から被疑者の監視と尾行があるので早めに自宅に帰った。

 陽介が住んでいるマンションは両親が購入したもので既にローンを払い終えたものであった。陽介の両親は、都庁に勤めていた公務員で、父親の方が母親より5歳上で、父親の定年退職の機会に、母親は早期勧奨退職した。彼らは地方に家と畑を購入して移り住んだ。それは彼らの夢であった。

 瑠津絵がいなくなってから、陽介は、家にいることが少なくなってしまった。いってみれば、寝るために家に帰るようなものであった。殆ど食事は外食になってしまった。子供もいない男やもめの陽介にとって、外食以外に給料の使いみちがなかった。趣味といっても取り立てて金のかかるようなことを特別しているのでもなかった。

 瑠津絵がいるときは家に帰ることが楽しみであった。仕事がないときは瑠津絵とできるだけ一緒にいたいと思っていた。だから、瑠津絵がいるときの趣味は旅行であるとも言えたかも知れなかった。

 今回銃密輸の捜査で北海道に行った時、瑠津絵と北海道旅行に行ったときのことを、陽介は思い出した。

 瑠津絵と旅先で撮った記念写真が入ったフォトフレームが壁に掛かっている。北海道に瑠津絵と行ったときの写真が入ったフォトフレームのガラス面が、部屋のライトの光を反射させて、陽介の顔を照らしていた。テレビ塔を背景に大通り公園で撮った写真。札幌時計台を前にして撮った写真。札幌の街路に沿って伸びている広い歩道を、瑠津絵と歩いたときの情景が鮮やかに蘇ってくる。ニューヨークの街路の歩道を歩いたことのある知人から以前聞いたことがある。札幌の街中を通っている道路で一方通行の道路を目にすることがあるが、ニューヨークのマンハッタンの街中を通る道路を連想するそうだ。普通東京で目にする4車線の道路を見てみると、片側2車線に対して残りの2車線は対抗車線である。それがマンハッタンの街中を走る道路は、一方通行なのである。一見不便そうに思えるが、実際便利な面がある。Uターンしなくても車が道路の両側の店の前に止まることができるのである。そんなことを考えながら札幌の街中の歩道を瑠津絵と歩いたことを、この写真を見る度に陽介は思い出すのであった。

 陽介は一人で家にいる時、瑠津絵と旅したときの写真を見ながら物思いに耽って、知らず知らずの内に時間が過ぎていくのである。札幌の街中のアイスクリームパーラーで食べたバニラアイスの味が口の中に蘇ってくるのであった。物思いから覚めると、自分が一人でいることの現実が冷たい氷の飛沫のように陽介を襲ってくるのである。陽介にとって辛い瞬間である。

 その時陽介は言い知れぬ寂寞感を感じるのである。自然と涙が溢れてくる。手で拭っても後から後から止めどもなく涙が流れてくる。嗚咽が抑えられなくなる。出せるだけの大声を出して泣き続けるのである。やがて涙が枯れ声も嗄れていく。

 瑠津絵の両親は、陽介はこれからのことは全く気にしないでと念を押すように言っていた。確かに子供がいないので全くの自由な身であるかもしれない。だが、陽介には再婚など全く考えようもなかった。マンションの部屋に一人でいる時に、瑠津絵の思い出に浸る。そのとき瑠津絵がいつも傍にいてくれる。その中に誰か他の者が入ってくることなど考えられなかった。

 上司や同僚から何度か、いいひとを紹介したいというようなことがあった。最初から聞く耳を持たぬという態度で全く寄せ付けなかった。やがてそのような話を誰も彼にしようとはしなくなった。

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