第26話 元勇者は一転、春を感じる

 ホモンは一瞬で意識を失って昏倒しているが、アルバはなおもホモンの両腕を膝で押さえつけ、馬乗りになって猛追を仕掛けようとしている。


「ちょ、ちょっと、お兄ちゃん!? それ私の――」


 私の、何だというのだ?

 獲物か? 獲物なのか?


「おい! もう気絶してるんだからやめとけって」


 俺自身だって口では制止を促していても、もっとやれという思いのほうが強い。

 なんなら、俺も一発まぜてほしいくらいだ。

 自然と止める気も薄れてくる。


 つまりこの場にアルバの行いを非難するやつはいない。

 いざとなれば、ユノの治癒魔法もある。

 事後処理も完璧とくれば――俺は何もすまい。


「――あのぅ、医務室の仕事を増やさないでくださいね~?」


 騒ぎを聞いて駆けつけたのか、たまたま居合わせたのか、医務室の入り口から顔を覗かせているのはクトリス先生。


 面倒事に首を突っ込みたくないとばかりに、俺を馬鹿にできないくらいには消極的な仲裁をしてみせる。


 しかし、アルバも一応の理性は残っていたようで、クトリスの注意を聞き入れて振り上げた拳を止め――きれず、両頬砕いてからゆっくりと立ち上がる。


「……先生の顔に免じて、このぐらいで勘弁しておきます」


「あのね? 先生、もう一発入れろとは言ってませんからね?」


 ホモンが目覚めたときの事後処理を思い浮かべたからか、クトリスは涙目で責任逃れな主張をする。


「もう! 治癒魔法だって万能じゃないんだからね! あ、やば、顔の形ものすごい不細工になっちゃった……」


「ユノちゃん、わらわもさすがにここまでは……」


 もはや、当代魔王ですらドン引きするほどのご尊顔。

 治癒魔法すらまともにかけてもらえない、王位継承権第八位。

 伊達に政争からハブられていない。

 そもそもこの兄妹に喧嘩を売った時点で、彼の運命は決していた。

 憐れホモンくん……。


「ここは先生に任せて、今日のところは皆まっすぐ寮に帰ってください。で、また明日……ね」

 

 クトリスが出した結論は、ただの問題の先送り。

 とはいえ、事の発端が文句を言うものでもないし、むしろここで貴族側にゴマをすっておこうなどと考えないだけありがたい話である。

 

「はい、分かりました。――が、手を上げたのは俺です。妹……彼らには、どうか最大限の恩赦を」


 

 去り際、アルバはクトリスに頭を下げて俺たちを庇うように告げる。

 この場の年長者は俺を……俺を抜けばアルバになる。

 

 彼は下法を使ってでも殺したいほど、貴族を憎んでいる。

 しかしそれを、アルバは自身だけの感情として、妹のユノにひた隠しにしている。

 年長者である以前にユノの兄だからこそ、ここで責任を一手に引き受けた。

 

「うーん、善処……して、みますぅ」

 

 ――それをクトリスが知るよしなんてもちろんなくて。


 眉根を下げ、声が自信なさげにしぼんでいくが、クトリス先生だって被害者である。


 それでもこの場を見て見ぬ振りもできず、俺たちを突き放そうともしない。

 そんな底抜けの優しさに甘えきってはいられないと、この場にいる誰もがひしひしと感じているだろうから。

 だから、誰もクトリスを責めないし、誰も今後に嘆きはしない。

 ただ、今はクトリス先生にこれ以上の心労をかけて、胃に穴を空けないよう、同所を後にする他ない。

 

 これからどうするか――。

 学生という身分を失いそうな現状を憂いながら、寮へと続く道を歩いている途中。


「――っお兄ちゃん!」


「いきなりどうしたというのだ? 妹よ」


「いや、そういう気取った喋り方しなくてもいいから、ほんとマジで」


「……なんだユノ」


 ユノさんマジ怖い。

 三十二才の俺でも今のは膝から崩れ落ちる自信がある。

 さすがのアルバも、妹からの冷めた返答には堪えるものがあったようで、すぐにいつもの調子に戻る。


「なんであんなこと言ったのよ」


 ユノは意気消沈した様子で、俯いていた。

 そこにいつもの威勢も、覇気も感じられない。


「……あんなことって、なんのことだ?」

 

 知ってか知らずか、いやアルバのことだ。

 ユノの問いの答えも、その先でユノが感じている悔しさも、すべて知ったうえでのこの返答、この選択だ。


 なんていない俺でも分かる。

 彼はこと妹が絡んでくると、感情が渦巻いて、溢れて、どうしようもなくなってしまうのだと。

 

 出会ってたかだか一日の仲でも知っている。

 彼が、超絶不器用なことを。


 だとしたら、兄妹はどうだろうか。


「――っ、私はお兄ちゃんの…………妹なんだから」


 何も噛み合っていない。

 それでもお互い分かっている。

 同じ血の通った不器用さが、言葉っ足らずでも大丈夫だと教えてくれている。


「――――」


 アルバの口から言葉になりきらない吐息が漏れる。

 ユノの真意が伝わって、いっそう押し寄せる感情を、呑み込みきれなかったものをそうして吐き出して――、


「うぅむ、よう分からぬ。トーマ、ユノちゃんは何を怒っているのだ?」


 それはあまりに無粋な愚問。それでいて、とても純粋な疑問。


 ――じつに魔王らしい。


 思わず笑いそうになる。

 これまでで一番の嫌がらせ、とびっきりの立ち振る舞いではないか。

 オマエ、今めちゃくちゃ魔王してるぞ、と言ってやりたい。


 しかし、それでやる気を出されて困るのは俺なので、そこは触れない。


 さりとて、この兄妹の胸襟きょうきんを少しでも開く絶好の機会。

 アルバには申し訳ないが、このひと時だけは、俺が魔王参謀となろう。


「マオ、あれはな。『お兄ちゃんがいない学校に残ったってなんにも嬉しくないんだから』とか、『処罰を受けるときは一緒よ、ずっとそうしてきたじゃない』とか」


 勝手な推測。二人の生い立ち見てきたかのように言っているが、実際のところ的中している自信満々である。

 それはもう百発百中の自負がある。


「っていう兄妹愛溢れる会話であって、決して怒っているわけではないんだ。それを聞いてアルバなんて泣きそ――」


 知っていた。

 しかし甘んじて受けよう。

 

「ぶじゃ――っ」


 二度と口をきけないようにしてやろうと言わんばかりに、二人して顎を砕きにかかる始末。

 本日何度目かの兄妹愛を見せつけられながら、俺は道を彩る植え込みに突っ込む。


「ほうじゃったか、ほうじゃったか。ならばそう言わぬか、まだるっこしいのう」 


 しきりに頷いて、追い打ちをかける当代魔王様。

 最高に魔王している。

 今なら太鼓判を押せる。

 

「つい……。だが、ありがとう」


 夕日以外の理由をもって赤面を晒したアルバが、手を差し伸べてくれる。

 ありがたくその手を取って、寮まであと少しの道を歩く。


「うぅ……あぁ……はぁ……『ヒール』」


「さすが、聖女を目指すだけはあるな」


 ヤバい。

 さっき一線を越えたせいで、口に蓋ができなくなってしまった。

 自命を削っているというのに、楽しくて仕方ない。


「その減らず口、二度と開けないように骨を変形させてから治してもいいのよ?」


「すみません。二度としません。許してください」


 寸止めされた拳からもたらされる風圧を感じてようやく自重できた。

 いのちだいじ。


「………………ふはっ」


 やり取りを見ていたアルバから、我慢していたものが一気に吹き出したような――、 


「え……お兄ちゃん、今笑ったの?」


 そうなのか、とアルバに視線で問いかける。


「いや」


「うそ」


「まったく」


「だって――」


「それよりトーマ!」


 ユノの追及を遮り、俺に話しかけてくるアルバ。

 苦しまぎれに声をかけたのではないと、声音がそう伝えてくる。


「――俺たち四人で冒険者パーティーを組まないか」


 それはひどく魅力的だった。

 マオは高出力の魔法が、ユノは治癒魔法が使える。アルバも体つきや身のこなしは相当なものだろう。


 俺は前衛を兼ねた……智将的な?

 あれ――もしかしなくても俺ってこの中で最弱なのでは、と思わなくもないが、


「断る理由がないな」


「そうか……ありがとう」


 その口元はかすかに――、


「あ、お兄ちゃん、また笑ってない!?」


「もう、ユノちゃんはそればっかりだな!」


 続けて、どこからともなく笑い声が漏れる。

 誰のものかなんて分かりゃしない。


 勇者になりたくない元勇者が。


 魔王を憎み、聖女を目指す元聖女が。


 貴族を憎み、復讐のため魔王の力を欲する兄が。


 魔王にならんと望みながら、行動を共にする元魔王が。


 ――今、ここに。


 俺の求めていたものが――。


『いつまでもこのままだってんなら、なァんの文句もねえよ』


 ただ一名――もとい一振りの不安因子に目を逸しつつ、俺たちは学生寮に着いたのだった。


 ***


「これが、クトリス先生の――あなた方の出した結論ですか」


 翌朝。

 

 アルバの怒りを押し殺した、無理くりに出した敬語が重たい空気の立ち込める教官室へと響き渡るのだった。

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