第12話 元勇者の初登校Ⅲ

ダンジョンのほとんどは地下迷宮として存在している。


人々は魔物巣食うこの場所の直上で生活を営んでいることになる。それにもかかわらず、地中からところ構わず魔物が湧いてくるといった危険は、まったくと言っていいほど無い。

 それは、ダンジョン内で発生した魔物がその中でしか生きられないと解明されているからだ。

 それどころか、崩落すら起きず、どのダンジョンも潜入する道は未だに入口のみ。

 徹底的に地上との干渉を避けているようにも思えてくる構造となっている。

 

 ――そんなダンジョン内部を子供の歩幅で巡ってしばらく。

 クトリス教官と取り立てて会話を弾ませることもなく、てくてくと。

 入口から届く光も頼りなくなった頃。


「教官、そろそろ『ライト』は使えますか?」


「ふぅん、私が魔術師だっていうことも、魔術師の役割も知っているみたいですね」


 俺のダンジョンに対する知見にひとしきりの感心を示してから、お願いした通り光球を出してくれた。

 浮遊しながら輝き続ける球体に懐かしさがよぎる。


 ――ユノにお願いすると張り切りすぎて、毎回フロア全体に魔力を巡らし、余すところなく照らしてしまうのだ。

 見晴らしが良すぎて、遠くの魔物にまで追い回されるのは尽きない悩みであった。

 若き頃の思い出に浸るのもそこそこに、クトリス教官からお話が。


「火の魔法も使えますよ? 松明は作らなくていいのですか?」


「まさか」


 先ほどの手つなぎの件と同様、松明で片手を塞ぐのはまさに悪手。

 ダンジョン内はほとんど光源がないため、パーティ内でこれを補わなければならない。今回のように、生活魔法の一つ『ライト』を使える人を確保しておかなければ当然、前後不覚となり、背後から魔物が――なんていうのは分かり切っていることだ。


「ライトに関しては、次の機会があれば僕も使えるようにしておきます」


 生活魔法は魔力の消費量も、覚えるための労力も少ない。

 それゆえパーティ内に複数人、使用可能な者がいるのが好ましいということも既知であると、それとなく伝えておく。

 

 伊達に勇者として血に塗れていない。

 伊達に民草を先導したりなんかしていない。

 

 ――と、ウンチクを垂れてみたところで、明かりに照らされて赤黒く輝く石ころを発見。一見、宝石かともすれば、子供が好きそうなガラス玉かというところだが、これは『魔石』と呼ばれ、魔物の核となっている部分である。

 魔石の転がる付近には、先行したパーティが狩った蟻型の魔物――『ラージャント』の死骸があることからも確信が持てる。


 しかし、冒険者になって間もない新人でも、下手を踏まなければ倒せるという位置づけの下級の魔物だけに、魔石は手のひらサイズで質も悪く、ズタ袋を一杯にしたところで一銭の値もつかないという程度の物である。

 これを手に取って、さも必要ないと言わんばかりに粗雑に扱うことで、この石ころの価値をクトリス教官に問われる前に、既知であることを暗に伝える。

「ふぅん」


 先ほどと同様に感心されるも束の間。

 明かりに照らされるクトリス教官の口元がニヤリと。


「じゃあ――これは?」

 

 どう対処すると告げられるより前に、発せられるカチカチという何かのぶつかる音。


 光球に照らされた先を見ると、見上げると、ラージアントの姿が……。


『かァー! 分かってたくッせによォ。こンのねえちゃん良ィ趣味してんねェ!』


 今、俺はジェニトの久しぶりに喋った憎まれ口に構う余裕すらない。

 

 なぜなら――、

 

 ――コイツって……こんなでかかったっけ?


 すぐそばに転がる死骸を一瞥し、改めて生きたそれの大きさを再確認。

 再度一瞥し、再々確認。

 

 ――寸前まで見下ろしていたはずのそれに見下ろされる元勇者の図。

 

 立ち上がるだけで、生きているというだけでこうも迫力が段違いとは露知らず。

 あまりにもまじまじと見てしまい、牙はデカいし、複眼は気持ち悪いし、脚に生える繊毛の一本一本まで確認できた。


 これに勝てなければ殺される。


 サーッと何かが、漏れ出づる音がした。

 次いで股間から外側へ広がるみずみずしい、暖かな湿り気。


『おま――っ!? 当代勇者になろうってェもんがこんな……』


「あらあらぁ? まあまぁ、さっきまでの威勢はどうしましたかぁ?」


 ジェニトですら軽口を慎むこの状況……人としての尊厳が著しく損なわれたのだと一瞬で理解した。

 クトリス教官に至っては声音が変わっているのを感じる。こんなときに何だが、こちらが本性なのではと思わなくもない。


 一湿りを経て、ビッチ改めサド教官の本性を垣間見て。


 ――はぁ。


 ここはため息を一つ。

 

『まァた助けてやろッか?』


「馬鹿言え。プライドの他にまた腕だの足だの持って行かれてたまるか」


 ――小便と一緒に一通りの恐怖も吐き出した。

 

 改めて冷静になった元勇者は、股に張り付くズボンの不快感から気を逸らし、ラージャントへと向き合う。

 大丈夫。基本は巨体を支える細い足を叩き切ること。左右の前足もしくは後ろ足を失えば、自重を支えきれずに上体を崩すという、難儀な生き物なのだ。ちゃんと知っている。あとは実践するだけ。

 

 俺はやればできる子。ヤってデきた子である。


「よし――ッ!」


 全速力で側面から突っ込む。回り込むのにかけた時間は子供サイズ。

 しかし、的として捕捉されにくいのも子供サイズだからこそ。

 犬のように、縦横無尽に。

 

『俺っちの動きパクっただけじゃァねェか』

 

 そうだよ! 

 だけどオマエあのとき腕折ったじゃん、足も使い潰したじゃん!


『……そうだっけか?』

 

 オマエ、本当に聖剣なんだよな!?


 戯言に腹を立てつつも駆け回り、両手でジェニトの補助なしに剣を振るう。フルスイングで関節の部分を狙えば斬れないなんてことはない。

 ラージャントは一本、二本と足を失い、自慢の顎を見せつける間もなく、そして――。


「頭が高いんだよ!」


 自重に耐え兼ね、戦う術を失い、地面と接吻するラージアントに馬乗りに。

 股にもたらされた不快感と羞恥心の根源にこれでもかと恨みをぶつけ、急所である頭部を一突き。

 二、三度痙攣したのち、生命活動を断ったことを確認して、ようやく一息。

 火照った体をひんやりと冷やしてくれる湿り気。

 

 クールダウンして思う。

 大人を経たうえでのお漏らし――さすがにメンタルに来るものがある。

 

 今さらの実感をよそに打ち鳴らされる拍手。

 出所は、未だニヤケ顔のクトリス教官だ。


「よく、戦意を失わずに的確に相手の弱点を突くことができましたね。あなたは稀に見る秀才ですよ。誇っていただいて結構です」


「……失禁しておいてそれでも誇っていられるほど、図太くはありませんよ」


「そうですね。お漏らしするほどの『子どもらしさ』もお持ちですものね」


 終始この調子だというのだから、サド確定である。間違いない。

 教え子や他の教官に向ける態度ではない。

 いや、しかし――俺にしか見せない一面だとするならどうだろう。なかなか喜ばしいことなのでは……などとポジティブに捉えてみる。


「でも残念ですね。私って雑食なんですけど、あなたにはどうしてでしょう、欲情しないのです。いつもならこういう岩場で――」


「い、いきなり何ですか? そんな……」


 痴女みたいな、とは口が裂けても言えまい。

 なんせ三十路の行き遅れ。

 おのずと悪食あくじきになっても、不思議ではない――などと憐憫めいた眼差しをくれてやるのだが。


「あら、てっきり……。だって『そういう』目で私のことを見ていませんでしたか?」


 図星である。もはやどちらが雑食か分かったものではない。

 

 だからニヤニヤして追い立てないでください。あっ、吐息がくすぐったいです。

 それ以上は……それ以上は身体が、主に下半身が喜んでしまいます。


「ふふ、この調子でサクサクっと行きましょ」


 少し覚悟を固めている最中、案外あっさりと身を引いてしまう教官。

 まさか据え膳を据えた本人が取り下げるとは思いもよらず、途轍もない悔しさが、口惜しさが溢れてくる。


「……そう、ですね。……ラージアントが生息しているということは、ダンジョン内はコイツの巣となっていて、この階層の生態系はほぼ壊滅。魔物はこの一種のみとみていいでしょうから」


 などと相も変わらずうんちくを振舞ってみるが。


「その通りですねー」


 もはや相手にされていない感じが堪らなく心地良い。

 まさか、マゾっ気でも覚醒してしまったのだろうかと思わなくもない。

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