第41話 視界レンタル

 病院のベッドに横たわったまま、清三郎(せいざぶろう)はスーツ姿の女性、エルナにうさんくさげな眼をむけた。

「視界レンタルねえ。本当にそんな事ができるのかね」

「はい、おまかせください」

 エルナは、バッグの中からタブレットを出し、清三郎に見られるようベッドサイドにおかれたテーブルに置く。

 ピンクのマニキュアを塗った指が、慣れた手つきでタブレットを操作する。

 映し出されたのは、宇宙船と繋がれ宇宙空間に漂う、宇宙飛行士の姿だった。宇宙空間にそうそうカメラマンがいるわけはないから、、シャトルの外壁に設置されたカメラが撮影したものだろう。

 清三郎は、幼いときから宇宙飛行士に憧れていたが、その夢は叶わず、気づいたら九十を迎え、おまけに不治の病にとり憑かれてしまった。

 このまま人生を終えるのかと思っていた矢先、友人が紹介してくれたのが『視界レンタル』というサービスだった。

 なんでも、金を払えば他人の視界を借りられるという。信じられない話だが、友人の手前もあり、さっそくそのサービスを提供する会社に連絡をとった。

 そして派遣されたのがこのエルナ、というわけだ。

「そのタブレットに映っている民間宇宙飛行士、レビンさんの視界が借りられました」

 営業スマイルを浮かべ、エルナはスーツのポケットからオセロの黒いコマのような機械を取り出した。

「今、レビンさんにはこの装置をこめかみに貼りつけていただいています。あとは、清三郎様にもこれを貼っていただき、スイッチを入れれば、レビンさんの視界がそのままあなたの物になりますよ。VRよりも現実そのままに」

「ふうむ」

「でも、お客様は運がいい。宇宙飛行士の視界なんて、めったに借りられませんよ」

 舞台の上のアイドルの視界や、頂上に登った時の山岳家の視界は借りようとすると高額だ。もちろん、ほんの一、二分しか借りられないし、そもそも貸し出される数自体がすくない。それでも、普段は見られない景色を見たがる者は多い。

それが、こうして用意が整ったのだからたしかに運がいいのかもしれなかった。

「視界を借りている間、レビンさんはなにも見えない状態となります。ですから、本業の実験に差しさわりがないように、制限時間は三分間。なお、機械は二人同時に外さなければなりません。ですからレビンさんが宇宙船に戻ったときに……」

「ああ、分かった分かった。小難しいことはいいから、早くやってくれ」

 仮に失敗するだけならまだしも、時間まで無駄にされてはたまらない。

「そう焦らなくても、そろそろ時間です」

 エルナが腕時計を見ていった。そして機械を清三郎のこめかみに貼り付ける。コマ状の機械に彼女が指を走らせると小さな稼働音がした。

 清三郎の目の前が真っ赤にそまる。

(このまま、視界が戻らなくなるんじゃないか……)

 気が付いたとき、清三郎は暗闇に包まれていた。

 頭にも、足元にも様々な色の光が瞬いていた。視界の隅には白い宇宙船の壁が見える。

「どうですか? 宇宙は」

 すぐそばでエルナの声が聞こえた。病院のわずかな消毒液の臭いもする。聴覚も嗅覚も自分のものなのだから当然なのだが、宇宙を見たままそれを感じるのは少し不思議な感じだった。

「おお、これはすばらしい!」

 虹色の霞(かすみ)のように遠くに見える星雲。まき散らされた、大小さまざまな光の粒。ナイフで切りつけた跡のような切れ込みは、連なった星が鋭い光を放っている物だろうか。

 視界だけとはいえ、夢の何分の一かだけでも叶った気分だ。

「そろそろ、終了です」

 無粋なエルナの声で、清三郎は現実に引き戻された。

「な、なに、もうか」 

 こめかみに伸ばした手を、押えられる。

「いけません! 同時に外さなければ」

 エリナの強い声がした。

「この機械を通して、お二方の視界は繋がっています。無理に外せばどこに影響があるか……」

「あ、ああ、そうだったな」

 エリナは、宇宙管制塔を通し、レビンに注意事項を告げ始めた。

「それでは宇宙船にお戻りになったあと――」

 タブレットの中で、宇宙飛行士は『了解』の合図に手を振った。命綱が巻き取られ、少しずつスペースシャトルへと近づいていく。

 もう少しで白い宇宙服の手が、宇宙船表面に触れそうになった瞬間だった。

 清三郎の視界に閃光が走る。

 まるで爆弾になったように、白い船体が弾けた。命綱の切れた宇宙飛行士が、ねずみ花火のようにぐるぐると回転しながら宇宙空間をすっとんで行った。

「うわああああ!」

 清三郎がするどい悲鳴をあげた。


 白、赤、青、色とりどりの光が、糸を引くように上から下へと流れていく。そしてその速度はまったく変わらない。

 もう三日も清三郎の視界はこの状態だった。

 ベッドの上に横たわり、清三郎はうめいた。

「うう、変に呼吸をすると、吐いてしまいそうだ。視界が回る。酔ってしまった」

 しかも目を閉じてもその光景は消えることはない。朝起きて、すぐにこの風景が広がる。

 手探りで食事をしたり着替えをしたりはするものの、これではたまったものではない。

「はやくなんとかしてくれ!」

「なんとかと言われましても」

 清三郎の訴えに、エリナは困った口調で言った。

 あれから宇宙管制塔がレビンに呼び掛けても、通信機が壊れているのか返事が返ってこず、生きているかどうかわからない。

 幸いレビンには発信機が取り付けられていて、場所は見当がついている。それをもとに、NASAの助けも借りて回収の計画が立てられた。

「そろそろ回収作戦が始まるはずですが」

 なんでも、無人の小型救出機でレビンの体をつかみ、宇宙船に回収するらしい。

 タブレットには、テレビ番組が流されていた。

 その作戦が開始される瞬間を捕らえようと、宇宙を映した画面を前に、専門家とコメンテーターが待ち構えている。

「だけど、事故が起きてから三日だろう? まだあの飛行士は生きているのか?」

「空気も水も三日持つそうです。そして今日が事故から三日目ですから、生きているかどうか微妙なところかと……」

「そうだ、レビンが死んだらどうなるんだ? 視界は戻るのか?」

「さ、さあそれは……なにぶん、視界レンタル中にこんな事が起きるなんてありませんでしたし」

 エリナの表情は見えないが、きっとこめかみに汗を浮かべて顔をそらせているのだろう。

「分からないってことは、戻る可能性もあるんだな」

 すがりつきそうな勢いで清三郎が言った。

「ま、まあ可能性だけなら……」

「視界が戻ればなんでもいい!」

 清三郎は叫んだ。

 彼にとって、自分がこの苦しみから逃れられるなら、協力してくれた宇宙飛行士の命などどうでもいいのだ。

「あ、回収作戦始まるみたいですよ」

 エリナが少し興奮した口調で言った。

「そんなこと言われても、私は見えない!」

 タブレットには、球体の救出機がジェット噴射で宇宙空間を飛んでいく様子が映しだされていた。機械の真ん中に小さな扉のようなものがついているのが見えた。

 テレビのアナウンサーが『うまくいくでしょうか。レビンさんの命が心配です』と当たり前な感想を述べた。

 タブレットの狭い画面のなか、小さなロボットは頼りなく宇宙空間を進んでいる。

 今この瞬間、携帯やテレビ、スマホなど様々な画面を通し、何万もの人がツバをのみ、手に汗を握って見守っているだろう。

「ああ、ちらりと機械が見えた気がする」

 清三郎が声をあげた。

 回転している清三郎から見れば、救出機に背中を向けたとき機械は見えなくなる。黒い闇の中から救出機が点滅して近づいてくるように見えた。

「レビンさん、生きていればいいけど……」

 エリナが呟いた。

 救出機の扉が開き、意外に太いアームが伸びる。それが宇宙飛行士の背中をつかんだ。宇宙飛行士の回転の勢いで、救出機も一緒にくるくると回り始める。

 そこで救出機が回転と逆方向のジェットを吹かす。勢いが相殺され、ようやく回転が止まった。


 流れる光が止まったとき、清三郎の目の前が真っ赤に染まった。

 視界を借りたときのように。

(これできっと、視界が戻る!)

 だが、目の前はしばらく経っても赤いままだ。

 すぐにその理由がわかった。

 目の前で、炎が燃えているのだ。

 いつの間にか、清三郎は真っ暗な空の下に立っていた。

(なんだ、これは一体……)

 今度は別の星にでも流れ着いたのだろうか。救出作戦はどうなったのだろう。

 あちこちでいくつも大きな火が燃えさかっているため、地表は焼けた鉄のように赤く照らし出されていた。

 低い唸り声のような、雷の轟(とどろき)のようなものが絶え間なく響いている。そして、無数の人間のうめき声。

 正面にある炎の上には風呂桶が小さく見えるくらいの巨大な鉄鍋がかけられていた。その縁から、やせ細った人間の手足がはみだしている。無数の亡者が、ジャガイモやニンジンのように煮られているのだ。

(違う、ここ、ここは……)

「ああ、あの宇宙飛行士の奴!」

 絶望的な気持ちで清三郎は叫んだ。


「とんだ悪人だったんだ! 機械を付けたまま、地獄に落ちたな!」

 きっと、救出目前に息耐えたのだ。宇宙船はレビンの死体を回収するはめになるに違いない。

 地響きがして、体が何かの影に覆われる。

 見上げると、二本の角をはやした鬼が立っていた。

 清三郎のは、鬼に胴体をつかまれながら叫んだ。

「頼む! エリナ! 早く機械を取ってくれ!」


 救出機に引っ張られるようにしてレビンが宇宙を横切っていく。そのまま宇宙船にたどり着き、迎え入れられた光景に、エリナは思わず拍手をしていた。

「ああ! やった! やりましたよ清三郎さん!」

 画面から目を離さないまま、ベッドにかけよる。

『今、速報が入りました! レビンさんは生きているようです!』 

 アナウンサーが興奮気味に伝える。

「あとは、レビンさんに機械を外していただければ……」

 エリナが清三郎の肩を揺さぶる。

 ぐったりと筋肉の力が抜けた感覚と、反応のなさに驚いて初めて清三郎の顔をのぞき込んだ。

「せ、清三郎さん?」

 清三郎は目を見開いたまま動かない。

「ちょ、か、看護師さん、看護師さ~ん!」

 エリナは、慌ててナースコールを押した。


 あれこれ処置をした後で、医者は時計を確認する。

「これは、ご臨終です」

「ああ、残念です」

 大して残念でもなさそうにエリナは言った。

 干からびた柿のような清三郎の顔は、なんの表情も読み取れなかった。

「でも、よかったですよ。最後に宇宙を見られたんですから」

 エリナは外した機械を手の中で転がした。

 どさくさでつけっぱなしになっていたタブレットでは、元気に手をふるレビンの映像が流れている。

 柔らかな笑みを浮かべて医者がいう。

「ええ、最後に宇宙を見るという夢が叶えられたのです。きっと天国にいるでしょう」

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