第40話 もふりゅう

 倉を整理したい、と母から連絡が来たのは、夏のことだった。

「そろそろあれも取り壊さないといけないと思うのよ。だいぶ古くなってきたでしょう」

 たしかに私が生まれる前どころか、母が嫁いでくる前から建っていたというから、だいぶ古い物だ。中にいるとき

「だから、片づけを手伝ってほしいの」

 ということで、息子の小学校も夏休みに入ったこともあり、帰省をかねて実家に帰ることになった。

 セミが鳴きわめくなか、駅からひび割れたアスファルト道をたどる。都会ではあまり見なくなった、大人の背丈より高いひまわりが端(はた)で揺れていた。

 道のりはそれほど遠くないのに、実家についたころには汗びっしょりになってしまった。見慣れた玄関に入ると、ひんやりとした空気に包まれる。懐かしい家の匂い。

「ただいま」

「おかえり」

 一年ぶりくらいに会う母は、少し歳取ったようだった。

「ほら、冬樹(ふゆき)もごあいさつ」

 息子の背を押してうながす。

 スマホに目を落としていた冬樹は、少し目を上げ「おじゃまします」とてきとうな返事をした。

 そしてすぐまたスマホゲームに夢中になる。

 思わずため息をつく。母は苦笑いをしていた。

 冬樹は、普段家にいる時もスマホを手放さない。少しはゲームをやめればいいのに。私が忙しくて、かまってあげられなかったのがいけなかったのだろうか。でも、今の世の中、夫の稼ぎだけではまともに暮らしていけない。

「明日になったら片づけを始めるから。今日はゆっくりしていなさい」

 そういうと、母は冬樹を奥へと連れて行った。


 取り壊すなら、その前に倉にお別れをしておきたい。

 私は息子を母にあずけ、家の裏へとむかった。

 取り切れない雑草の中に、下を少し埋めるようにして、灰色がかった倉が見えた。

 扉には特に錠などかけていない。私は、ちょうつがいをきしませ戸を開けた。

 明るい所からみると、中の闇がより深く感じる。

 倉というと、なんだか木箱に収められた美術品が詰め込まれているようなイメージがあるが、うちのはそんな事はない。使っていない安物の食器や、時季が来ないと使わないこたつや扇風機、サビついた農機具なんかが雑に詰め込まれているだけだ。

 目が慣れたのを待って、足を踏み入れる。冷気と湿気の混じった、ホコリっぽい空気が体を包む。

 幼いとき、夏場よく本を持ってヒンヤリとしたこの倉にもぐりこんだっけ。

 なんとなく、目の高さにある頑丈な棚に目をやる。

 そう、今は農薬や肥料が乗っているけれど、そのときにはからっぽだった。近くにあったハシゴを使ってあそこに横たわったものだ。そして、開け放した戸から差し込む光で読書をしていた。

 『母は薄暗い所で目が悪くなる』と言っていい顔をしなかったけれど、私は全然気にならなかった。

 だって、表紙を開いて物語を読み始めれば、そこに描(えが)かれた明るい日差しや波音、潮の香りのする風に包まれるのだから。

「そういえば……」

 一度、棚の上で眠ってしまったことがあった。そして、寝返りを打ったときそこから転がり落ちて……

 棚の下には、さび付いたクワやスキが置いてある。

「あれ……」

 そういえば、私は落ちた記憶はあっても怪我をした覚えはない。あの農機具はずっと前からあそこにあった。棚から落ちれば、間違いなく大ケガしたはずなのに。

 どうして無事だったんだろう?

 もっと奥へ行こうとしたとき、足に何かが当たった。ビニール紐でまとめられた雑誌や、古本の類(たぐい)だった。

 その束の、一番上に乗っていた児童書を見て、私は思わず声をあげた。

「うわあ、懐かしい!」

 『魔法の島のもふりゅう』。主人公は「ぼく」。相棒は大型犬サイズで、ふわふわの毛皮を持つストライプ模様の首長竜「もふ」。一人と一匹が一緒に不思議な島を冒険するお話だ。

 挿絵のもふは、ピンクとブルーとイエローのストライプで、とてもやわらかそうで…… 

「そうだ!」

 思い出した。

 棚から落ちた時、私はもふに助けられたんだ。もふが現れて、背中に乗せてくれた。。

 そこまで考えて、私は自分の考えを打ち消した。童話のキャラが現れて助けてくれるなんて、そんなことあるわけない。

 きっと、もふのぬいぐるみを持っていて、それがクッションにでもなったのだろう。そういえば、どこに行くにももふをぬいぐるみを抱えていた記憶がある。

 ひょっとしたら、そのぬいぐるみが近くにしまわれているんじゃないかと周りを見てみたけれど、植木鉢や一斗缶があるだけだった。


 私が母屋(おもや)に戻ると、母は居間のちゃぶ台で麦茶を飲んでいた。そのむかいでは、相変わらず冬樹がゲームに興じている。

「ねえ、母さん。私、小さいときにぬいぐるみを持ってたわよね?」

「え? そうだったかしら。気にいっていた人形はあったけど、ぬいぐるみ?」

 母は足音をさせて部屋から出ると、何かを持って戻ってきた。ちゃぶ台に広げられたのは赤い表紙のアルバムだった。

「ほら、ここに写っているかもよ?」

 薄いフィルム越しの、少し色があせた写真の中で、幼い私が笑っていた。子供会のサツマイモ堀りでイモを抱える自分、真新しいランドセルを背負った自分。でも、その中にもふのぬいぐるみを持ったものはない。

 ネコのぬいぐるみを持ったものはあったけれど、もふとは似ても似つかない。

「違う、これじゃない」

 不自然なほど大きな声を出してしまった。

「お母さん、ネコじゃなくて、恐竜のぬいぐるみ持ってなかったっけ?」

「恐竜? そんなの持ってなかったはずよ?」

 私の混乱も気付かず、母はゆっくりと写真を眺めている。

 そしてしみじみと言った。

「懐かしいわねえ。ほら、この時覚えてる?」

 母の指先にあるのは、近所の林で撮った写真だった。そこに写っているのは麦わら帽子を被った半そで短パンの私。

「この写真を撮ったあと、散歩に行ったんだけど、あなた、いつの間にかいなくなっちゃって! 慌てて捜したら、大きな犬ににらまれててね。もう、噛まれるんじゃないかって驚いたわよ」

「え?」

 その時の光景が、頭の中に広がった。


 肌にチクチクするほどの日差しの中、大きな、大きな犬がうなり声をあげ、怖い目でこっちをにらんでいる。周りに、助けてくれそうな人はいない。

 怖くて怖くて、走って逃げだす事も、シッシと犬を追い払うこともできなかった。ただ、石像みたいに固まっていただけだった。

 きっと赤ずきんちゃんのように、食べられてしまうんだ。一口にぺろりと。

 その時、隣を歩いていたもふが、私を守るようにトコトコ私と野良犬の間に進み出た。

 犬は耳をもふの方にむけ、体を低くすると唸り声をあげた。黒い歯茎から、とがった歯が見える。

 私はきつく目を閉じたことを覚えていた。

「キャン、キャンキャン!」

 犬の情けない声で、私は思わず目を開けた。

 仔犬くらいだったもふが、昔牧場で見た牛くらいの大きさになっていた。

 もふは、ピンク色の首を伸ばし、匂いを嗅ごうとするように顔を野犬に近づけた。

「きゃん、きゃん!」

 大きな犬は、私に背をむけて走り去っていった。

「あ、ありがとうもふ!」

「ああ!」

 その時、横から母の大声がした。

 蒼い顔をした母が木々の間から駆け寄ってきた。

「ああ、大丈夫だった? 今、大きな犬がいたでしょ?」

 母は近づくなり私を抱きしめてくれた。

 私は、母の肩に頬をこすりつけた。安心して気が緩んだのか、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。

(もふが助けてくれた!)

 思ったけれど、口には出さなかった。

 だって、母さんも、母さん意外の人ももふりゅうが見えないのはずっと前に私は気づいていたから。そんな事を言えば、おかしく思われるのは分かっていたから。

 

 そうだ。なんで忘れていたんだろう。私は、ずっともふと一緒だったじゃないか。

 お風呂の時は石鹸で洗ってあげた。寝るときも一緒だったから、怖い話を聞いた夜も怖くなかった。もふは、間違いなく私の友達だった。りょう君よりも、みっちゃんよりも、一番の。

 気づいた時には、立ち上がって倉に向かって走り出していた。

 そうだった。なんで忘れていたのだろう。あの本を何度も読み返すうちに、もふが現れた。

 でも、もふは、いつの間にかいなくなった。多分、小学校にもなれて、新しい友達と遊ぶのに忙しくなったころ?

 そして、いつしか私は彼を忘れたことさえ忘れてしまった。

「なんで忘れちゃったんだろう。あんなに仲良しだったのに。ごめん、ごめんねもふ」

 倉の扉を勢いよく開ける。束ねられた本のもとに、早足でむかった。

 本を取ろうとして、自分が紐を切るものを持っていないのに気がついた。近くに錆びたカマをみつけて、紐を切る。覚えのある、暖かみのある絵の表紙。ホコリと土をはらい、本を思わず抱きしめた。

 入口の方で、小さな音が聞こえた気がした。聞き間違いかと思い、本を抱えた恰好のまま、耳をすます。

 今度は間違いなく聞こえた。チャ、と何か硬いものが床を掻(か)いたような。長い爪を持つ生き物が、硬い床を歩いたような音。

 ふわりと何かが動いた気配がした。倉の隅に園芸用の土が入った袋があり、そこから土がこぼれている。その土に外に向かう足跡がついていた。

 カエデの葉のような、小さな恐竜の足跡。そして、引きずったシッポの跡。

 私は、外へ飛び出した。

「もふ!」

 返事はなかった。

 外では、静かに雑草が風に揺れている。セミがやかましくないている。

 そこには、パステルのりゅうどころか、動物の姿もなかった。

 私が作り出した妄想なら、足跡が残っているはずはない。たしかに、少し前、そこにもふがいたはずなのに。

 自然と涙がこぼれおちる。

 もふは、きっと子供の守り神のようなものだろう。そうでなければ、著者が魔法使いで、物語を通じで魔法をかけたのかも。

 なんにせよ、大人のためのものではない。だから、もふはいつのまにか私の前から消えてしまったのだろう。

 さっきのはきっと、家に戻ってきた私に、特別に会いに来てくれたのだ、多分。  

 涙をぬぐうと、私は息を整え本を持って母屋にもどった。

 この本を、息子に渡そう。そうすれば、もふが息子を守ってくれるかも知れない。

「冬樹」

 私の呼びかけに、冬樹はうるさそうに顔をあげた。

「これ、いる?」

 そういって、『魔法の島のもふりゅう』を差し出す。

 冬樹はちらりと本を見た。

「そんな汚いの、いらない」

 眉をしかめ、さも嫌そうな表情をする。

 そして、またゲーム画面に目を落とした。

(ああ……)

 おそらく、あのもふは私だけの守り神だったのだ。あの物語と、私の心が重なって初めて現れた魔法。

 私は、もふに守ってもらったけど、冬樹は? もふでなくても、彼を守ってくれるものが現れるだろうか?

 お守りみたいな物語に、出会えるだろうか?

 なんだかまた涙があふれそうになり、私はそっと居間を出た。



 


 


 




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