第5話 ワオ!ハジメテノ・マジュツ・ヒロウ!

「ブラック……ベア……⁉」


 すると、唸り声と共に目の前に現れる黒い体毛の獣。


 俺の体を大きく上回る巨体に、血の様に赤い爪、鋭く長い犬歯をその口から漏らしながら、俺の事を睨みつけてくる、


「ひっ!」


 目の前に現れた凶暴な存在に俺は怯えてしまう。


 急に現れた自身より勝る存在に、頭の中が真っ白になってしまうが、すぐに冷静さを取り戻す。


 確か、ブラックベアはこちらから無闇に手を出さず、目を離さず静かにしていれば勝手に去る、と屋敷にあった図鑑に書いてあったはず。


 その内容通りに動けば、この緊張的な状況の打開が見込めるのかもしれない。


 グルルルル………、


 だが何分経とうともブラックベアの視線は外れない。


 確か図鑑には五分経てば勝手に離れていくと書かれていたはずなのに、全く動こうとしない。


 もしかして、あの図鑑に書かれていたことは嘘だったの⁉ と頭に血が上ってしまう。


 っと、落ち着け落ち着け。


 ブラッドフォード家の長男として、様々な事に落ち着きを持たなければ。


 図鑑に書かれていた事は、もしかしたら目安だったのかもしれない。


 もう少し落ち着いて待てば、あちら側から去っていくだろう。


 そんな、淡い期待を胸に抱きながら、再びブラックベアと睨み合いっこを始める。


 一分、五分、十分、と徐々に時間は過ぎていく。


「………………」

 

 グルルルル………、


 だけど、一向に俺の方から視線を外さない。


 涎を垂らしながら見つめ続けるブラックベアに、既に獲物として捉えているのではないかなとも認識してしまう。


 いや、実際に認識しているのだろう。


 今まで培ってきた知識、と言うより、アリシアによって作り上げられた勘は囁いて来る。


「ふっ」


 唸り声を上げるブラックベアに対して、静かに手のひらを向ける。


 手のひらの先は徐々に、何か力が集まるような感覚が走り僕の目の前には小さな水球が浮かび上がる。


 これは、俺が唯一持つ魔術。




 『水魔術』




 四大元素を司り、魔術や魔法の基礎となる一面を持っている力。


 だが基礎ゆえに応用が広く、基礎ゆえにその扱いは他の魔術よりも難しい。


 基礎系統が複雑に組み上げられ、その複雑ささえも簡易的な物に変化させ日々継承し、変化と進化をさせている継承魔術とは違い基礎魔術を、固有魔術をしている俺には難しい内容だった。


 一般生活で使用する程度なら、比較的簡単なものだけど攻撃に使用する物だったらその精密性は一気に崩落する。


 その為、戦闘系魔術師の多くは基礎魔術は使う人は少ない。


(集中しないとすぐ死ぬな)


 だけど、今、俺が使えるのは基礎魔術であるこの『水魔術』のみ。


 ブラックベアの方に向けた手のひらに魔力を集中させ、水球を大きくさせる。


(いけっ!)


 手のひらに集まめた水球をブラックベアの顔を目掛けて、撃ち放つ。


 ただの水球に見える魔力の塊は、ブラックベアの顔面にぶつかると、大きな声と共に辺りは水煙に染まる。


「ふぅ……ふぅ……やった、か?」


 自分の最高火力の魔力で編んだ水球。


 これを受けて生き残っていると、今まで密かに訓練していた魔術の自信が消えてしまう。


 グルルルル……、


「      」


 自信が無くなることが決定しました。


 俺の全力を魔術がまるで、バケツに水を被ったかのような様子を見せられると、俺の魔術が未だに未熟なのだと認識する。


 だけど、認識した所で、意味があるのだろうか。


 目の前には飢えた獣。


 その怒りを買った時点で、俺の未来によりより物は存在しなかった。



 ――あぁ、終わった。



 脳裏に過る言葉。


 その言葉と共に、ブラックベアは唸り声と共にその巨体を二足歩行で立ち上がる。


 巨躯と共に動くその存在は、ゆっくりと俺の方に近づいて来る。


 その姿は、まさに図鑑に語られていたような悪魔そのもの。


 ズシンッ、ズシンッ、と鳴り響く足音に、失いつつある恐怖感が沸き上がり、体の震えが露になっていく。


 グルルルルッ……、


 濡れた巨体が、まるで、血のようだと錯覚してしまう。


 足は竦み、身体が固まる。


 目の前に起きる現実に、俺は何もできなかった。


 生まれてこの方、アリシア以外に恐れるものが無いと思っていたけど、実際目にすると、僕は怖かった。


 グアアアァァッ‼


 大きく振りかぶるブラックベアの爪。


 その凶器に引き裂かれると、脳裏に過った瞬間、恐怖を通り越して、何も、感じなくなる。




『 死 ぬ 』

 




 脳裏に、今までの自分とは遠く離れた言葉が過った瞬間、


 パァン、


 グギャオ⁉


 目の前でブラックベアは勢いよく倒れる。


 地に伏したブラックベアからは赤黒い血が漏れ出しており、か細い息の声がブラックベアの口から聞こえる。


「………………え?」


 何が………起こった……?


 聞いたことない破裂音と共に倒れこんだブラックベアに唖然としながら、俺はただ静かにブラックベアのことを見ていた。


「大丈夫ですか? 坊ちゃま」


「え、アリシア……?」


 そんな呆然としている俺の前に、一人のメイドアリシアは立っていた。

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