第二部 息づいて胎動する怨念 4章 同調

     ̄scene 1_



警視庁捜査一課、第二強行犯捜査、2係篠田班に所属する木葉刑事は、捜査本部(帳場)が立つと。 担当となる事件では、良くフリーにされる。 各上司の管理官の間でも、木葉刑事の“マグレ当り”の事は有名だ。


越智水医師と会った次の日。 自由な意味で、現場周辺の聴き込みに回された。


雲の多い、晴れた日。


聴き込みとして木葉刑事は、1番新しい被害者となる女性が殺された橋の袂の草むらに来ている。 雲の切れ間から地表の此方へと注がれた日差しが強く。 夏の暑さが本格的になってきた中。 彼は、事件現場にまた足を運んでいた。


「ご苦労様です」


所轄の警察官2人が、現場保存の為に立哨している横にて。 応援に来てくれた警官の前に立った木葉刑事は、笑って。


「ご苦労様。 悪いね、こんな暑い時に来て貰ってさ」


「いえ、捜査協力の一環ですから」


如何にも武闘派と思しき体躯の若い警察官は、もみあげに汗を滲ませていた。


さて。 木葉刑事も上着を脱いでは、草を掻き分けたりして、何か見落としが無いか調べ出していた。 殺人の現場は、川沿いの歩行者道路と、川を渡って行く県道の交わる場所で。 歩行者専用道路から横に沿う川岸へと下る斜面の土手を降りた橋の袂付近だ。 亡くなった女性の所持品の一部だったり、毛髪や皮膚へんも鑑識作業で見つかっている。 本当ならば、別の刑事が遣る事だったが、フリーならばそれをしますと木葉刑事が代わったのだ。


捜索に入る木葉刑事と応援の警官は、事件の話をする過程からこの辺りの普段の話へ。 この辺りは夜中以外に、夜も、早朝も、意外に通行人が長く途切れないとか。 都心近くの郊外となる住宅街が多い為に、朝晩のランナーや散歩者に加えて。 釣り好きの間でも人気のスポットで、良く夜釣りをしている人も多いらしい。 あの事件当夜は、嵐の過ぎ去る手前で在り。 犯人は、態とその頃合いを狙ったと考えられた。


「はあ、はあ、はあ・・・、こりゃ~暑いなぁ」


捜査一課の刑事が、所轄の警官とこんな雑務みたいな事をやるのも、恐らくはちょっと珍しいが。 木葉刑事は、どっちも警官と思って、エリート意識は皆無に近い。


さて、そんな捜索が昼過ぎて。 木葉刑事は捜索を中断。 まだ若い警官の1人に、自分の財布から金を渡して。


「何でもイイからさ、冷たい飲み物をたっぷり買って来てよ。 あつ~、ちっと休憩しよう」


万札を渡された警官は、タダで色々と買えると了解して行く。


残る警官達と共に、影を作る歩道沿いの木の下に座った木葉刑事。 黙って居れば、川沿いに風が吹く。


(日陰は、この時期のオアシスだぜ)


さて、休みがてらに警官達と雑談しつつも歩行者用道路に目を遣れば、散歩している人が居たり。 子連れの女性やウォーキングをする人々も見掛ける。


処が、そんな中。


(ん?)


何の気なしに辺りを見回す木葉刑事は、橋の上の道路でしゃがみ、手を合わせている老人を見た。 遠目に観ても、70歳過ぎぐらいに見える。 ちょっと小太りで、白髪の頭の天辺が禿ていた。


遠目に観ていても熱心に手を合わせているので、木葉刑事は思わず。


「誰だ? あのお爺さん。 もしかして、被害者の知人かな?」


すると、帽子の隙間にハンカチを入れて汗を拭いていた若い警官は、その老人を見るなりに頷いて。


「あぁ~。 あの人は確か、連続強姦殺人事件(本件)の被害者の遺族ですよ」


「あ、そうなんだ」


「でも、今回の被害者では無くて。 確か・・二人目か、三人目の女性のですよ」


「ほ~。 君、良く知ってたね」


「それは、そうですよ。 前もこの近くで、同じ事件の現場保存にて立哨している時に、度々見ましたから」


「そうか・・。 てか、それって去年か、一昨年の事だよね? するとあの・・、若い女子高生が襲われた時だね?」


「はい、そうです」


その返事を受け、事件に対して意見を求め様とした木葉刑事。 視線を警官に向けた時だ。


(ふあ゛っ!!!!!)


瞬時に、辺りを流れる時間が凍り付く様な、“ゾクリ”とした寒気を背筋に感じた木葉刑事。


(なんだっ!!!! あ・あ"ぁっ、こっ・・・こ・こんな寒気・・・はじめ・てだぁ)


この背筋に走る独特な寒気を感じる時は、必ずと言っていい程に幽霊を視る木葉刑事。 だが、今回の寒気は、今までに無く一味違っていた。 体中にまでゾクゾクとした、ある種の生命の危機感を覚える様な脅えを感じるのだ。 今まででも、こんなにも危険を感じる幽霊の波動は、今回が初めてだ。 振り向くことが、恐怖で憚(はばか)られる思いがする。


「木葉さん? どうされました?」


一緒に居る警官は、木葉刑事の様子が急におかしくなったと感じた。 この篭ったムシ暑い中で、ガタガタと震えているのが解る。 また、顔面蒼白で、ダラダラと冷や汗らしい汗を流しているのだ。 だから、もしかして熱中症か何か体調不良に陥ったのでは、と感じてしまう程である。


然し、一方の木葉刑事は、心の中である種の祝詞の様なものを唱え始める。 彼の実家は、東北の田舎に在るかなり古い神社だ。 自身が特異な体質の為に、幼い頃から神仏に関わる詞や経文などを覚えていた。


(恐れるな・・・恐れるなよ)


心に言い聞かせながら、ゆっくりと老人の居る方に振り向くと……。


「はっ!!!」


木葉刑事の瞳に、今まで手を合わせていた老人の歩き出す姿が、ガバっと飛び込んでくる。


然し、何故にそれが衝撃的なのか…。


実は、其処には在っては成らない人の姿も居たからだ。


東京方面の市内に向かって、トボトボと歩いて行く老人。 処が、その後ろ。 約5メートルぐらいの所に。 此処で亡くなった被害者らしき女性の姿が、何故か見えるのだ。 その姿は、あの死んだ後に発見されたそのまま。 ずぶ濡れの乱れたブラウス姿で、ヒタ・・ヒタ・・と、老人に向かって憑いて行く様に、である。


「其処のお爺さんっ、チョット待ったっ!!!」


何か、話が有った訳では無い。 また、何らかの対処をする、そんな手段が在った訳でもない。 思わず、本当に咄嗟の判断から大声で橋の上に声を掛けた木葉刑事。


「・・・」


声を聞いた老人は、橋から離れる途中でピタリと立ち止まり。 声を出した木葉刑事に、ゆっくりと身体を向ける。


また、ある意味で2人を見ている木葉刑事の目の中で、遺体姿の女性も止まった。


「自分はっ、刑事です! すみませんが、2・3聞いてもいいですかっ?」


老人から離れた木の下から歩き始めた木葉刑事は、ライセンスを見せる。 直線でも、100メートル以上は離れていて。 老人には、ライセンスは見えないだろうが。 警官と一緒でこう言えば、信憑性もある。


さて、自分の前に遣って来た木葉刑事を見る老人は、少し驚いた様子で。


「わ・・私に、用ですか?」


一方の近付く木葉刑事は、しっかり何度も頷き。 そして、幾らか近付いて老人との距離が近付くや。


「あぁ~と、以前の本事件に遭われた被害者の、御遺族の方・・でしょ?」


すると、老人が一つ頷く。


また、更に近付くや。


「手を合わせに来たのは、この現場だけですかね?」


事情を聴かれる老人は、間近に来る木葉刑事の質問に酷く困惑した様子で。


「い・・いえ。 同じ事件でいい・遺体の見つかった現場には・・・、こうして……」


老人の前に来た木葉刑事は、老人の少し後方に居る女性の霊も視界に入れながら。


「あ~と・・・刑事がこんな事を聞くのも、ちょっと変ですがね。 後から現場周辺を回る事で、怪しい人とか・・見なかったですか? 現場の遺留品や目撃情報が少なくて。 関係者の方には、度々聞いているんですが…」


すると老人は、グッと橋の手摺りに寄って。


「いえっ。 見たら、真っ先に通報してますよっ!!!。 まっ・孫の・・・仇ですから」


と、強く手摺りを握る。


その時、買い物に行っていた警官が戻って来たのだ。 橋の上を老人に注意しながら、こっちに向かってくる。 またその進行上は、遺体姿の女性に向かっていた。


この状況に、何故だか解らないが。


(あっ) 


心の中で声を上げた木葉刑事。 何故ならば、遺体姿の女性の姿がスぅ~っと消えてゆくからだ。


(きえ・消えた・・・。 あの被害者、この爺さんに何か用があったのか?)


幽霊となり現れた女性。 何故に、こ老人の後を着いて行こうとしたのか。 その目的が解らない事に、木葉刑事も色々と困った。


だが、やはり越智水医師の予想通り。 彼女は、幽霊に成っていたらしい。


「暑い中、足止めをして申し訳有りません。 御協力、ありがとうございました。 もし、何か解ったら、警察に一報を。 犯人逮捕に、全力を尽くします」


と、名刺まで差し出す木葉刑事。


それを受け取る老人は、解放されたと思ったのが半分。 もう半分は、この木葉刑事を少しは信用の出来る人物と感じてか。 両方の想いが滲む顔色のままに併せて、一礼して来る。


「どうも、熱中症など気をつけてお帰りを」


市内へと向きを変えた老人に、木葉刑事は言って。 二度目の礼を返して来る後ろ姿を含め、老人が去る姿を見送る。


然し、その内心では…。


(チキショウっ、何だ? 何かヤバい雰囲気がするな)


と、焦っていた。


彼の見た女性の姿は、もはやこの世の人物の姿では無かった。 また、今までに遭遇した幽霊の何れにも無い、放つ雰囲気が異質だった。 木葉刑事の身体を駆け巡る不安感は、何かの警鐘なのか。


(困った。 意味が解らない。 犯人に向かうなら解るが…。 あの老人は、被害者遺族だろう? 何で、何であの老人に…)


「木葉さん、大丈夫ですか?」


買い物から帰る警官に言われ。


「ん? あぁ、大丈夫だよ。 ただ、今回は色々と証拠が残ってあるからね。 小さい出来事も見逃したくないンだよ」


「あぁ、犯人の体組織が出たとか」


「そう。 ま、木陰に行こうか」


自分を心配して来る警官と共に、木陰へ戻る木葉刑事だが。 あの霊に、言い知れぬ不安感、いや恐怖さえ感じていた。


(何事も無ければいいが…。 やっばり、越知水先生の経験や予想が当たってるのか? だとするならば、被害者遺族の前に現れたのも・・何かの意味が在る?)


普通に考えて、あの老人を疑うのも無理は無いだろう。 だが、もしあの老人が犯人ならば、他の女性の霊も居ておかしくは無い。 確認されているだけでも、10人を超える被害者が出ている。 然し、現れた霊は、あの女性だけ。 他に、強い怨みを持った霊の存在感は無い。


冷たい飲み物を手に、また動くまでの短い間。 空に浮かぶ雲と青空を眺める木葉刑事は、警官と話しながら女性の霊の目的を考えていた………。





      ̄scene 2_



同日、昼頃に被害者女性の幽霊を視た木葉刑事の予感。 あの幽霊の存在に対する危険視は、やはり当たっていたのか…。


そこは、都内どこかのアパートの一室だ。 4畳半の部屋が二間繋がるだけの狭い間取りの部屋。 既に、7月も中頃。 もう夏だというのに、この部屋にはクーラーすら掛かっていない。 本日は、熱帯夜になると天気予報でも言っていたのに…。


この部屋の中は、不気味なほどにシーンと静まり返っている。 この暗い部屋の中は、何処と無く空気というか・・。 存在する暗闇までもが淀んでいる様な感じだった。


そして…。 部屋の中を見回して見ると。


水気がまったく感じられず、放置された流し場の横。 緑色をした古い冷蔵庫が置かれた前など、暗さが煙の様に淀んでいて。 文字通り、“闇”とでも書き表すに相応しい雰囲気である。 


所が………。 


この静まり返った部屋の、奥の間の中央。 一見すると、誰も居ない様な気配なのだが。 実は、コタツを前にして誰かが座っていた。


窓に閉められたカーテンの隙間から、部屋に零れてくる弱い光。 それは、道路を挟んだ向かいに在るガソリンスタンドの煌々とした明りと、街灯のものだった。 この明かりが、一筋のライトの様に線を引いては。 テーブルを前にして、畳の上に座る誰かの背中を薄ら照らすのだった。


タンスの上に在る時計は、もう色が薄くなっているが蛍光の針。 そのボヤけている緑色の指し示す時刻は、深夜の1時を回った。 それなのに部屋の明りも点けず。 暗くしている何者かは、テーブルの上に何かを置いて。 両手でそれを抱き抱える様な感じに掴んでは、何やらブツブツと呟いている。


そして、時折その呟きに混じり、微かな物音が・・・部屋に広がる。


その座っているのは、どうやら女性らしい。 今日も、数百人もの熱中症の患者を出した日なのに。 良く見ればこの女性は、コタツの中に膝を入れて座っているではないか。 コタツに電源こそは入れられていないが。 冬用のコタツ布団は、そのままなのだ。 カーテンの隙間から、一筋に細く入ってきているライトの明り。 その光に照らされた髪は艶を失い、ガサガサして長く伸びる。 また、骨と皮だけの痩せこけた顔は、中年か・・もっと上に見えた。 更に、女性の体格は、未成年の痩せた様な雰囲気で。 見方を変えるなら、難民の様な痩せ方をしていた。 血色も悪く、何日も食事をしていない様子だ。


だが・・、だが、だ。


その目。 目だけは、明らかに違っていた。 ギョっと見開かれた目は、異常に殺気染みた感情を湛えて血走り。 異様な光を宿しては、一点に向かっている。


「殺せ・・・・殺せっ、殺せぇぇぇぇぇ。 憎いぃぃ・・犯人が憎いっ」


その呟いている言葉は、かなり掠れた小さい声ながら。 静寂の支配するこの部屋には、不気味なまでに遠くまで響く。


そして、女性が見つめる何かから、微かな音が・・また。


“カリ・・・カリカリ……”


”カサカサ・・カサカサカサ………”


微かな音は、女性が異常なまでに熱心に…いや、必死に見守っている、両手に掴まれたガラス瓶の中から響いてくる。


この女性が、両手で丁度手を回せる大きさのガラス瓶。 その中には、黒ずんだ何かが、無数に転がっていた。 闇に眼が慣れている女性には、それが幾つもの生き物の屍骸だとハッキリ解っている。 蟷螂(カマキリ)、生まれて間もない小型の蛇、大きめの蟻、ゲジゲジ、蛞蝓などが。 ガラス瓶の中にて、身体の一部を残すのみの骸と成っていた。


然し、良く良く中身を見ると。 まだ生きている虫もいた。 そして、今。 瓶の中で生き残った虫二匹が、最後の勝者を決めるべく。 傷付いた身体で死闘を演じようとしていた。


その、生き残った二匹とは・・。


片や、大きな黒いゴキブリだ。 黒い羽をして脂ぎった身体を、何故かゴミに汚している。


また、もう一方は。 如何にも毒々しい緑色の体に、赤い足を無数に持つ百足(ムカデ)で或る。


そんな両者が、瓶と云う狭いコロッセオの中で、他の生き物の死骸を踏みつける様にしては、やや間を開けて睨み合っていた。


だが、片やそのゴキブリは、6本在る筈の足のうち、2本の足が無く。 羽も一枚がもげ取れていた。


一方、百足の方は、もっと傷が酷い。 身体の3分の1ほどを喰い千切られていた。


両者の動きを見る限り、百足の方がかなり衰弱している。 だが、ゴキブリも動きが鈍い。


「喰え・・・喰い殺せっ! あああああ・・犯人が・・・憎いっ!!!!! ・さぁ・・・殺し合え・・・喰い殺せぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!!!!!」


押し殺しながらも叫ぶ様に呟く女性の言動は、明らかに正常な意思の発言には思えない。 だが、その目つきは只ならぬ、いやいや、鬼気迫る凄まじい気迫が篭っている。


然し、その女性の姿をじっくりと見ると・・。 汚れた服の袖から見える手首に、垢の染みたブラウスの首元まで、げっそりと痩せて骨と皮だ。


なのに・・。


この瓶を狂った様に見つめる狂気と云うか、殺気は、何処から湧いてくるのだろう。


だが、何よりこの日は、その彼女の人生でも大きな節目と成るらしい。


「ゴホっ・・・ゴホゴホッ……」


瓶を見詰める女性が、急に顔を歪めて咽(むせ)いては、激しく咳き込んだ。


その時。 ジリジリとお互いに見合っていたゴキブリと百足が、咳き込む女性から伝わる振動でゴングを受けた様に動いた。


先に動いたゴキブリは、百足の頭を狙い。 受ける百足はゴキブリの身体に、毒の有る爪足を備えた長い身体を巻きつける。 遂に、両者の命懸けの死闘が、瓶の中で始まったのだ。


「うぐ・・ゴホゴホっ・・・ぇ、喰え・・くっ・喰い・・殺せぇぇぇ……」


咳き込んで苦しむ女性は暗い部屋の中で、街灯とガソリンスタンドから来る灯りを頼りに、何かに取り憑かれた様に呟き続ける。 激しく咳き込んだ女性の唇や口元には、何やら黒い液体が滲んでいたのに…。


だが、この部屋には、この女性1人では無いと云う事を。 その事実を、彼女は知っているのだろうか…。


この、静まり返った暗い部屋の中。 この瓶を見つめる女性の他に、確かにもう1人、何者かがいた。 ユラ~リ・・ユラ~リと、台所の冷蔵庫の前の暗闇から。 襖戸の開けられた先、ガラス瓶を見つめる女性を窺う様に、顔を半分覗かせている。


「・・・」


皮から飛び出した葡萄の様な眼球と、十字架の如く裂けて捲れ上がった目周り。 そして、裂けた口からは、血のように赤い舌がチラチラと口の中に見えている。 濡れたままの髪を振り乱す彼女・・・。 その姿を見れば、木葉刑事は驚くしか無いだろう。 この部屋に立って瓶を睨む女性の様子を窺うのは、川岸で強姦された上に殺された女性の幽霊で在った。


― に゛ぃぃぃぃ・・くぅぅぅぅぅぅ・・めぇぇぇ…。 あい・つ・・をぉぉ、にぃぃくぅぅぅ・・めぇぇぇぇぇぇ… ―



瓶を掴む女性にも聞き取れないぐらいの幽かな声だが。 その立っている場所で、彼女もこう呟いている。


さて、死に物狂いの形相で、死闘が繰り広げられるガラス瓶を睨み見つめる女性だが。 近くの壁際に在るタンスの上には、この痩せた女性と一緒に、若い女子高生姿の者が写った写真が在る。 また、アパートの部屋の外に在る住人の名前を書いた紙のラベル。 その名前を木葉刑事など連続強姦殺人事件の担当者が見れば、この異様な行為に耽る女性は、本件の被害者遺族だと解るだろう。 そう、この女性らしき人物もまた、連続強姦殺人事件の犯人に娘の命を奪われていたのだ。


そして、タンスの上に置かれた写真楯の脇に在る安物の時計が、深夜1時半過ぎを指した時。 ガラス瓶の中で繰り広げられる死闘にも、遂に決着が着いた。 弱っていたが百足が先に、ゴキブリの腹を食い破ったのである。


すると、それを見届けた咳き込む母親は、口元から黒い液体を垂らしながらに。


「喰え・・そうっ・喰えっ!!! そして・・餓えなさいっ! 餓えて・・・餓えて・餓えて餓えて・・餓え・・憎みなさいっ。 あ・の・・犯人を・・・、裕子を殺した・・・犯人をっ!!!!!!!!!!!」


苦しみに顔を歪める母親は、怨霊と化した幽霊が自分を見詰めている中で。 ビンの中で生き残った生き物を睨み付けがらも必死になって、憎悪や怨みなどを吐き続けた。


だが、何時の間にか…。


怨霊と化した女性が、コタツの元へ。 痩せこけた女性の脇に来ている。


「いっ、一匹に・・なった・・わ・・・。 もう少し・・もう少し・よっ?」


こう言う痩せこけた母親の言葉と共になんと2人は、顔を見合うではないか。 然も、痩せこけた母親の方が、幽霊に語りかけているのだ。


そして、何故か頷く幽霊の女性。


実は、この幽霊の女性が痩せた被害者遺族の女性の前に現れたのは、かれこれ五日前に成る。


五日前の深夜だ。 愛娘を殺めた犯人を憎んで泣いている時、被害者遺族の女性はこの幽霊を見た。 そして、気が付くと・・・。 勝手に娘が使っていたパソコンが点灯し、呪いの方法を示すサイトにアクセスしたのだ。


その後、取り憑かれた様に一心不乱になって、その呪う儀式を調べ。 本まで購入し、その行動に突っ走った母親。


そして、今、正に。 その呪いが成就する時を迎えていた。


さて。 瓶の中で勝ち残った百足だが、その動きがどんどんと弱まる。 戦いには勝ったものの、もう死ぬ直前なのだ。


また、その時。 母親の身体にも、大きな異変が。


「はあ・・はあ・・あ゛・・う゛・ぐう゛うっ」


急に胸を抑えて、激しく苦しみだすので在る。


その、二つの苦しむ様子を見る幽霊の顔は、何処か笑っている様でもある。


次第に横へと崩れて畳へと倒れる母親は、更に胸元を掻き毟るほどに苦しみ出した。


「う゛うっ・・あはっ! い、ぐぐうぅぅ……」


同じくしてガラス瓶の中では、最後に残った百足が弱り。 その身体を緩い動きにて、他の生き物の死骸の上にくねらせる。


百足と母親。 どちらも弱って、そのまま動かなく成った。


すると…。 幽霊は、その動かなく成った母親の脇に屈み。 その顔の様子を覗き込んでは、‘ニヤ~・・’っとする。 幽霊の顔は、目を開いたままに息を引き取った母親を見ては、満足げに笑っている様だった。


そして、怨霊と化した幽霊は、ゆっくりと立ち上がる。


処が、此処でまた新たな異変が起こる。


何と、横たわる母親の死体からスルッと、何かが抜け出した。 青白い顔をして、異常に見開いた狂気の目をしたままの母親が、其処には居た。 死んだ遺体は、そのまま其処に在るのに・・だ。


すると怨霊と化す被害者女性の幽霊は、ゆっくりとした動きで台所に行き。 そして、ス~っと消えてゆく。


また、母親の身体から抜け出し、幽霊に生まれ変わった母親も同じく。 怨霊と化した女性が消えた方に歩いて、スゥ~ッと消えてゆくのだった……。


幽霊と変わった2人は、一体・・何処に消えたのだろうか……。



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