3章 遺体

     ̄scene 1_



あの広縞が起こした殺人事件の現場となる橋の下。 その川岸で、女性用の化粧品や貴重品が入ったバックが見つかった。 夏休みとなる子供が親と釣りに来て、虫探しに夢中となっていた際に偶然見つけたのだが。 その持ち主が、酷く変わり果てた姿で発見されたのは。 殺されてから四日も経った、蒸し暑い日の午後である。


場所は埼玉県さいたま市。 殺人事件と断定した警察により、遺体は管轄の指定病院に搬送された。 今、司法解剖を行うべく、担当医師と助手2人が解剖室に入る。 マスクの隙間から見るに、医師は50代と思え。 助手の男女2人は、まだ随分と若い。


「越知水(おちみず)さん、どうも・・・」


検死に立ち会う為、所轄の警察官が来ていた。 専用のキャップやマスクに、汚れや臭いを防止する前掛けを制服の上に着る立ち会いの警官だが。 彼は、遺体の解剖を見たくも無いのか、解剖室の隅っこに居る。


其処へ来た専用のキャップを頭に着けマスクをした担当医師は。


(ふむ・・どうしたのかな? あの彼は、警察官としても年期を経ている。 腐乱死体などは見慣れているだろうに…)


何時もの警官の態度とは、何か違う・・と。 解剖担当医師の越智水は、彼を一瞥して感じる。 知った顔の警官だけに、その不審な様子が気に成った。


また、自身でも気になる所が……。


(だか、この遺体はどうした事か。 何か、恐ろしい気配を纏っている。 憎しみを抱く遺体は少なく無いが……)


だが、しなければ成らない事は、被害者の死因や状態を確認する事だ


「では、始めます」


と、医師が言う時。 まだ遺体には、顔へ布が掛かったまま。


「? 君、布を・・・」


おかしい事だと、医師は助手に言った。


「ハイ」


助手の1人で、女性が返事をし。 遺体の顔に掛けられた布を外した瞬間。


「・・きゃああああっ!!!!」


「えっ? うわあああっ!!!!」


若い助手2人の悲鳴が、解剖室内に響き渡った。


その悲鳴の直後には、警官も脅えるように遺体から顔を背ける。


「はぁ、コレは………」


変貌した遺体の顔を診た医師は、驚愕の思いを目に現している。


何と、遺体の女性の顔が・・・、異様な形へと変化していたのだ。 然も、額などに付いた傷の痕は、今しがたに着いたかの様に生々しく。 また、更に驚くべき事とは、遺体の全体的を診てからも何故か、腐乱した形跡が著しく少ない場所が在る。 いや、有り得ない事だ。 この暑い中に4日。 然も、水の中に放置されていたのに。


そして、何より不可解な事。 それは、この顔に起こった著しい変化。 これは一体、何か。


その様子を例えるなら、本に描かれるお化けの様に。 目が飛び出て剥き出し、目蓋や目元が抉り出される様に縦向きになっていた。 またその裂けた口は、切り裂かれた痕も無いのに攣(つ)り上がる様にして、耳元近くまで裂けている。 こんな遺体、助手の2人も初めてだった。 腐乱した遺体や、白骨化や、体内の血肉が酷く見えているならまだしも。 こんな、奇妙な変化を来(きた)した遺体は、・・・今までに観た経験が無い。


然も、何よりも驚くべきは、その顔で在る。 生きた人間以上に、その顔からは感情が読み取れる。


‘強烈な怒りと憎しみ’


詰まりは、怨みを見せ付けている様な顔をしていたのだ。


震えている警官は、解剖に立ち合うのに遺体を見ず。


悲鳴を上げた2人の助手は、双方が下がれる一杯の所まで引いていた。


沈黙が支配する其処へ、医師は落ち着き払うと共に。 


「とにかく、解剖を始めます。 さ、2人共、気をしっかりして。 では……」


助手にそう命じて、医師は司法解剖を始めた。


「・・・・」


解剖が始まっても警官は壁の方を向いて、一向に遺体を見ない。


さて、解剖した遺体には、犯人の様々な痕跡が残っていた。


夕方から始まった司法解剖は、夜まで続いた。


そして…。 時は過ぎて、深夜近くに為り。 解剖を担当した医師は、‘死体検案報告書’を待っていた警官に渡した後で。 何故か、警官にこう言う。


「君。 もしかするとこの遺体は、今起こってる連続強姦殺人の被害者かもしれない。 すまないが、警視庁捜査一課の、木葉(このは)刑事を呼んでくれないか。 私が、検案を担当した医師の越智水(おちみず)が彼を呼んでいる、と言って貰えればいい。 本人に言えば、直ぐに解るはずだよ」


「あ、はぁ」


頷く警官は、何故に医師が刑事を…。 然も、警視庁の捜査一課の刑事を指名するだなんて、何事かと思いながらも。 自分では手に負えない気がして、余計な事は聴かずに了解する。


彼は、今夜遅くに降り出した雨の中を外に出て行った。


一仕事を終えて、自室で窓の外の雨を見詰める越知水医師。


(これは、もしかすると大変な事になる。 あの、祖母が言っていた事が、また再び繰り返されるのか?)


この越知水医師は、あの女性の遺体に起こった変化を知っているのか。 そして、呼び出した刑事とは、何者なのか。





      ̄scene 2_



あの殺害された女性の解剖から三日後の事で在る。


あの女性の遺体の解剖が行われた大学病院にて、夕方も暮れてしまった頃か。 越智水医師の部屋のドアが、来客の予定も無い筈なのにノックされた。


デスクの上にパソコンを置いて。 スーツ姿のままで作業する越智水医師は、細面の少し老けた顔をドアに向け持ち上げる。


「はい、どなたですか?」


すると、ドアの向こうから若い男性の声で。


「先生、木葉です」


その返事を聞いた越智水医師は、柔らかい仕草で立ち上がり。


「どうぞ、入って下さい」


と、穏やかで落ち着き払った声を返した。


ドアが開かれると。 やや前髪の長い30前後の男性が、安物の黒紫のスーツを着て部屋に入って来た。 穏やかな目つき、色白の肌、程良い高さの鼻、痩せ型ながら均等の取れた体つきで在り。 少し頼りなさげに整った顔つきからして、中々の好青年ぽくも見える。


「やぁ、良く来てくれたね。 久しぶり」


越智水医師はデスク右手前に備わった、向かい合う応接用ソファー前で立ち止まり、木葉刑事と握手する。


その後に木葉刑事は、何時に来ても整理された医師の部屋に、感心の顔で部屋を見回しながら。


「何時に来ても先生の部屋は、サッパリした部屋ですねぇ~。 デスクの上も、ちゃんと片付いているし・・・。 本も、キレイに本棚に。 先生には、俺のデスクを掃除して欲しいですよ」


冗談に笑う越智水医師は、木葉刑事にソファーを薦めて。


「コーヒー? 紅茶?」


問われた木葉刑事は、3人掛けのソファーにどっかり座って。


「コーヒーでいいですよ」


越智水医師は奥の流し場に向かうと、湯沸しポットに水を入れて掛ける。 電気で直ぐ沸くタイプだ。 作業をしながらに、越智水医師は言う。


「実は、先日に私が解剖した死体。 恐らくあれは、連続殺人事件の被害者だ。 だから、君を呼んだのだよ」


話を聞く木葉刑事は、テーブルの上の茶菓子を一つ取っては、パッケージを破りながら。


「みたいっすね。 先生の取り出してくれた、アレ。 ガイシャの体内に残されていた体液が、追ってる例の事件(ヤマ)の犯人(ホンボシ)の体液と、見事一致したって。 昨日、科捜研から報告が来ましたよ」


給湯室に立つ越智水医師は、鈍く頷いて。


「やはり」


と、呟く。


菓子を食べた木葉刑事は、口に入れて直ぐ溶けるものを飲み込んで。


「でも、何でだか解らないンですが。 科捜研の人が、チョー不思議がってたな。 先生の所見だと、遺体は・・死後、四日前後は放置されていた。 然も、水死体だって云うのに、まったく体液が腐乱してなくて存在してたって…」


コーヒーと紅茶のカップを両手に持った越智水医師は、応接ソファーの方にやって来ながら。


「いや、私も、それには同意見だよ。 実に、不思議な話だがね。 体液の入っていた被害者の子宮は、ぴったり閉じていた。 この時期で、四日も経過した後では、まず在り得ない事だよ・・。 あっ、遺体の顔写真は、君も見たかい?」


コーヒーの入ったカップを受け皿ごと受け取った木葉刑事。 話が本題に触れた事で、いよいよ馴れ馴れしい口調に成り。


「見ましたよ~。 いやぁ~、驚いたの何の・・。 あんな顔、今までに見たこと無いッスね。 一瞬見たとき、幽霊を視る時の感じがして、正直な処て心底から驚きましたモン」


その木葉刑事の意見に、越智水医師は頷いて。 木葉刑事の前に在る、一人用のソファーに座り。


「うん。 その点については、私もまたまた同意見だよ。 あの遺体には、おかしな点が多過ぎる」


だが、この2人の会話、第三者が居たならば首を傾げるか。 馬鹿な話し合いと退席するかも知れない。 一体、何を言っているのだろうか。 殺人事件なのに、“幽霊”などと…。


然し、2人は平然として、更に話を進める。


先ず、座った越智水医師が。


「この蒸し暑い夏の陽気で、死後四日だよ。 然も、水の中に放置されたら、栄養分の塊と云える遺体の腐乱は、急速に進む。 顔の傷などは、腐り始める最たる場所なんだ…」


菓子を食べる木葉刑事も。


「そおっスね。 か・川の水なんて、雑菌の、宝庫だし…」


食べながら話す処は、仕事で動き回り腹が減っているらしい。


「その通り。 なのに、あの遺体には何故か、腐乱した形跡が著しく少ない部分が在る。 死ぬと筋力は、一旦は死後硬直で固まるが。 その後は、筋肉や神経細胞が破壊され、徐々に緩む。 なのに、死んだ後に四日も経過したはずの遺体なのに、子宮は閉まったままで。 体液が腐りもしないで、そのまま残る・・・。 明らかな、真の‘変死体’だよ」


語る医師を観る木葉刑事は、コーヒーカップに口を付けてから。


「・・そうなると先生。 久しぶりに、アッチ方面の話ですね?」


越智水医師は、頷きながらカップをテーブルに置いた。


そして、一呼吸置いてから。


「木葉君、実はね。 私は、今回の遺体の顔と全く同じものを、過去に二度ほど見ている」


この話を聞いた木葉刑事は、カップから口を大きく離して。


「えっ? 先生、それってまさか……」


すると越智水医師は、首を左右に振って。


「いやいや、例の事件との関連性は、無いと言って於こう。 何せ、目撃の一回目は、私が中学生の時。 そして、目撃の二回目は、大学の頃だもの」


それを聞いた木葉刑事は、少し興醒めして。


「な~んだ。 凄い前、時効が来てる」


その彼の様子を見て、軽く微笑む越智水医師は。


「ふふ、悪いね」


と、言ってから、また真顔になり。


「だが、もし私が知っている現象ならば・・、だ。 あの遺体と成った彼女を殺した犯人は、いずれ呪い殺される」


‘呪い殺される’


と、聞いた木葉刑事は、その話に目を細める。 笑ったり、呆れたりしたのではない。 寧ろ、顔を引き締めたのだ。


また、言った越智水医師も、そんな木葉刑事を見て。


「木葉君。 君も刑事としては、こんな卑劣な犯人を生かして挙げたいだろう?」


問われた木葉刑事も、真剣な顔に変わって居て。


「“呪い”・・ですか。 『被疑者死亡』で勝手にあの世へ送検されたくないのは、本音ですね」


「うん。 やはりキチンとした形で、犯人は現実的に裁かれるべきだと思う。 だから、君に過去の事を話すよ」


と、越智水医師は、過去の経験を語りだした。


それは、この越智水医師がまだ14歳の少年の頃。 人口も少ない片田舎で、静かに育っていた頃の話である。


越智水医師の祖母に当たる人は、人当たりが朗らかな小柄の人物で。 笑顔の絶えない様子から、世間で言う処の、


“可愛いおばあちゃん”


と、云った感じの人だった。


だが、この越智水医師の祖母は、世に言う“霊能力者”だったそうな。


「マジですか?」


訪ねる木葉刑事は、信じられないというより。 確認するような顔と物言いである。


「うん。 君もそうだが、私も若い頃から霊感が強くてね。 だから心配した祖母が、色々と教えてくれたんだよ」


「へぇ~〜〜」


此処で、2人して軽く喉を潤した。 そして、越智水医師の話が続く。


それは、或る秋の晴れた日に。 村で一人暮らしをしていた或る老婆が、何者かに殺された。 その老婆にとって唯一の肉親と成る孫は、事件当時は単身で都会に出ていて。 老婆1人で居た夜に、どうやら強盗が入ったらしい。


さて、殺されるだけでも、実に惨たらしい事件だが。 何よりも問題なのは、金の隠し場所を聞く為にだろうが。 押し込み強盗犯人は、かなりその老婆を痛め付けたらしいのだ。 そして、孫の学費に・・と老婆が溜めていた、箪笥貯金などを奪った挙句。 家の中の太い梁にロープを掛け、老婆の首を吊るして殺したのらしい。


此処まで聞いて、


「そりゃ酷いな・・。 口封じにしても、根こそぎ全部を奪った様なものだ」


と、顔を歪めて呟く木葉刑事。 殺した事、それ自体も許せないが。 殺し方も卑劣極まりない、と憤ったのだ。


さて、その老婆の遺体を最初に発見したのが、越智水医師の母親と祖母だった。 季節季節に於いて。 何かと理由を付けては、殺された老婆と畑で取れた季節の野菜を分け合っていた関係だったとか。 そして、その時は。 朝に捌いた鶏肉を野菜と一緒に、様子を見る為に持って行った所で。 開きっ放しの戸、異常に吠える犬から異変に気付いて。 2人して母屋に入った所で、吊された老婆の死体を発見したそうな。


だが。 死んだ老婆の顔を直視してしまった越智水医師のお母さんは、とてつもない恐怖に気絶した。 そして、越智水医師の祖母は、一心に念仏を唱え始めたそうな。 そう、その首を吊るされた老婆の顔が・・・正に今回の遺体の顔の様に、元の顔が判らない程に変貌していたのだとか。


この話に、木葉刑事は思うままに。


「先生。 その変化ってやつは、作用としては物理的な変化って事ですか? 死ぬ間際の感情に……」


と、言うのに対して。


「いや、それは無いよ、木葉クン」


と、彼の問い掛けを途中で遮った越智水医師。


「あんな変化が、もし科学的に証明された事ならば、今のこの時代だ、誰も怖がらないよ。 そして、本当に問題なのは、その後なんだ」


「はあ……」


生返事をした木葉刑事だが、その変貌が特殊な事だと、霊的な現象とは解った。


さて、越智水医師の話の続きだと。 犯人は、十日後に解ったそうだ。 犯人は、2人組。 方々に借金していたチンピラ紛いの無職の男と。 親の金を勝手に持ち出して使い込んだ地主の跡継ぎ。


先に周囲へと解ったのは、地主の息子だ。 自分のやった犯行を夜中に、大声で叫んで謝罪して回り。 その後に、抑える使用人達を振り切り。 自分で包丁を使い、自分の顔を滅多刺しにして死んだ。


そして、その二日後、老婆が死んでから十日後だ。 チンピラ崩れの男は、遺書を残して焼身自殺をしたと言う。 処が、その死んだ遺体を調べると更に、腹を切り裂かれていた様だった。 これも後の調べで、どうやら自分でやったらしいと判明する。


その2人の死に方を聞く木葉刑事は、言葉を少し失ってから…。


「な、なんか、ソ~ゼツ・・ッスね。 警察の手が回り出したワリには、ちょいと激しい懺悔だ」


処が。 越智水医師は何故か、スッと右手を挙げて木葉刑事に向けると。


「いや。 警察は、別の線を調べていて、その2人はノーマークに近かった」


「はぁ? じゃ~・・何で2人は、自殺なんか。 捕まる気配も無いなら、のうのうと黙ってりゃいいのに…」


「うん。 君の意見は、最もだよ」


木葉刑事の素直な意見に、理解を示した越智水医師。 そして、更に話を続ける。


「これは、祖母が教えてくれたのだがね。 あの遺体の変化とは、死ぬ間際に憎い相手を呪ったままに死んだ者の。 激しく、とても強い怨念の現れなんだそうだ」


“幽霊が見える”


と、自分で言った木葉刑事は、背筋に寒気を覚えて。


「こ・怖いっすねぇぇ・・・。 じゃあ~まさか。 自殺した2人って、その………」


「母や同級生から聴いた近所の話では、ね。 事件の後から2人は、急激におかしくなったらしいよ。 何かに脅え、いきなり人前も関係なく謝り出し。 挙句の果てには、精神病みたいな様子になって、酷く脅え出した。 私も、その犯人となる2人の片方の人物は、些かだが、どんな人物なのか知っていたが。 正直、人を殺したとしても後悔なんかする様な、そんな事を考える人間では無かった」


「なるほど。 そりゃあ~祟られてますねぇ。 幽霊にロックオンされてたんだ」


この、今風に俗っぽく言う木葉刑事は、事実として霊感が非常に強かった。 その御蔭で、時々あっと驚く難事件を解決する。 実は、幽霊からヒントを得ているのだが、何時も説明できないので。


“たれ込み”


とか、


“たまたまのラッキー”


と、云う事にしていた訳だが。


まぁ、そんな彼だからこそ、越智水医師の語る意味が解る。


「もしかして・・・、先生。 その犯人の2人は、殺した婆さんの怨念に取り憑かれた・・・って、事ですかね?」


越智水医師は紅茶のカップを取りながら、其処で意味深に木葉刑事を見返した。


そして、短い間を経てから。


「そうだよ。 先ず、資産家の息子が自殺した時点で、本当なら通報して措けば良かった…」


「通報はされなかったンスか」


「うん。 当時はまだ、昭和の中頃。 都会とは違って、時代の進みが遅れた田舎の農村だからね。 戦前、戦時中から続く、‘暗黙のシキタリ’みたいな物が横たわり。 “家の恥は外に晒せない”、と父親が使用人を黙らせた」


その話に、木葉刑事も理解が行く。


「田舎には、土地や元の家名から来る上下関係やら田舎ならではの柵(しがらみ)が在りますからねぇ。 今にしてみれば、大半は腐った滓みたいなものですが…」


「あぁ。 だが、結局は2人目の自殺で、全て明るみとなり。 結末は、同じか。 最悪の方向に向かったのさ」


すると、木葉刑事は逆に、越智水医師へ向かって前のめりに成り。


「先生。 もう一つの目撃は、何処なんです? 話ですと、大学生時代ですよね?」


「うん……」


鈍い返事より始まる次の話。 それは、越智水医師の大学時代の親友が失踪したのが始まりだった。 その時。 越智水医師は既に東京に出て来ていて、2年目の初夏を迎えた頃で在る。


今は、ダンディズムが漂う年配の紳士と言える越智水医師だが。 その当時は、着飾る余裕や思考も無く。 田舎者の雰囲気を纏う‘ガリ勉学生’だったが。 同じ同人誌仲間で友人の1人に、女性に良くモテる人物が居た。


「へぇ、先生が同人誌を?」


「おや、木葉君。 私は、推理小説から漫画に至るまで、あの当時の流行りは全て齧った方なんだよ」


「初耳だ」


こんな話は、その後の本題に入ると頭から飛んでしまう。


越知水医師が、推理小説やら官能小説にハマり、自作の小説を仲間と漫画にしていた頃だ。 その頃、特に一番仲の良かったのが、そのモテる彼だったのに・・・。 突然、何の前触れも無く大学に来なくなった。


当時の越知水医師が、彼と会わない・・と感じた頃。 彼が大学に来ない事を心配する女子大生から連絡を受けた親も心配して。 その後直ぐ、警察へ捜索届けを出したらしい。 越智水医師の友人の間では、


“女性と駆け落ちでもしたか”


“二股だったかな”


・・と、女性絡みで失踪したと思われた彼だが。 変わり果てた姿で見つかったのは、3ヶ月以上も経った初冬の頃。


其処は、学生達が本を求めて帰りに良く遊びに行っていた、神田の或るビルの床。 然も、コンクリートの中からだ。


コーヒーを飲む手を止めた木葉刑事で。


「コンクリって、事件ですか?」


「うん……」


床から死体発見後、失踪事件から殺人事件に変わり。 親しい友人の一人として、越智水医師も警察に事情聴取もされた。


さて、結論から言うと。 コンクリートの中から発見された友人の顔は、3ヶ月以上も経過して普通ならば腐乱して当然の筈だった。 が、然し。 今回の女性の遺体の様に変化して、腐乱したから解らないのではなく、変化が酷すぎて本人と良く解らなかった。 だが、衣服の中に在ったボロボロの所持品から学生証が見つかり、その後に歯の治療痕などから彼と解ったのだが。


この一件も実に、様々な意味で実に奇妙だった。


先ず、遺体発見の経緯が変わっていた。 友人の失踪後にオープンした複合商業ビルで、多数の客から幽霊の目撃談が沸く。 そして、ある日。 やや強い地震が起こった時、コンクリートが割れて酷い腐臭が溢れ出し。 漸く此処で、遺体発見に至るのだ。 遺体が発見された場所は、自動販売機の置かれた休憩場の真下で。 発見前から幽霊が多数目撃された、正にその場所である。


「うわぁ~。 ヤバそうな感じですねぇ~」


生じ、幽霊が視える木葉刑事が聞くだけでも幽霊が視えそうだと感じ、顔を顰めると。


「うん、本当にヤバいよ」


と、真面目な面持ちで、木葉刑事の伝法な言葉を拝借した越智水医師。


そして、亡くなった彼に対する事件の捜査は、意外な展開を見せた。 これもまた、変な話なのだが。 その遺体発見の直後に、埼玉の県道で暴走族が交通事故を起こして、メンバーの数人が死んだ。


その時の事情聴取で、生き残った暴走族の青年達が皆、挙(こぞ)って言う。


“幽霊を見たんだっ!!!”


“少年院でも刑務所でも行くよっ! だからっ、裁いてくださいっ、助けてください・・お巡りさんっ”


と………。


驚いて警察が突っ込んで事情を聴くと…。


交通事故で死んだ青年達は、初夏に東京で数日騒いだ時。 酒に酔っては肩のぶつかった越智水医師の友人を捕まえ、集団で暴行した上に財布の中身を奪い。 更に、建設中のビルに連れ込んでは、遊び半分でコンクリートを掛け。 それがやり過ぎ、窒息死させてしまったらしい。


「え? その御友人って、そんな死に方だったンですか?」


「うん。 後で私も聴いたが、正直な処で死刑に成ればいいと、友人同士で言い合ってしまったよ」


さて、事故で死んだ青年達は、その殺害当時。 麻薬と飲酒で、もう正常な状況判断が出来ない様な…。 そんな異常状態に陥っていた・・と、云うのである。


「うお~、酷いな・・・それも」


木葉刑事が困惑する中で。


「うん。 何時の時代も、こうした若者の暴走に歯止めが掛かるのは、後になってからだよ。 だが、その死んだ暴走族の青年達も、事故死するまで数々の怪奇現象に襲われていたらしい」


「マジですか?」


「うん。 毎日、友人が死んだ時刻が近く成ると、不気味な幻聴が聞こえたり。 おぞましい顔の幽霊に、夜な夜な襲われたりね。 そして、その時に1人だけ、精神病院に入院してしまった犯人の青年は、事故死を免れた。 だが・・・、結局は死んでしまった」


「先生、それは病死ですか?」


すると何故か、越智水医師は言葉を止めて。 木葉刑事をジッと見る。


無言の越智水医師に、木葉刑事は言い知れぬ不気味なものを感じた。


「怖いっスよ。 ・・・先生」


「ん・・悪いね。 さて、その入院した彼とは、友人を直接的に殺した実行犯の一人でね。 或る日、何かに怯えて病院を抜け出しては、白昼に近くの建設現場に走り込み。 その・・工事現場で働く作業員が制止するのを振り切り、回っているコンクリートミキサー車のタンクへ…」


「はぁ?」


「動いているタンクの中に、自分から飛び込んだらしい」


その状況は関係者の証言に因ると、本当に一瞬の出来事だったという。 狂ったように謝罪の言葉を叫ぶ未成年の若者は、捕まえようと掴み掛る建設作業員を振り払い。 ミキサー車のタンクの中に、自分から飛び込んだと言うのだ。


その様子に、何かおぞましい力の関与を感じる木葉刑事は、口元に両手をやり。 顔をさすりながら…。


「なんか・・こっちも、壮絶ですね。 今回も・・もし同じ呪いなら、犯人はタダじゃ~済まないな」


すると、越智水医師も溜め息混じりに緩く頷いて。


「ふぅ・・、うん。 とにかく、だ。 これ以上の犯罪の長期化も困るし。 呪いが成就する前に、犯人を逮捕するのが一番いいと思う」


語った越智水医師も、聞いた木葉刑事も、落ち着く時間を欲して黙ったのだが…。


顔を撫でた指の間から相手を見ていた木葉刑事は、普段と雰囲気の違う越智水医師に、自分の疑問をぶつけてみた。


「先生。 一つ、質問をいいですか?」


問われた越智水医師は、温く成った紅茶を見詰めつつ首を傾げ。


「ん? 何かね?」


すると、顔から手を離す木葉刑事は、


「あ~・・・。 こうゆう言い方って、その~・・刑事としてヘンですがね」


と、ちょっと、ハッキリ言い難そうにしつも。


「その~・・。 其処までの怒りって云うか、憎しみや怨みが募ってるならば。 いっそ犯人は、呪いにやられちまった方が・・、被害者の供養になるんじゃないですか?」


と、言ってしまった。


その、刑事としては‘らしからぬ’彼の発言に。 俯いたままの越智水医師も何故か、反応も無く黙ってしまった。


その様子を窺う木葉刑事は、言い出した自分が悪いと思ってか。


「あ~、いや。 勿論、一刑事としては、犯人(ホシ)は挙げたいですよ。 世間的にも、刑事としてもね。 それに、全力で捜査もします。 でも・・・酷い仕打ちの上に殺されて、怨念から幽霊にまで成ってしまったなら。 その・・その方が、成仏しそうな気もするんですが…、ね」


「ふぅ~、うん…」


その言い訳に、木葉刑事の本心を垣間見た越智水医師は、俯いたまま深いため息を吐いた。


少しの沈黙が、この場に流れる。


何が、黙る理由なのか。 困った木葉刑事は、やや身を正すと。


「先生。 何か、ヘンな事言いました?」


然し、それでも越智水医師は、黙ったまま。


その様子を見る木葉刑事は、やっぱり自分の考え方が悪かったかと思った。


が。


やや、間合いを置いてからだ。 越智水医師は、漸く反応する様にして首を左右に振ると。


「実はね、木葉君。 これは、私の祖母の言葉だ」


「ああ・・霊能力者の?」


「うん」


昔の事を思い返す越智水医師は、俯きながら何処となく遠い目をして、祖母の言葉を語った。


“一度でも、怨念を抱いて呪いに染まった幽霊は、相手を殺しても浮ばれないのだよ。 そして、次第に他の怨念が集まって一緒に蟠り、この世に只、無意味に残る為に自縛してしまう。 そして、更には・・罪無き命まで奪う事に成りかねないのだよ……。 人を呪わば、穴二つ。 穴とは、墓穴。 一つは相手、もう一つは・・・己じゃ”


その話を聞く木葉刑事は、考える越智水医師の意味が何となく解った。


「なるほど、そうゆう事ですか……」


「うん」


と、頷いた越智水医師は、更に。


「私が過去に見た何れのケースも。 殺害した者達は幽霊に怯えていたけど、殺された訳では無い」


「ま、自殺ですもんね」


「そう。 でも、祖母の言い方は、直接に手を下せる物言いだった…」


「嗚呼、そうか。 最悪の場合は、呪う幽霊の力で直接的に死を与えるって事ですね?」


木葉刑事の話に、しっかりと二度も頷いた越智水医師で。


「‘直接的に手を下す死’・・とは、如何なるものか。 私には、解らない…。 でも、魂を自縛させては、救いが‘亡くなる’」


越智水医師の想いは、酷い殺され方をした被害者の女性に同情したものだ。 浮かばれない魂に成り、永くこの世に縛られ。 憎しみ続ける事を哀れんだのだ。


木葉刑事も、また。 同じ想いに至る。 然し、此処で携帯のバイブレーションが鳴る。


「おっと」


携帯を見れば、自分の所属する班の篠田班長からのメールだった。


「先生の言いたい事、心に留めときますよ。 上司からメール着てますから、俺、これで帰りますね」


越智水医師は、立ち上がった木葉刑事を見上げて。


「すまないね、急に呼び出して・・・。 でも、私はいずれの呪いも、犯人の自殺と云う。 云わば成就に近い形を見て来た。 然し、幽霊を視れる君なら、死んだ者に罪を重ねさせるのを防げるかもと思って、呼んだんだ。 刑事として、出来れば呪いの成就が終わる前に犯人を逮捕してやってくれ」


木葉刑事は頷いてドアに向かう。 ドアを開いて、越智水医師に向き直った。


「解ってますよ、先生。 じっ、………」


喋りを止めた木葉刑事は・・・、其処で固まった。


越智水医師の座るソファーの後ろに、着物を着たおばあさんが何時の間にか立っている。


(この気配は・・背後霊? あっ、まさかっ! 越智水医師の祖母って・・・、この人か?)


白髪で、小柄で、物静かな感じのする老婆だ。 だが、何故か良く解らないのだが。 顔を左右に、ゆっくりと振っている。


「木葉君・・・木葉君、どうしたのかね?」


問われる声にハッとし、我に返った木葉刑事。 おばあさんと越智水医師を交互に見ながら。


「あ・・・いえ、何でも。 何か在ったら、また来ますね」


一方、今の間合いは何事かと思う越智水医師は、自分の背後を見てから。


「あ、ああ…」


と、中途半端に頷くのみ。


別れてドアを閉める木葉刑事だが。


(何で、だ・・・、首を振ってたな。 何か、駄目な事でもあるのか?)


幽霊を見慣れている木葉刑事は、幽霊とコミュニケーションをとる事も在る事から。 首を左右に振るのは、何らかの否定や止める様なメッセージが含まれると思う。


だが、その意味が解るのは、もう少し後に成ってからの事だった………。

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