5章 異変と再会

     ̄scene 1_


次の日。 昼過ぎだった。


死んだ母親の遺体を隣の人が訪ねて発見し、119番通報した。 救急車と連動して、警察が来て。 死んだ相手が例の事件の遺族と解ると、捜査一課にも連絡が行った。 連絡を受けた班長の篠田は、手が空く木葉刑事に行けと命令した。 ‘自殺’との見立てなので、木葉刑事1人に向かわせた。


さて、木葉刑事の所属する篠田班の班長をする篠田は、50歳前後の平々凡々と言える人物だ。 背が高い訳でもない、中肉中背から少しばかりお腹周りが出でいるかも…ぐらいの眼鏡の男性。 恐妻家らしいが、仕事にだけは理解の在る妻が居て、刑事としてそんなに目立つ手柄も在った訳では無い。 他の班長(主任)をする者と比べてみると、刑事課には珍しい人物だ。


今は、この連続した殺人事件の特別捜査本部に組まれている篠田班は、実は他の班から様々な陰口を叩かれる、落ちこぼれ的な烙印すら押された感じになっていた。 その要因は、コレと云う理由や捜査の展開が無いのに、突然のタイミングで証拠や詳言を見付けたり拾う木葉刑事を筆頭にして。 他の刑事からは首を傾げたくなる様な、そんな困り者ばかりが集まった班だ。 そんな篠田班が2係のエース班とされているのも、不思議な引きと言うか、運を持つ木葉刑事と。 同じく班に居る、所謂の‘正統派な刑事’といえる飯田刑事と云う2人が居て、警視庁捜査一課の中でも事件解決率のトップを競っていた。


昼下がりの2時過ぎ。


東京都内の現場に車で向かった木葉刑事は、ガラス瓶を見詰めて死んだ母親のアパートに着いた。 アパート内の片隅に車を停めて、現場保存の為に封鎖されている中にライセンスを示して見せて入っていった。


(人が死んだってだけで、何でこんなにも人混みが出来るかね)


都内でも、古いアパートやマンションが犇めく様に多いこの場所では、野次馬も多い。 


「ごくろーさま~」


階段を上がって、外廊下に並ぶ各部屋のドア前の通路で行過ぎる鑑識や警官に声を出しながら、現場となる部屋に入った木葉刑事。


「お疲れ様で~す」


所轄の刑事達が居る中で、少し言い方を正しくした木葉刑事。 すると、所轄の刑事達や鑑識員達が一斉に木葉刑事を見てくる。


その様子にビビった木葉刑事は、恐れつつライセンスを見せて。


「同業者で~す」


と、言ってみる。


すると、30代の見た目に暴力団の構成員染みた雰囲気をした男で、ガッシリした身体にオールバックで色眼鏡をし、黒いスーツに柄物のシャツ姿の男性がやって来た。 そして、木葉刑事の出すライセンスをジロジロと見てから。


「ほ~、捜査一課の刑事さんが、何の御用ですかっ?」


と、やや攻撃的なニュアンスを含む言い方をしてきた。


問われた木葉刑事は、遺体が鑑識員に因って調べられて、青いシートに入れられているのを見て。


「死因は? この人、ウチの方で追ってる事件(ヤマ)の被害者遺族なんですよ。 事件との関連性を調べたいので・・だから、命令で此処に来たのさ~」


すると、2部屋の奥、コタツが在る方から、スキンヘッドでこれまたガッシリした体格だが小太り男性が、ヌルッと前に出てきた。


「木葉よぉ。 残念だがな、こりゃ~病死だ。 ガイシャは、心臓を病んでいたらしい」


と、何処か知った間柄の口調である。


オールバックの刑事は、その小太りでスキンヘッドの刑事に向かって。


「あれ、古川さん。 こっちの方とお知り合いですか?」


細い目つきで禿げた小太りの刑事は、大きく一つ頷くと。


「ああ、月並みな言い方をすれば、‘腐れ縁’って奴だ」


と、返した。


“確かにその通り”


そんな感じに頷いた木葉刑事は、先ず運ばれる前に・・と遺体を見て。 それから部屋の中を観察しながら内心に。


(病死・・ね。 だけど、この部屋に残る強い怨念の気配は何だろう。 気配は、あの橋の所で亡くなった女性の霊の気配に近い気が……)


だが、警察の捜査に霊を持ち出しては始まらない。 現代の裁判に於いて、“霊的な”、こんな非科学的なことは何の証拠能力も持たないのだ。


だから…。


「ここの管轄なんで、古川さんが出張ってるって思ってました。 でも病死ならば、こっちの事件(ヤマ)とは関係無いって事ですね?」


と、古川刑事をチラ見する。


すると、何故か。 古川刑事が意味深な目つきをして、そう言った木葉刑事を見ると…。


「だが、病死にしても・・だ。 死因となる原因は、下手すると事件かもな。 見ろ、木葉よぉ。 ガイシャは、ヘンな事に残り少ない命の時間を費やしていたみたいだぞ」


と、云うのである。


その物言いに、不穏な気配を感じる木葉刑事。 古川刑事の居るコタツの在る部屋に来て。 睨んで来るオールバックの刑事に気も逸らさずに。


「フルさん。 “ヘンな事”ですか?」


「あぁ」


頷いた古川刑事は、現場の遺留品調査をしている老練の鑑識員へ。


「ヤっさん、アレ。 こっちにも見せてやってくれ」


と、声を掛けた。


「・・・・」


普段から無口な所轄の鑑識主任をする矢沢(やざわ)は、収拾物を入れるトランクから、虫の屍骸の入ったガラス瓶を取り出して。 自身の仕草はぶっきら棒に、だが押収品を扱う手付きは穏やかにして木葉刑事へと見せた。


ガラス瓶を覗いた木葉刑事は、それを見て直ぐに何か解った。


「おいおい・・・、こりゃあ~“コドク”かよ。 まぁ〜た凄いのやってたなぁ~」


普通に見て気持ち悪がった木葉刑事だが。


「・・・」


それを聞いた古川刑事の目が、彼を見てギラリと光る。


「ほう。 優秀なソウイチ(捜査一課)の木葉刑事は、コレが何なのか・・知ってるらしいねぇ」


と、言うと近付き。 木葉刑事を逃がすまいとばかりに、彼の肩に右手を回す。


捕まってしまった思いの木葉刑事は、自分をジロジロと見てくるオールバックの刑事や矢島鑑識員の目を見ながら。


「あ~・・、ホラ・・まあ・・・少しねぇ」


と、ニガ笑う。


古川刑事に見られつつも、部屋を見回した木葉刑事。 窓と反対側に置かれたテレビ台。 その脇に有るタンスには、子供が悪戯をして見かける光景が窺えた。 可愛い女の子のキャラクターを象ったシールが、タンスの各段の面に張られていて。 その全部が、何年も経た様に色褪せていた。 そして、このタンスの一番上には、真新しい小さな仏壇と、写真楯に入れられた幾つかの写真がある。


(例の犯人に殺された娘さんの事、大切にしてたんだな~。 ・・然し、何で呪いなんか遣ってたんだろう。 犯人の事、もしかして解ったのか?)


そう感じる木葉刑事が見たその写真には、2人の女性が写っていた。 最初に見た写真は、何処かの公園だろうか。 小学生くらいの女の子と笑う女性が並んでいたり。 他には、中学校に入学する時だろう。 制服姿の少女が、校門前に立つ写真。 また、他には何処かのデパートの屋上で、小学校に上がる手前の幼女と母親らしき女性が、2人で笑顔を見せ写っていたり…。 今は痩せこけて、姿が随分と変わっているが。 亡くなった女性は、写真の母親と思しき方の女性と似ていた。


それから木葉刑事は、本を積み重ねた束をテーブルの上に見つける。 鑑識の矢沢が証拠物件として押収するために、部屋の彼方此方から取り出した物だ。


(で・・、さっきからこの辺で、妙な気配がするんだがなぁ〜)


その本の中でも、或る黒い本に目を付けた。 嫌な靄みたいな煙が仄かに纏わり着いていたのだ。


(これは・・)


気になった木葉刑事が、その本に指を引っ掛けて引っ張り出せば。 不気味な骸骨が表紙を飾る、黒いハードカバーの本が表れる。 見た目に不気味なのは当然だろう。 然し、木葉刑事には、この本からとても強い怨みの気持ちを感じる。 本を取り巻く黒い焔の様な念は、呪いにも酷似する強烈な思念。 怒り、恨み、憎悪など、負の感情が凝縮している感じがする。


(とても強い怨念を感じる。 これを見て、アレをやったか…)


こう思う木葉刑事は、間近に居るオールバックの刑事に。


「ホラ、この本。 この本で、“コドク”と云う名称の呪いの遣り方を探すと解るよ」


と、教えてから。 次に古川刑事に顔を寄せると、小声で。


(フルさん、ちっと・・・向こうの車内で話できませんか。 こっちも、色々と話・・・あります)


と、囁く。


すると、何故かムスっとした顔の古川刑事で。


「フン、解った」


と、部屋から出るほうに歩く。


(全く、何の話やらな)


木葉刑事の様子に、一抹の不審や不安を感じる古川刑事。 のそりとした動きで、出入り口へと向かって行った。


古川刑事の後を着いていく木葉刑事で、その背後では。


「マジかよ・・・。 こんなゲテもん、見てるのかっ」


こう呻いたのは、オールバックの刑事。 木葉刑事と本を交互に見ながら、テーブルの上に出された本を拾った。


“世界呪術全集・アジア編”


と、表紙に書かれてあった。


さて、部屋の外に出た古川刑事は。


「木葉、お前の車で話そう。 いいか、クーラー掛けろよ」


命令口調で言われた木葉刑事は、捜査一課の刑事と所轄の刑事と云う垣根も無い様に苦笑して。


「アイドリングストップ・・は?」


「バカ。 このクソ暑い中で、ケチ臭い事を言うなっ!」


「ハイハイ…」


木葉刑事は古川刑事と車に戻って、自分が運転席に、古川刑事を助手席に乗せるとエンジンを掛けた。 クーラーを掛けてから、買っておいた缶コーヒーを渡す。


「おう、悪いな」


受け取った古川刑事を見てから木葉刑事は、連続強姦殺人事件の遺族となる母親の死んだアパートを見ながらに。


「フルさん。 埼玉の川岸で上がったガイシャの事は、もう知ってますよね?」


古川刑事は、缶コーヒーの蓋を開けて。


「ああ、一課の追ってる事件(ヤマ)だろ? 俺も、生意気だが可愛い娘がいるからな、逮捕を今か今かと待ってる。 で? 何か進展でも在ったか?」


窓越しに外から現場を見た木葉刑事は、古川刑事に顔を戻すと。


「フルさん、実を言うと・・・。 その橋で見つかった被害者が、とんでもない幽霊に成ってる」


その瞬間だ。 古川刑事の笑みが、硬直したままに止まった。


話を続ける木葉刑事は、内ポケットから女性の遺体の顔写真を取り出して。


「見てください。 この顔を………」


古川刑事は気分を悪くした顔で、写真を軽く見た後に。


「酷ぇ~顔(ツラ)だな・・・。 これ、犯人(ホシ)がやったのか?」


「いいえ。 こうゆうのに詳しい人に聞いたら、死んでも誰かを呪う怨霊に変わると、こうゆう顔に成るんだそうで」


「あ? お前・・・信じてるのかよ。 そんなの」


古川刑事は、ワザとらしく笑い飛ばすのだが……。


「スイマセン、フルさん・・・。 実は俺も、この遺体の姿のガイシャを、・・もう見てるんです。 然も、昨日に」


すると古川刑事は、ガバッと木葉刑事を睨む。


「お前って奴は・・・またっ! ん"っ・・そうゆう事件を持ち込みやがってっ!!!!!!」


周りも有るから押し殺しているが。 古川刑事は、憎たらしい相手を見る顔で木葉刑事を睨む。


だが、それでも木葉刑事は、真剣な顔で。


「フルさん、それだけじゃないですよ。 強烈な怨み、熾烈な怒りに死者の魂が染まってこの顔に変わると、事件の関係者・・って言っても。 多分は、犯人だけだと思うんですが。 犠牲者が出るって話です。 現実で、俺と似た霊の視える人の話では、過去に何人も……」


そんな眉唾の話に古川刑事は、苦虫を噛み潰した顔で。


「チッ! ・・んでっ? 俺にどうしろって?」


「はい。 あ〜〜、お手数ですみませんが・・あの御遺体を変死体として、処理をお願い出来ませんか? そして、遺体の解剖が出来たら・・・俺に情報をくれませんか?」


“司法解剖に回してくれ”


と、頼まれた古川刑事は、唸って携帯を取り出した。


この古川刑事と木葉刑事は、以前からの知り合いだ。 実は、木葉刑事の解決した幾つかの事件。 その内二つに、古川刑事の属する管轄の警察署に捜査本部が立って一緒に捜査する機会があった。 幽霊なんて、その時まで信じていなかった古川刑事だが。 自分でも幽霊を目撃した上に、木葉刑事と2人で犯人逮捕までに至っており。 他にも、何度か木葉刑事から“普通のルートでは無い”情報を貰って、古川刑事は犯人を捕まえている。 それは即ち、幽霊からの情報を貰って・・と云う事だ。


「解った。 今夜、俺が立ち会って解剖してもらう。 検死報告書は、出来上がり次第にお前に送る。 それでいいな」


それを聞いた木葉刑事は、とても済まなそうに頭を下げて。


「フルさん、ありがとうございます」


「フン・・。 お前の顔を見るときは、こんなのばっかりだっ!! コーヒーっ、ありがとよっ!!」


苛立たしげに言った古川刑事は、外へ出る為にドアを強く開ける。


古川刑事の背中に、何度も心の中で感謝と謝罪を繰り返す木葉刑事だ。


その理由、何故ならば…。 死体を鑑識員が観て病死と判断されているなら、明確な疑問点が無い場合は遺体が解剖に回る事はない。 だが、事件性を孕む可能性のある変死体となれば、解剖をして死因の特定と事件性を調べる。 木葉刑事は、古川刑事に、あの母親の死体を鑑識員の見解となる病死体ではなく、何らかの理由を付けて変死体にして貰い。 司法解剖に回して欲しいと、なかなか強引な事を頼んだのである。


そして、何故に古川刑事はその要望を呑んだのか。 木葉刑事は、そう思って無いかも知れないが。 古川刑事には、木葉刑事と度々に渡って秘密裏な情報交換をしていた借りが有るとする意識が有った。 幽霊の事情が絡むと知り、今回もその一環だと渋々だが承諾したの次第だ。 


車に残る木葉刑事は、遠ざかって行く古川刑事をずっと見ていた。





      ̄scene 2_



そして、その夜。


“被害者遺族の母親が変死体で発見された”


と、夕方のニュースに出たが。 あの強姦殺人犯である広縞は、どうしていたか。


彼は、一般の社会人として生き。 雇われる会社の基本的な定時となる8時に会社を退社して、オフィス街の中を駅の方に歩き出していた。 コンビニの前を通りながら、店から伸びる明かりで腕時計を見る。


(8時過ぎ・・か)


残業して、長く会社に居たかったが。 今は、子会社の赤字が膨らみ、経費削減の為に残業は控えられている。 然も、広縞の管理しているチームは、商品開発の研究進行が頗る上々だ。 こんな事では、褒められても残業が認められる訳も無い。


(あれから・・・体調が悪いなぁ。 こんな事、今まで無かった………)


あの、トイレで大声を上げた日から、気分も体調も優れない。


昨日は、新人達が広縞を飲み会に誘ってきた。 男女問わず、最近の共に働く社員としての広縞は、何故か信頼に優れて来ている。 室長にしかり、会社の上層部の人間に然り。 影に回って強姦殺人を重ねている広縞だが、その仕事に関わる能力を思いの外に高く評価していた。


ま、‘異性’としての広縞の評価は、一般的に相変わらずの最悪だが。 それでも、広縞の才能を魅力として受け入れようとする女性が居ない訳では無かった。


また、長く一緒に仕事をすると、あの同僚の清水の様に広縞の社会人としての有能さを理解する事になる。 先ず、気分屋でもなく、全く怒りっぽくも無い広縞は、若い社員に多少のミスが有ってもサバサバしている。


その心理は、


“如何に建設的で無理なくミスを取り返して、研究の進行具合を元に戻す為に立て直せるか…”


と、云う事について冷静になり。 然も、チームで一つになって考える為、若い部下からすると上司としては好まれるらしい。


“別に、部下の為にしているんじゃない”


コレが、広縞の本音では在るが。 自分1人で息巻いてしゃかりきに成る無意味さを、彼は若い頃から良く知っていた。 それに、誰がミスをしようが、チームの全員が戦力だ。 適当な好き嫌いで、戦力を遣わないのもバカらしい。 そう。 幼少から苦労した人生の中で、こう悟ったのだ。


そんな今、若い社員は伸び伸びと研究に、商品開発に邁進している。 広縞は残業をしてでも会社に、仕事に携わっていたかったのに。 周りの想定を超えて進捗が上々。 それに加えて部下が広縞を気遣い、雑用や手間すら掛けさせない様に動いてくれる。 昨日の飲み会では、部下に親しくされたし。 本日は、あの室長の女性上司から褒められ、清水からも褒められた。 清水や部下の若者は、あの女性室長の方が役者不足と陰口を言ったぐらい。


“広縞副室長が、室長に成ればイイですよ。 あんな色気だけのオバサンに負けないで下さい”


かなり綺麗な若い社員に言われた広縞は、酔った勢いで言った彼女に軽い苦笑いを返した。


(別に、俺は室長でなくてもイイんだ。 清水辺りでも成ってくれて、俺をずっと開発畑で使ってくれりゃ………)


仕事人間でも在る自分は、仕事と犯罪を両立する事が出来れば良い。 あの女性室長が無能だから、苛々するだけだ。 仕方なく定時上がりの足で会社から外へ出で、蒸し暑い中を車が走る道路沿いをトボトボと、生気を無くして広縞は歩いていたが…。


さて。 この広縞と云う人物が、こんな大それた連続強姦殺人に目覚めたのは、昨年の秋からだ。 そして、その要因と成ったのは、広縞と10歳以上も年の離れた、母方の従兄妹に当る女性の存在だった。


この従兄妹となる女性は、広縞を税金対策の一環として、家の片隅に置いていた親戚家族の一人で在り。 昨年、その彼女は社会人として東京に出て来ていた。 一応、従兄妹としてだが。 彼女の居場所は知っていた、この広縞。 然し、法事だので偶に会っても、大して挨拶もしないし。 広縞の事をカスみたいに想い、影で周りに有りもしない事をさも在ったかの様に言っていた従兄妹の娘。 また、この彼女は、顔やスタイルは良い所為か。 友人や知人と云った周りからはチヤホヤされていたらしく。 更には、自分の人生から重要と感じた人物にだけは、愛嬌を振りまく狡猾さも持ち合わせていた。


さて、話を連続強姦殺人事件の発端に戻そう。


一年近く前。 この広縞と従兄妹の間に、一体何が在ったか。 それは、去年の或る日。 従兄妹の娘は、それまでモデルやアイドル活動をしていたのだが。 突然、事も有ろうかこの広縞に、就職の斡旋をゴネりに来たのだ。


それだけでも、実に厚かましい話の上に。


“口利きしないと、強姦されたって警察に言いふらすからね~”


と、脅された次第。


この時、長年に亘って募らせた異性に対しての憎しみや怒りが、遂に広縞の中で極限に達し爆発したのである。 然し、この広縞と云う男は、その辛い人生経験から学び。 怒っても、直ぐには爆発する様な衝動的行動を起こさない。


恐らくコレが、返って悪魔的な犯人に変貌する要因と成ったのだ。


“一応、面接の日取りぐらいはなんとか成る。 後は、何時もの上手に人を騙す対応で、君が内定を取れ”


と、言いくるめて従兄妹を帰した広縞だが。 その内心では、確実に復讐をする計画を画策し始めていた。


最初、脅された声を密かに録音し、それを警察に持って行く事を考えた。 だが、相手は憎らしい従兄妹だ。 根暗な広縞を、彼女が幼い頃から笑い物にして来た過去が在る。


“徹底的に、犯す”


そう決めた時に、今の会社で開発し掛けた技術で、お蔵入りになった特殊樹脂を思い出す。 当時の研究で開発した特殊樹脂から、覆面マスクを作ったのである。 この覆面マスクは、非常に薄く。 どんな人相にも、かなり精巧に変身できる。 マンションでこっそりと研究をした結果。 顔の部分部分に、樹脂から出来た人工皮膚を貼り付けて。 全くの別人に成り済ます変相術を編み出した。


元来、この特殊樹脂の使い道は、火傷や病気で顔に障害を負った人に、元の顔を取り戻させると云う、整形外科の医療技術の一環として考案されたのだが。 広縞は、憎しみからその技術を利用し、犯罪へ悪用したのである。


そして、昨年のある夜。 広縞は、歳の離れた従兄妹を襲った。 アルコール飲料に、濃度の高い酒やスポーツ飲料等を混ぜては飲ませ、軽いアル中状態にしたのだ。 その後、水防倉庫に連れ込み。 身体の自由を奪った上で、徹底的に犯し抜いて、積年の鬱憤を晴らしたのだが…。


結局、最終的に困ったのは、従兄妹の身柄である。 生まれて初めて性交と云う快楽を謳歌した広縞は、このまま従兄妹を生かし。 そして、度々に脅しては犯す事を先ず考えた。


然し、直ぐに思い浮かぶのは、このまま生かせば通報される可能性も有る懸念だ。 更に、この従兄妹と云う人物は、顔のイイ男や権力の有る男とは気軽に寝て。 下手をすれば、弱みを握って上手く立ち回る・・、そんなふてぶてしい性格をしていた。


この広縞の才能の一つは、リスクマネージメントの上手さを理性的に測れる所に在る。 高が快楽の為に自分の生活を危ぶませる火種を残す必要も無い、と結論を出す。


そう・・・、良く考えるなら。


“この世の中に女は、掃いて捨てるほどに居る”


の、だから…。


そして、まだ未だに彼女の遺体は、警察も発見に至っていない。 この彼女は、DNA的にも血縁と云う関係からも広縞ととても近く。 また、生活の距離感も近い。 嫌われていた広縞だから、何の関係無い

・・とは言えない。 何より、広縞のマンションに彼女は時々訪れては、何と金の無心に来ていた。 広縞の元に来るとは思えない綺麗な若い女性で、一度はマンションの管理人から関係を聴かれたことも在った。 恐らくは未成年を連れ込んで、何かいかがわしい事をしているとでも思われたのか。 だからもし、この女従兄妹の遺体が見つかって捜査が行われれば、この様な事が在るから広縞に捜査の手が伸びるのは確実だ。 だから従兄妹の遺体は、かなり解り難い場所に埋めてある。 恐らくそれが発見されるとすれば、何十年もの後の事だろうと広縞は考えている。


この目覚めの一件を経験した御陰で、恐ろしき殺人鬼の悪行が・・始まった。 従兄妹で味わった、生涯初めてのセックス。 そして、異性を一方的に、徹底的に、想うがままに蹂躙する快楽に、彼は目覚めてしまった。 そう。 彼の中で眠り、静かに育っていた凶悪な獣が、その経緯を得て完全に目を醒ましたのである。 また、周到な計画に因る変相は、回を重ねる毎に凝り出し。


時には、若者のように。


時には、中年の小太りに。


ある時には、女装もした広縞。


死体が見つかる度に、新聞に踊る“怪しい人物”の目撃詳言。 だがそれは、広縞の変装した姿であり。 特に女装すれば、ハッキリと後の目撃の詳言が“女性”と出る。 警察も、誰も、広縞が犯人だとは、解るはずも無いと思えてくるのだ。


‘悪魔の犯罪者’


とか。


‘狂った殺人鬼’


と、新聞や雑誌の紙面を度々支配する広縞は、今日まで定期的に犯行を重ねてきたのである。


だが・・・、今に成って。


(はぁ。 ・・・当分は、殺すのを止めるか)


この数日は、あの殺害した女性の姿を夢でも見る事が有る。 また、明日からは社内でも先行で、規定の夏休みを取らされる広縞。 その為、10日も会社を休まなくてはならないのだ。 仕事以外の趣味が少ない広縞には、長期の休みは苦痛に近かった。


歩く先の交差点に、地下鉄の駅へと下りる階段が見えた。 とにかく、帰る為には先ず、新宿に向かわなくてはならない。 地下への階段を降り、蛍光灯の妙に白く明るい中を広縞は、ノソノソと歩く。


そんな自分を追い越し、フットワークの軽い会社員が降りて行き過ぎる。


階段をダラダラと降りた後は、地下通路を歩き。 先に来ていた人達に続いて、改札を過ぎた。


(あ~、喉が乾いたな)


数人の人を避けて、ホームの奥へ。 冷水を飲みたかった。 世間の会社になら、何処にでも在りそうな。 足でペダルを踏めば水が出る冷水機。 太った男性が先着で居て、大量に水をガブガブと飲んでいる。


(このデブがっ。 そんなに飲み過ぎるから、余計に汗が出るんだよっ!)


青いTシャツの背中まで、汗でぐっしょり濡らしている太った男性の後。 入れ替わった広縞は、冷水を少量だけ飲んだ。


(ふぅ)


キチンとハンカチを出して、次の駅の表示が出ている看板の前に立ち、口を拭く。 チラリと見れば、先に水を飲んだ太った男性は、腕で口を擦っている。


(アレだけ汗掻いてたら、腕も湿ってるだろうが・・・。 全く、気持ち悪い奴だ)


と、前を見た。 電車の接近を知らせるランプが、頭上付近で点灯したからだ。


今日のこれからをどう過ごすか、ぼんやりと考え様とした広縞。 電車の来る左から正面に掛けて、何の気なしに向こう側のホームの客を見た。


その、次の瞬間だ。


(ん? んっ?!!!)


途端に広縞の眼が、ギョッと見開かれた。 電車を待つ人の列の間に、見た事のある何かが見える。 一歩、もう一歩と前に出て、その目を凝らせば。 また・・、死んだ時のままの姿をした、あの女性が立っている。


(あっ! な゛っ・・。 また、なっ・何でだっ?! 俺はっ、殺した筈だっ!!!!! 犯ってっ、あの女を殺した筈だっ!!!!!!)


今まで殺人を重ねてきても、恐怖は微塵も無かった。 幽霊など信じる自分ではない。 急に身体が震えて、理解の出来ない事に脅えだす。


「あっ!」


直ぐ目の前を通って、パッと電車が入って来た。


(ぐぅっ、見えないじゃないかっ!)


焦る広縞は、見えなくなった女性の事が気に成る。 平静を失った動きで、電車の窓の向こうを見えないものかと。 開いたドアに見向きもせず、電車の外側から見ようと動き出す。


ホームで、広縞の周りに居る客は、外側から電車の窓に寄り。 向かいのホームを見る事に必死に成る広縞が、頭のおかしい人に見えた。 


(あああっ、クソっ!!!!)


車内に踏み込む気に成った広縞だが、結構な人が乗っていた。 立っている客で、窓が見えない。


「おいっ、退いてくれっ!!!」


思わず、あの太った男性の後から、強引に電車内に入る広縞。


(あの女めっ!!!!)


車内に入り、立っている人もお構い無しに、開かれていない反対側のドアの窓に顔を当てて向かいのホームを見回してみれば。


(あっ!)


やはり、向かいのホームで電車を待つ客の列と列の間に、確かに死んだ筈の女性がユラユラと立っていた。 だが。 その周りに立つ人達は、何とも思っていない。 普通は、ずぶ濡れで破られた服の女性が立っていたら、誰かが心配して声を掛ける筈だ。


(なんで・・なんで・・・なんでなんでなんっでぇ!!!!!!)


広縞は、動き出す電車に合わせて。 列車内の真ん中の通りに立っている人を掻き分けて、非難を買いながらも奥へと行こうとする。 だが、乗った車両と隣の車両の間、優先席付近に車椅子が止まっていて。 また、乗っている人が多過ぎる事も手伝ってか、思う様に先には進めなかった。


「ちきしょうっ!!」


悔しそうな顔をしてドアの窓にへばり付いては、向こう側のホームを見る広縞。 そんな彼を見る客は、頭が相当におかしいのだろうと、横目ばかりを広縞に向けていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る