16話「逃避行」





僕たちはパチンコ店の駐車場を出て、雄一が乗ってきたのだろう自転車の前まで来た。


このまま別れてしまうのは嫌だった。僕はそう思って、うつむいて立ち止まったままでいた。雄一はしばらくサドルに手を乗せたままだったけど、不意に、「海に行こう」と言った。


夕映えの強い光が当たって同時に濃く陰った表情は、悲しみに暮れていた。


僕は、“あの別れ話は、嘘だったんだ”となんとなく分かり、だからこそ自分たちの関係はすでに絶望的で、海に行くのは“逃避行”だと、なんとなく分かった。








自転車に二人乗りをして、僕たちは言葉もなく、少し遠い浜まで風を切って走った。耳元をぴゅうぴゅうと風が撫でて、もう暖かくなり始めた春の夕べは心地よかったし、二人きりの遠出は少しだけ嬉しかった。




夕方の浜辺は薄暗くて、ざざあ…ざざあ、と波の音がするほかは、ひっそりと静まり返っていた。


自転車を止めてから浜辺に降りると、波の際で雄一は腰を下ろした。僕もその隣に座る。でも、彼にもたれかかることはできなかった。


少しして、雄一は悔しそうにこう言った。


「親父が、俺たちのことに感づいた」


僕の胸に、ずきんと痛みが走る。


「…そうなの…?」


「ああ。多分、なんかの手段で監視なんかしてやがったに違いねえ…」


信じられないほど雄一は縛られているんだと思って、まずそれが悲しかった。それからまた雄一は喋りだす。


「…奴は、「このまま別れないなら、お前の家に俺たちの関係をバラして、それで付き合いをやめさせる」なんて抜かしやがって…あの時ほどぶち殺してやりてえと思った時はなかった…!」


彼は怒りを収められない様子で、ずっと真っ暗な海の向こうを見つめている。


「お父さんに、反対されたんだ…そりゃ、そうだよね…」


“こんなことが、うまくいくはずないって、わかってた…”


僕は、雄一の部屋で彼に抱きしめられている時に感じていた体の熱が、“本当ならもらえないものだから”と思って、追い詰められていく愛しさを思い出していた。


雄一は頭を抱えてうつむき、泣きそうな声を出す。


「なんで恋人と幸せになることに反対されなきゃならねえんだ…おまけに、お前にあんな酷いこと言ってまで…なんで俺は、お前を手放そうとしちまったんだ…!」


僕はその時、“あれはやっぱり演技だったんだ”と思って安心した半面、彼がどんな気持ちであんなことを言わなければいけなかったのかを思い、胸が痛んだ。


雄一は、僕のために泣いていた。


「泣かないで、雄一…」


彼は、涙を拭い、首を振る。


「俺は…お前と居たい。誰も目もくれなかった俺に、優しくしてくれて…一緒に居てくれて…なんでそれだけのことが、ダメだって言うんだよ…!」


苦しくてたまらないんだろう気持ちを僕に打ち明けると、雄一の涙は止まらなくなってしまった。


僕は、何も言えなかった。その間を、暗くなった浜を波が撫でていく音が埋める。それはどこか心を責めるほど静かだった。


“今から僕が言うことは嘘だ。でも、これ以上彼が傷つくなんて、嫌だ”


僕はそう思って苦しくてたまらなくて、雄一の顔を見ずに、こういった。


「ねえ、雄一…僕、君とはずっと一緒に居たいけど、今しかそれが許されないなら…今だけでいい…」


彼は顔を上げて僕を振り向く。その顔はとても悲しそうだった。


「君が家族の反対を押し切ってまで独りになるのは、僕は嫌だし…最後に君から本当の気持ちをもらえたら…それで、もういいよ…」


言葉の終わりには、僕はもう彼に抱きしめられていた。強く。強く。それを見ていたのは、もうちらちらと光り始めた星たちと、黒い波だけだった。


「そんなこと言われて…素直に放せるかよ…!」


雄一の声は涙に震えていた。僕はそれに返事をしなかった。





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