第14話 槇宮 愛羅の再来

 急に雨が降り始めて、走って家に帰った。

 まだ梅雨には入っていないけど、だんだん夏の気配を感じる。

 マンションに着く頃にはもうびしょ濡れ。

 ハンカチで制服を上から拭くけど、それもすぐにびしょびしょになった。


 寒いし、このままだと風邪を引きそうだ。

 すぐに家に入ろう、と自動ドアをくぐろうとして気づいた。


 ――いる。

 エントランスの前の雨よけの、端っこの方。

 幽霊が……とか、怪しい女が……とかいうホラーでは断じてない。

 いや、女ではあるし……ある意味ホラーだけど……


 視界に存在を、俺は無視してスタスタ歩き始めた。できれば、向こうにも気づいてほしくない……


「待って」


 一度立ち止まって、また歩き始める。

 たった数歩。なのに、なんでこんなに遠いんだろう。


 自分の中の全細胞を総動員して無視していると、走ってきた彼女に手を引かれた。

 さすがにもう無視できない。

 顔は見たくなくて、振り返ることはせず固まっていると、女――槇宮 愛羅は、前に回り込んできた。

 自然と目が合う。


「なに」

「話したいことが、あるの」

「また罰ゲーム?」

「違うの! ただ、謝りたくて……」

「それはもういいんだけど」

「あと、ちゃんと説明もしたくて……」

「それももういいんだけど」


 普段はクールな彼女が、やけに憔悴した顔をして、俯いている。よく見れば、体も軽く濡れているみたいだ。ずっと、待ってたんだろうか。俺が帰ってくるのを。


 でもなんで。なんで今更。そんな顔で。

 やっと、立ち直ってきたところだったのに。


「まずそもそも罰ゲームの発端から話したいのだけど……聞いてくれないかしら」


 本当は聞きたくない。もう関わりたくない。

 だけど、あの槇宮が、こんなに必死なのだ。


「私、貴方と同じなのよ」

「……は?」

「いや、違うわ。私は貴方みたいに強くないから違うけど、一緒なの」

「なんなんだよ……」


 やたら曖昧な表現で喋るから、わけが分からない。

 しかもそのままだんまり。


 問いただそうとしたとき、視界の端に幼馴染の茶髪が映った。よく考えれば、帰ってくる時間か。

 見て見ぬふりしてくれるらしい。そのまま横を通り過ぎていこうとした。


「私も貴方と同じで、ずっとイジめられてたの。グループの子に。だから、断れなかった。罰ゲームを。本当に本当に、ごめんなさい」


 目を見張った。

 小梅が一瞬立ち止まって、でもそのままスタスタ歩いていく。ドクドク、と心臓が音を立てる。鳴り止まない。

 

「……1ヶ月、ずっと考えてたの。ううん。もっと前から。私、貴方のこと最初、好きではなかったの。好きではなかったのに、告白したの。だけど本当に優しくてくれるから……だから、だんだん隣にいるのが申し訳なくて、」

「……フろうって思った?」

「えぇ。でもそしたら、貴方は理由わけを聞くでしょう? 2人が納得するまで。それに、傷つくでしょう? ちゃんと話してたら、許してくれてたのかもしれないし……なら私のこと、心底嫌いになってくれたら、まだマシなんじゃないかしらって、思って……私どうかしてた。この1ヶ月間、ずっと、あのことについてだけ考えていたわ。どうすれば良かったのかって。後悔していたの」


 それで、と俯く。

 前髪の向こうで、ポタリと水滴が落ちたのが見えた。


「謝ることにしたの。取り返しのつかないことをしたのは分かってる。許してほしいとは言わないわ。だけど、このままじゃ……どうしようもないって分かってたから」


 じゃあ、と槇宮は手を離した。

 いつの間にか、手首は同じ温度に冷えていた。


「最後に一つだけ。これは私の独り言だから、聞かなかったことにしてほしい、んだけど……」

「独り言?」


 背中が小さく震えている。


「私は、本当は……」

「本当はまだ……羽澄御影くんのこと…………大好き……です……」


 それだけ、と雨の中、傘もささずに駆けていく。

 小さくなる背中をじっと見つめる。

 心臓の拍動と一緒に、詰まっていた息を吐いた。


 ――どうしたらいいんだ。どうするべきなんだ。

 彼女と、ヨリを戻そうとは思わない。というか、怖い。


 また罰ゲームだったら?

 また、孤立していた俺をからかってるだけだとしたら?


 あんな顔してたんだ。嘘だって信じたくはないけど……でも。


 イジめられていた、と槇宮は言った。

 彼女は中学の頃クラスのカーストの頂点に君臨していて、一軍の女子たちと毎日毎日楽しそうにしていた。

 正直言って、信じられない。


 中二の途中で転入してきてすぐの俺にとっては、雲の上の存在だった。

 それなのに、地獄のような1年半、毎朝、声をかけてくれた。おはようって。彼女だけ。学校自体、あんなに荒れてたのに。


 優しい人なんだろうな、とは思う。

 優しい人だから、また裏切られるのは優しさに裏切られるみたいで怖い。


「マジでどうすりゃいいんだ……」


 はっきり蘇ったトラウマと、迷いと、少しの嬉しさと、なんとも言えない胸の痛み。


 そういや小梅、途中聞いてたんだっけ?


 いつもは夕飯を楽しみにしているのに――今日はどうしても、食欲が湧かなかった。








【あとがき】

すみません。明日から実はテストで……_更新しようと思っていたのですが、なかなか難しく……こんなところで終わっていて申し訳ないのですが、12日まで更新お休みさせていただきます。本当にすみません。

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