第2話 綾子の綾目

 朝食の洗い物をすませ、綾子は自分の織り機の前に座る。

 一日ぶりに見る織り機は、うなされた夢の中で見たものとやはり同じだ。

 糸を用意し、基本の綾織りを織ってみることにした。

 あんたの名前の織り方なんやからしっかり織りいよ、という親方の言葉を思い出す。


 綾織りは平織りの次に易しい織り方だ。

 タテ糸がヨコ糸の上を二本、ヨコ糸の下を一本それぞれ交差させ、仕上がりは糸の交錯する点が斜めに走る。

 綾目と呼ばれる、この交わった点が特徴だ。親方や先輩職人たちはものの見事に綾目を織り成していく。


 しかし綾子が織ると、綾目はなぜかずれてしまう。

 糸の張り方が均等になっていないのだ、という親方の注意を思い出して、糸を張ったものの今度は張りすぎで、織り目はさらに乱雑なものになる。


 ため息をついて、綾子は顔を上げた。

 工房の中には、一心不乱に織り続ける職人の息遣いと織り機の音だけが、ただ聞こえる。他の音は最初から存在しないように。

 綾子は急に、自分だけ取り残されたような気持ちになった。

 自分と織り機だけを残して周囲がまるで潮が引いていくかのように、さっと逃げていく。


「綾ちゃん」

 香奈の声で我に返った。心配そうに綾子の顔を覗き込んでいる香奈はそっと綾子の肩に手をやった。

「もう、どないしたん。ぼうっとして」

「すみません」

「また具合悪いんとちゃう?」

 香奈は眉根を寄せる。

「いえ、大丈夫です。すみません、ぼうっとしてました」

「昨日のあれ、覚えとる?」

 何だろうか。

「え?」

「ほら、あれや、あれ」

 香奈はにやにやしている。何か、あっただろうか。


「んもう、回覧板や。昨日言ったやろ」

「あ、そうでした。すみません」

 そうだ、昨日、香奈が私に今日、回覧板を持っていく用事を頼むと言っていた。

 すっかり忘れていた。

「親方には許可をもらってあるから、はよ行ってき」


 渡された回覧板には、分厚い茶色の表紙に「西陣連合組合」と書かれていた。

 それから香奈は、てがみ、と口の形だけで言って、意味ありげな目くばせをした。

 綾子もそっとうなずいて返した。

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