第3話 川沿いの道

 西陣連合組合というのは、西陣織の職人で作られた組織である。

 西陣織は一人の職人が作るのではない。完成に至るまで実に二十以上の工程があり、多くの職人の手を経て、出来上がるものなのだ。

 図案職人が図案を描き、別の職人が糸を染める。そして、染め上ってきた糸を糸枠にまきとる作業を糸繰り職人が行い、整経職人が糸を織物に必要な長さと本数に揃えていく。織機に糸を据え付け、織り職人が織っていく。

 これらどの工程が欠けても、西陣織は成り立たない。西陣織という終着点を目指す、いわば家族のようなものである。

 それゆえ、西陣の職人たちは月に数回、会合を開き、西陣全体の問題について活発に意見を交わしていた。綾子の親方もたびたび参加している。

 回覧板はその会合の開催日時を知らせるものだった。この工房から、次に回すのは図案職人のみなみ屋だ。


 工房を出てすぐ裏は狭い路地が続いている。

 初めてここに来た時は、さすが京都だと思ったものだ。陽の光があまり差し込まないこの路は、薄暗く表通りとは異なった様相を見せている。

 華やかな表通りを持つこの街のもうひとつの顔。ひとたび路地に入り込めば、しっとりとした薄暗さが包み込む。

 その薄暗さとあいまって、古ぼけた裏木戸や石畳が綾子にはどこか妖しさを感じさせ、古都の魑魅魍魎が出てくるのではないかと実際、びくびくしていたのだ。

 もっとも、それはこの街に来た初めのころだけであったが。


 今は、だんだんこの古い街が好きになりつつあったのだ。

 表通りの石畳沿いのこの道には、川沿いに綾子の好きなあじさいの花が青紫や赤紫に色づいている。

 清彦への手紙に書いたのは、ここに咲くあじさいのことだった。

 いつのことだったか、そういえば清彦とあじさいを見たような気がする。

 清彦の家の庭に咲いていた大株のあじさいを見て、綾子は一番すきな花はあじさい、と言ったのだ。

 それを聞いて清彦が、あじさいの花に見える部分は本当はガクと呼ばれる部分で、花は真ん中についている小さな部分にすぎない、と講釈をたれた。

 清彦は大学に進学するくらいなのだから、頭がよく、いろいろなことを知っていた。

 でも綾子はなんだか悔しくて綺麗ならどっちだっていいじゃない、と拗ねた覚えがある。


 そんなことを思い出しながら川沿いを歩いて行くと、郵便ポストが見えてきた。朱色で角型のポストだ。

 初めてこのポストを見た時、綾子はとても驚いたのを覚えている。

 故郷のポストは丸型で、こじんまりとしていたが、この街のポストは大きい。何でも入るような気がする。形はどこか、豆腐のようだと綾子は思った。

 その時、ポストの陰で何かが動いた気がした。丸っこい何か。

 ミイ太だった。


「あれ、ミイ太」

 綾子を見上げてミャーと鳴くその猫は間違いなくミイ太だった。

 三毛猫と言っても、白い毛が多くて、黒と茶の毛はしっぽのほうに申し訳程度についている。

「お前、こんな所までくるんだ」

 もちろん、返事はない。ミイ太はただじっと見つめるだけだ。


 十五円切手がしっかり貼られているのを確認して、綾子は手紙をポストの中にそっと落とした。

 今日投函すると、清彦の元に届くのは三日後くらいだろうか。

 ミイ太はポストの陰から出て、歩き出している。


「待ってミイ太。私もそっちの方向だから、一緒に行こう」

 返事はない。けれど、心強い気がした。

 これから回覧板を回しに行くのだ。みなみ屋は向こうの角を曲がればもうすぐだ。

 綾子はミイ太のしっぽを追いかけた。

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