第31話

 千月から受け取った古文書を再読し終えて、私は強張った体をほぐした。

 師匠との戦いから3年。師匠は国家転覆の罰として、私が住んでいた小屋を立て直し、隠遁生活を送っている。本来は死刑でもおかしくなかったのに、軽い償いで済んだのはローシーのおかげだ。

 再建された城下町はレンガの見慣れた街並みを維持しつつも、海外の現代的な技術を多分に取り入れている。

 交番とか小学校が建てられたり、家屋の壁はより頑丈なレンガに変わったり。道路は上下水道を引くついでにアスファルトが敷かれて、すごく歩きやすくなった。電力は波止場の近くに林立する風力発電機と北の平原に敷設された太陽光発電で賄っている。特に病院は急ピッチで建設され、クーデターで負傷した人達が入院した。一年も過ぎればほとんどが退院して、千月も回復したようでよかったよかった。

 まだ用済みになったプレハブ小屋の廃材をそのまま取ってつけてる家とか、景観がよろしくないやつもまだあるんだけど、のちのち洗練されていく……のかな?

 で、これら全部、日本から莫大な補助金がたくさん出てるらしいんだけど、まあ、外交的なアレはあんまり考えたくない。

 そういえば、日本から外交使節団がまたやってくるらしい。ローシーもそろそろ慣れてくれたら嬉しいんだけどなぁ。同伴するの、胃がキリキリするんだよ。

 外套を羽織って、私は昼下がりの王城の一室を後にする。今日はちょっとしたお茶会に出向くためにスイーツ店に行かなきゃならない。

 数日ぶりの外はいつにも増して賑やかだった。日本人が大通りでまばらに観光を楽しんでいて、カメラを向けられた青果物店の店主は気恥ずかしそうに平和のサインを顔の横に示している。島の霧はまだまだ晴れ切らないけど、王城の近くに日本大使館も設立されて、観光客の受け入れも始まっていたんだった。

 十全な開国に向けて順調に事が進んでいると思う。っと、感傷に立ち止まっている暇はない。腕時計が指し示すのは、約束の時間丁度だ。

「まずい」

 地面を蹴って、走り出す。国のそこかしこに引っ張りだこの2人を待たせちゃ悪い。

 ようやく見えてきた待ち合わせの店は、壁一面のガラスを間隔の空いた木材の格子で囲んで、シックな雰囲気を醸し出している。お昼の時間からずれているためか、混みは少ない。

 ドアを開くと、小気味良い鐘の音が鳴った。

「おいフロネー! 遅いやんか、あたしは予定が詰まっとんの!」

 千月が私を指差しながら立ち上がる。黒のパンツを履いて背が高くなったような彼女は、いかにも腕利きの仕事人。背もたれに掛けられたスーツジャケットがひらひらしている。

「まあまあ、千月さんは少しでも長くフロネーとお喋りしたいんだよね」

「そうそう。共に過酷な戦い抜いた間柄や、積もる話は尽きへん……ってちゃうわ!」

 青白い上品なワンピースに身を装うローシーは愉快に笑う。私はその笑顔にいつも負けてしまって、頬が緩んでしまう。

「遅れてごめん、もう何か頼んだ?」

「おん、頼んだで。定番の抹茶スイーツと侘び寂びなティーのセットをきっかり3つ」

 私が席に落ち着くと、店員が盆に載せてケーキとドリンクを運んできた。

 抹茶を練り込んだ緑のスポンジと白いクリームが交互に層を成す天辺には、さらに粉末状の抹茶が振りかけられている。グラスにも緑色の液体が注がれていて「いただきます」と言ってから口に含んでみると、苦みの中にほんのり甘さがあって、美味しい。

「3年くらい通ってるけど、これが一番おいしいんだよねー」

 ローシーはそう言って、切り取ったケーキをまたフォークに刺した。

「抹茶で思い出した。そういやネオスさんは、まずは手頃な食文化からシンフォレシアを海外に慣れさせようとしてたんやったな。けど必要だったのはその逆やった、と」

「そう。シンフォレシアが海外を知っても、海外がシンフォレシアを知らなきゃ世界の修正力に飲み込まれてしまう。いくら地球上にあると言っても、シンフォレシアはちっぽけな存在だからね」

 これは、あの戦いの一か月くらい後に判明したことだ。古文書の解読と師匠が語った理論を行き来するうちに閃いた。開国の道中だけど、私のそれが的中していると思いたい。

「千月さん」

 突然、ローシーは深刻な面持ちで、咀嚼したケーキ飲み込んだ口を開いた。

「聞いて欲しくないことかもしれないんだけど……さっき、外で男の人とキスしてた……よね?」

 千月に恋人が? まさかそんなこと、と疑ったけど、千月は愕然としている。

「嘘、なんで見とんねん! きゃー! プライバシー! 他の人に言いふらしたら治外法権受理させてぶん殴るでー!」

「そもそも千月は曲がりなりにも外交官なんだから外交特権あるでしょ。あ、そう考えると今にも殴りだしそうな……」

「やらへんわ!」

 私達のやり取りにローシーは、小鳥のような愛くるしさで目を細めていた。


「次は共同墓地に行こう」とローシーは言い出して、黒の御料車を呼び出した。車はまだまだ珍しい乗り物だから浮かれてしまう。でも、さすがに私的利用は怒られるんじゃないかと思ったんだけど、千月が外交の準備のために北領に向かう必要があったみたい。それなら納得だ。

 共同墓地は、クーデターでの犠牲者を弔うための施設だ。北領の5つの丸の一角くらいの大きさで、なかなかに広大。元は王家の墓だったんだけど、せめて神鳥のお膝元で、というローシーの意向で墓地が移設、拡張された。千月の父親もそこで眠っているらしい。

「先に乗ってて」とローシーは言い残して、急いで王城に戻った。

 長い車内にはふかふかの2人掛けのシートが2つ、お互いに向き合っている。先頭で手持無沙汰にステアリングを握る運転手以外は、私と千月しか乗っていない。

 久しぶりにゆっくり千月と話ができる機会を、私は無駄にしたくなかった。

「千月。イポスティ師匠に協力した私の事、どう思ってるの?」

 3年も経つとまるで他人事みたいに思えてしまうからなのか、すんなりと口にできた。

「絶対に許さへん、一生な。あんたが協力してなければって考えたことは何遍もある」

 温和な表情を変えずによくそんな棘のあることを言えるなぁ。悪いのは私だけど、千月は歯に衣着せなさすぎる。それが良い所でもあるんだけど。

「でもな、あんたが居らんかったらシンフォレシアは詰んどった。神鳥様があそこまで手助けしてくれたのはあんたら二人のおかげやねん。どえらいマッチポンプやけど、あそこまでの大惨事になるのは不本意やったんやろ? じゃあ帳消しにしたるわ」

 やっぱり表情を変えないで、言った。

「千月……ありがとう」

「でもそれだけやったら帳消しにはしてなかった」

「え?」うっかり、驚きが漏れてしまった。

 車窓から王城の方を、千月は柔らかな眼差しで見る。

「身内が死んでないあたしよりも、あの子の方がよっぽど辛いはずやねん。父も母も二人の兄も喪って、一人だけ。そんな状態で女王としてやっていける訳ないやん。

 やから、あたしらがロクサーヌの家族になったらなあかん。血のつながりもあるし、あたしにとっては可愛い妹みたいなもんや。意地張ってあたしらが仲たがいするよりも、あの子が笑顔で居てくれる方があたしはよっぽど気が楽やねん。あんたは?」

「へへ、ローシーの笑顔は特別だからね。失わないように、守りたい」

 戦いの後、処刑されそうになった私を庇ってくれたローシーへの恩返し。間接的に家族を殺したのは私なのに、ローシーの心根はあの時から変わらなかった。私は研究やたまにローシーを宥めるくらいしかできないから、せめて生きている限りは、ローシーに尽くしていたい。

「じゃあ、改めてよろしく。千月」

「おう。よろしゅうな」

 私達は固く握手を交わした。噂をすれば、ローシーがドアを開けた。

「二人ともごめんね、待たせちゃって。どう? この花束」

 献花を両手に抱えるローシーは、屈託の無い笑顔に満ちていた。


                       シンフォレシア・クライシス 完

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シンフォレシア・クライシス ~王女と錬金術師と異邦人の戦い~ 栗林三四郎 @kuri34

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