第30話

 ロクサーヌは握られた手の感触を確かめながら、ゆっくりと目を覚ました。日光を遮って覗き込む顔が誰なのか見分けると、紅の毛髪から流れる鮮血に眠気は飛んで行った。

「フロネー血が出てるよ! 手当てしなきゃダメでしょ!」

 傷だらけのロクサーヌがフロネーの膝から上体を起こすと、唐突に耳を劈く朗笑が聞こえ、二人はぎょっとした。振り向いてみれば、地に降り立った神鳥がかんらかんらと笑っている。

「そう、それです。誰かのことを想い続ける優しさ。それにこそ私は心を惹かれ、貴女の祖先を盟友として、対等に契約……いえ、絆を結びました。全く、人間は良いものを見せてくれますね。報いとして、一つだけ忠言をしましょうか」

 神鳥の存在が薄まっていくのを、ロクサーヌは紋呪を通して人知れず悟った。神鳥がこうして姿を顕すのはこれが最後なのだろう。

「ネオス・シンフォレシアが想定していた開国の方法。『契約の破棄』では、この世界は外との帳尻合わせに消滅してしまいます。しかし私は、かの剣の鍛造に力を使い果たしてしまいました。シンフォレシアの存続のためにはもはや意識に割く力すらも諦めなければならないほどに追い込まれているのです。……持って10年、でしょうか。その境界線を超えれば、この島は外の世界に押しつぶされてしまう。ですから、このまま霧で閉ざしたままという訳にもいかないのです」

「そんな……神鳥様も逝かれてしまうのですか」

「私のことは良いのです。1500年に渡って十分に楽しませてもらいましたから。憂うべきは、貴女達自身のことですよ。実は、外の世界と内の世界は共存が可能なのです。錬金術や紋呪は失ってしまいますが、その代わりに島や人々が消滅することはないでしょう」

「……!! 方法は———」

 神鳥はフロネーの言葉を遮って、継ぐ。

「フロネー・ダーソス。それは貴女が解くべき問題です」

 神鳥の威厳を保っていた炎の勢いが衰え、尊体の霧散が激しくなっていく。

「時間もありません。さぁ、あの忌々しき核を破壊なさい」

 身体を失った神鳥は、声の残滓だけを辺りに響かせていた。

 ロクサーヌはフロネーと肩を貸し合って、一歩ずつ慎重に歩む。一人では不可能でも、二人なら前へと進める。そして、ロクサーヌはまだ淡く光る『永遠の生命フィロソフォス・コア』を籠手で叩こうとして———

「師匠、もう終わったんです」

 フロネーは、飛び出てきたイポスティの腕を掴んでいた。イポスティは鉄片を落とし、娘の目を観た。蔑むようでもなく、悲しむようでもなく、ただ、少し微笑んで、

「あなたの考えることはわかります。だって、私はあなたの娘だから」

 と、父に語った。

「そうよな……そうよな……」

 彼が瞼を閉じると、涙が流れた。本望を成し遂げられなかったことにではない。彼は自らの過ちを認め、懺悔すら厭っていない。とうの昔に枯れていたはずのそれは、娘との日々のために湧き出ていた。

「帰りましょう」

 ロクサーヌはフロネーと目を合わせ、コアへと歩み寄る。そして、今度こそ『永遠の生命フィロソフォス・コア』を破壊した。極小の欠片に弾けた水晶が、陽光に溶け込む。イポスティはそれを見届けながら、フロネーと抱き合った。

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