第29話
ロクサーヌはまだ息をし続け、巨人を睨んでいる。だが巨人もまた、ロクサーヌを睨んでいた。外の世界の炎のように、赤い燐光を宿したまま。
思っていたよりも被害の大きい身体の修復に手こずるフロネーも援護には回れなかった。
ロクサーヌは不撓の意志で立ち上がった。
彼女の息の根を止めるために、巨人の双眸に再度エネルギーが集う。
ロクサーヌは長剣の切っ先を後ろに構え、紋呪の力をありったけ注ぐ。
そして、巨人からエネルギーが放出される瞬間、長剣から噴出した力で、ロクサーヌは間合いを瞬時に詰めた。そのまま胸部に渾身の一撃を振り落とし、巨人のコアを露出させる。衝撃に耐えられなかった長剣は粉砕してしまったが、まだ籠手がある。炯々と光る『
「うっ……あ……」
ロクサーヌの腹部に赤い染みが広がる。青いロクサーヌのドレスが、だらだらと流れる鮮血に赤く上書きされていく。ロクサーヌの腹部には、鋭利で粗削りな鉄の棒が貫通していた。鎧の剥がれたロクサーヌを守る盾は、無かった。
この戦局に先に王手をかけたのは、恐慌を隠しもせずに、コアから半身を出したイポスティだった。彼は血を吐き出したロクサーヌを押しのけ、コアから転び出る。確実にロクサーヌの息の根を止めようと鉄の棒を首に挿し込もうとして、
「ローシーーー!!!」
フロネーの悲鳴が聞こえ、イポスティはうろたえた。見れば、彼女はゴーレムの体から這い出て、顔は悲痛に歪んでいる。イポスティは娘の親友を殺す意味を、ついぞ思慮していなかった。この敵を、カタストの仇としてでしか捉えていなかった。
また、ロクサーヌは立ち上がる。青ざめていく矮躯とは裏腹に募っていく、イポスティと刺し違えてもシンフォレシアを救うという覚悟のみで、立ち上がる。
「フロネーも……私を愛してくれたみんなも……守るっ! それが私の……責務だから!」
キイィィン———。
それは巨人が発した音ではなかった。フロネーの声でもなかった。
世界が静寂に包まれた。水流は流れることを忘れ、雲でさえ自身を空中に固定させる。まるで時間が凍結したかのように島の何もかもが耳を澄ませた。
鳴き声が響き終わると、まるで昼になったかのように空が———いや、真昼になっていた。なぜ明るくなったのか。その理由を求めて、意識ある者は夜空だった空を見上げる。
太陽が昇っていた。時間が高速で過ぎ去ったのではない。島から見上げる諸人には、直上に熱を放つ天体がなぜか現れた、としか形容できなかった。摩訶不思議な現象ではあっても、それがいったいどんな存在に依る奇跡なのか、誰もが体の真から理解していた。聖剣が目の前に現れた時、ロクサーヌ達に流れるシンフォレシアの血がざわついたように。あの声はこの霧の中の森羅万象を司る神、神鳥そのものなのだ、と。
「おお、神鳥様よ! 遂に儂の為に姿をお見えになられるのですか! 儂の悲願を受け入れてくれるのですね……!」
いの一番に賛辞を口にしたのは、イポスティだった。鉄の棒を放り出し、天を仰ぎ、万感の思いに浸った。
太陽から1つの光輝が出づる。———それは流星だった。
ロクサーヌの籠手と同じ、しかし壮大な火の玉となった神鳥が轟音と共にロクサーヌに到達し、炎の群れが辺りを包み込んだ。
「これは祝福……いや違う! 熱い! 身が焦がれていく! なぜですか神鳥様よ! 我々が正しいはずではないのですか……!」
青い炎にまとわれたイポスティは恐れる悲鳴もひとしおに、堪らずコアに逃げ込んだ。
「貴方は道を違えた———」
巨大な鳥が、北領の中心にある祭壇の天井に留まっていた。ロクサーヌ達の戦いを始めから見届けていたかのように、泰然と佇んでいた。全身から絶えず青い炎を噴いて鳥の様相を呈しているが、実体があるのか定かではない。しかし、跪拝してしまいそうな神々しさの前ではそのようなことは些事に過ぎない。
「人を殺しては、正解も正義も成立しません。外界では通用する理屈であっても、私は認ません」
「必要な犠牲でした! 我々は信念に従い、シンフォレシアを無き物にしようと策を巡らせていた悪漢を駆逐していたのです!」
イポスティはコアの内部で、かつて感じたことがないほどの緊張と熱に意識がねじ切れてしまいそうだった。こうして神鳥へ面と向かって弁明ができたのも、ほとんど意識を失いかけていたからに違いない。
「強情ですよ。ですが、シンフォレシアに生きとし生ける者達は、皆私の子供。ならば、叱るのも道理の内でしょう。
さあ、心して耳を傾けなさい。
私の盟友の血を引く、不屈の愛し子達は信じていました。私のみではなく、共に生きる同胞を。いかなる艱難辛苦にも屈しまいと手を取り合っていました。イポスティ・ダーソス。貴方と彼女たちとの相違はそこに在ります」
「同胞であれば私にも居ます! 我々は一丸となって———」
二度目のさえずり。神鳥は烈火の如き恐嚇でイポスティの口を噤ませた。
「そこにシンフォレシアの民は含まれていないでしょう!」
イポスティは焼かれ続けるまま、力なく項垂れた。
「……では……私の信仰は……努力は……すべて履き違えていたと……?」
「その通り」神鳥は情けを掛けることなく、断然と叱責を下した。
「ご無体な! 我々は熱心に神鳥様を信仰してきました! この意思を蔑ろになさるなんて……傲慢が過ぎます!」
「私が傲慢など、周知の事でありましょう。外の世界に神はもう在りません。しかし、私は世界の潮流に抗って意固地にも人に頼り、神として君臨し続けました。それを傲慢と言わずに何と言いましょう」
イポスティは神鳥の裁断でも、苦節の生涯を否定するには足りなかった。彼を滾らせるのは、怒り。予想だにしなかった真実を今更明かされたところで、裏切りは揺るがない。
「信じません……信じないッ! カタスト様の理想を否定するのか!」
イポスティは巨人の肉体を鉄の鎧と共にみるみる修復させ、神鳥に牙を剥く。
「そう、簡単には意志を曲げないのですね。では、教示してあげましょう」
神鳥は、巨人の前からこちらを見上げるロクサーヌへと目を向ける。
「ロクサーヌ・シンフォレシア。私に希望を与えたかの者の血を引く王女よ。息も絶え絶えになってもこの世界を守るという意志には、深謝の限りです」
神鳥が大きく羽ばたいたかと思うと既に姿は消え、そこには火球が顕現していた。それがロクサーヌ目掛けて衝突すると、青い炎が天まで突いて柱となった。
「本来、私が負わねばならなかった争いを肩代わりしてくれた褒賞を今、授けましょう」
目の前の神秘に唖然とするフロネーが垣間見たのは、炎柱の中にうっすらと、剣が現出していたこと。そして、その柄を取る小さな手は、まだ生きている。
炎柱が収束する。地から太陽までを突き抜ける熱量は一筋の光帯となる。
「原初の絆、ここに再臨せり」
その声は島を震撼させた。
神鳥との融合を果たしたロクサーヌが握るは、『
彼女の致命傷は回復されるばかりか、両翼と鎧も青い炎を纏いながら修繕されていく。彼女はこのシンフォレシアで戦う限りどのような強敵をも打ち負かし、どのような苛烈な攻撃にも屈することはない。
「イポスティ・ダーソス。汝に裁定を下す」
世界が清聴していた。神鳥の威光を瞳に宿した彼女に立ちはだかれる者は、もはやいない。
「遠き故郷。迫害多き砂の大地で結んだ約定をもって、我らは旅立った。ついに平穏の大地を踏みしめ安楽を享受する人々の名は、『
「よもや貴様ごときが神鳥様を……認めぬぞ!」
振り上げられた聖剣は、烈火を強靭に束ね上げる。イポスティが愚かしくも歯向かおうとするのは、彼の存在意義とも言うべき復讐心であった。
「この一振りは、彼らに力を託した神鳥の意思。そして神鳥が彼らに託した奉祀。
———即ち、神と人が共に並び立つ決意なり。故に、裁定はシンフォレシアの長であり、神鳥と一体となった我らが執り行う。
———覚悟せよ。不壊の聖剣は汝のために振るわれる」
防御など無意味だ。身の毛もよだつイポスティは理性で理解し、息を漏らした。師匠の大願を成就させるならば、巨人の胸部に『
巨人は無限の命を燃やし、負けじと極太の光線を放つ。持ち得る限りの力を集大成する反面、土の巨体は末端から綻びていく。
目前まで光線の接近を許した彼らは遂に、掲げた聖剣を振り下ろした。一度限りの伝説をもってシンフォレシアは再び平定される。
其の剣の名は———
「≪
聖剣から放出された群青の炎は光線を圧倒した。巨人は灰も残らぬほど焼き尽くされ、『
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます