第18話

 ———白昼夢から意識を引き戻して、フロネーは立ち上がった。あっという間に工房から少し離れた地上へ放り出されたフロネーが瞠目する一方で、千月は羽を休めている。

「たんま。やばい」

 度重なる能力の行使で疲労困憊の千月は、もはや羽ばたくことすら困難だった。ロクサーヌに近づくにも四つん這いで手一杯だ。

「王女さん、ちょっと借りるで」

 千月がロクサーヌの右腕を握ると、紋呪が青白く発光しだした。天空からの隕石の如き落下には、身体補強も含めて莫大な力を消費する。瞬発的な力の解放で失った力を元に戻すには、混血の千月では数時間かかってしまう。だが、純粋な血筋を持つロクサーヌから濃密な力を受け取れば、飛行に必要な力は瞬時に補える。

「じゃあ、あたしは王女さんを波止場まで運ぶから、あんたは……」

 再度、地面が揺らいだ。千月は飛翔の体勢に入りながらも、

「地震か……?」

 と疑うが、一度しかない振動が地震であるはずがない。

「千月、アレ!」

 フロネーが指を差したのはただの地面だった。丘にも満たないほど少し盛り上がっただけの地面。だが、間もなく千月は異常に気が付いた。

 工房へ急降下する前に、その隆起はなかった。

 二度目の振動は決定的だった。地下工房があるはずの地点から、土と岩の装甲を突き破って極大のゴーレムが顔を覗いた。頭部だけで2メートルはあるだろう。

「そんなアホな……」

 ゴーレムは穴から身を乗り出して陽光さえも遮る。千月は巨躯を目の前にして、口を開けたまま戦意を見失っていた。沸き起こった『逃げなければ』という衝動。ソレが立っているだけなのに放たれる、尋常ならざる存在感に圧倒されるしかなかった。

「私のコアを使ったんだ……。じゃなきゃ、あんなの説明がつかない!」

 フロネーは屹立する巨大なゴーレムを見据えながら、手に持ったコアで土人形を作り出した。人間の身長からすれば倍以上はあるが、あの太く背の高い足と比べては膝丈にしか届かない。

「フロネー。お主は儂の理想に賛同したのではなかったのか」

 明朗な声にフロネーは視線を落とす。そこにはイポスティ本人が立っていた。おそらく、あの巨大なゴーレムと共に地下から脱したのだろう。師匠ならそれくらい簡単にやってのけるとフロネーは予想していたが、いざ的中するとかえって歯がゆくなってしまう。

「儂を騙したのか、フロネー」

 イポスティの吊り上がった目は、フロネーに弁明を求めていた。

 フロネーは工房で師匠と視線を交わした時の、あの決意を漲らせて、声を大にして言い放った。

「私は師匠にも、ローシーにも嫌われたくなかった。でも、そんな甲斐性なしの私にローシーは言ってくれた。『親友として私を助ける』って。

 ———ああ、今だから言える。師匠の理想なんか紙屑といっしょだよ。ここは人と人が争うことを忘れたシンフォレシアなんだ。暴力でしか成し得ない理想は相応しくない」

 フロネーは自らが従えるゴーレムの肩に駆け上がった。

「ローシーも、ローシーが大好きなシンフォレシアも、まだ死んだわけじゃない。ローシーが島から脱出するまでは、私はあなたを通さない」

「そうか。では全ての力を以て、雌雄を決しようではないか」

 イポスティが両手を構えると、地鳴りと共に1本の剣が地中から飛び出した。

 青の剣身、金の鍔、黒の柄。装飾は豪奢だが、飾りの剣でないのはそれが放つ凄みから決定的だった。あの剣は見たことがない。フロネーも千月もそう思っていたはずが、わななきだす肉体が、彼女たちに流れる血脈が、正体を訴えている。

 あれは証だ。あれは契約だ。あれは信だ。あれは悪鬼を打ち破る。あれは平穏を齎す。あれは神鳥、そして我。別たれることのない絆を担うあの聖剣の名は、

「『無辜なるシンフォレシア……契約の剣カリバー』……」

「神殿にあるんとちゃうんか!?」

 千月はついにイポスティの意図を理解した。ネオスが居た王城よりも先に神殿を爆破したのは、聖剣を奪取するためだったのだ。悪を討ち取るために絶大な力を秘める聖剣さえ確保すれば、あとの革命は消化試合のようなもの。イポスティを止める最終兵器は、とっくに島の悪たるイポスティの手に渡っていたのだ。

「神鳥の尾と同等のこれには古き力が籠っておる。15世紀の時を経てもなお、至純は保たれてきた。その力、存分に利用させてもらおう」

 イポスティは聖剣を空中に浮遊させると、拳に力を込めた。すると、聖剣は軋みながら砕かれ、数個の破片は彼の背後のゴーレムに引き寄せられていく。土の胸部に浮かび上がった鮮血の『永遠の生命フィロソフォス・コア』は、そのすべてを吸収する。途端に、土の体は紫の閃光を漏らし、体はみるみる引き締まっていく。胸筋が、腹筋が、大腿筋が生成され、人の肉体に近づき、ゴーレムは土人形を超えた。紫の眼光を放つ、筋骨隆々の土の巨人が今まさに生まれてしまった。

 フロネーはゴーレムを逸脱した術に動転を隠せないが、巨人が息を吸い込む動作に「咆哮が来る」と予期した。そして僅かな時間の中でゴーレムを変形させ、ドーム状の盾とした。

「ugggrrrrr!!!」

 大地を震わせる咆哮は神経を締め上げ、土壁越しでもフロネー達を前後不覚に陥らせる。

「あんなんどうすりゃええねん!」

 千月は八方塞がりが揺るがない『詰み』の状況に匙を投げた。黄金の鳥になれるとしても、小さな身体では巨人と戦い、『永遠の生命フィロソフォス・コア』を破壊することは不可能に近い。

「クソ、せめて逃げる隙があれば……」

 咆哮が収まり、地面に悔しさを叩きつける千月に、フロネーは一言を告げる。

「……まだ策はある」彼女は諦めていなかった。

「へぇ、聞こうやないの。おどけやったらどつきまわしたるからな」

 千月は啖呵を切ろうとするが、巨人への恐怖に怯え、声を震わせていた。

「千月が言ってた通りさ。戦う必要はそもそもない。あのでっかい土くれからローシーを逃がせば、私たちの勝ち……そうでしょ?」

 歪な笑みを湛えながら、フロネーは千月の手を取った。

「だから遠く遠く、誰にも追いつけないくらい速く、ローシーを連れて霧を抜けるんだ」

 ロクサーヌを抱えて逃げるだけなら可能かもしれない。しかしこのまま逃げたとしても、全速力を出せない千月では聖剣を吞み込んだ巨人の速力に追いつかれる可能性がある。誰かが足止めを務めなければ全滅は必至。やはり無謀な策ではないか、とフロネーを殴りそうになった千月は思いとどまり、フロネーの言葉を頭の中で繰り返した。彼女は『ロクサーヌを連れて』と言っていた。そこにフロネーの名前は含まれていない。

「あんた……足止めするつもりか……?」

「いいんだ。これは私が引き受けるべき罰なんだ。なに、あんなに私をぶったんだから、見捨てるのも訳ないだろう?」

 それなら可能だ。千月は一縷の望みに賭けるために再度『黄金の鳥クリソス・ファシアノス』になり、ロクサーヌの肩を足で掴んだ。

「……フロネー・ダーソス。あんたの名前は忘れへん」

 巨人に対抗しようと、フロネーは千月に背を向けた。その姿が、千月の瞳には勇ましく映った。

「そろそろ壁を解く。さぁ、行け!」

 空が現れた瞬間、千月はロクサーヌを掴んだまま、一目散に後方へ飛び去った。数秒もすれば影も形も見えなくなり、フロネーはゴーレムの肩に駆け上がった。

「逃がしたか」

 イポスティに悔いる素振りはない。

「フロネー。お主は向かってくるのか」

「もちろん。この命が続くまで、あなたの邪魔をする」

 だが、イポスティは心底残念がって、在りし日々の続きを空想した。

「お主との日々は確かに愉快だった。それは忘れないでおくれ」

「今更!」

 フロネーのゴーレムは跳んだ。脚力による単なる跳躍ではなく、コアの力を地面に向けて噴射し、高度を高めた。その間、フロネーはゴーレムに触れた手を通じて、ある意思を伝えていた。コアを固定する八つの立方体———補助具であるそれの応用をここで発揮させる、と。

「キーヴォス、拡張!」

 余りある情動に、フロネーは喉を震わせた。

 その意思に、フロネーのゴーレムは破裂した。土は旋風に乗って彼女を覆い隠すヴェールのように吹き荒れ、上昇する。そして巨人の胸部を正面にした時、8つの立方体が土の嵐から飛び出た。それらは青白い線分を結び、1個の架空の立方体を現出させる。

 コアの補助具である小さな立方体は、拡張、収縮によって疑似的に立方体の体積を変化させ、力の出力を調節する装置だった。だが拡張したとしても、コアが保有する力の総量は変わらない。それでもフロネーは拡張を選んだ。彼女が望んだのは力の増幅ではなく、全ての力を一瞬で出力すること。0・01秒のズレもなく、決められた瞬間にありったけの力をぶつけ、無情な現状を打破する。

 フロネーは拳を握り込んだ。彼女に合わせて土嵐は立方体の中で拳を模る。今、フロネーの肉体は土の拳と一体となり、敵の胸中を穿たんと、力の放出に備えた。

「くらえーーー!」

 フロネーは目標に目掛けて拳を打ち出す。全力で投じられた拳は豪速で巨人の胸を貫き、特大コアを体外に押し出していた。

「———やった!」

 喜びも束の間、フロネーに悪寒が走った。コアを失っても巨人は崩れ果てる気配がない。それどころか、特大コアを掴む拳もろとも身体があの巨躯へと引きずり込まれている。

永遠の生命フィロソフォス・コア』を作ったのはフロネーだった。だからこそ、巨人からコアを取り除けば土の形は崩れ去り、また一から巨人を作る必要が生まれる、と推測していた。しかし、巨人と『永遠の生命フィロソフォス・コア』は互いに引かれあっていた。空気を隔ててもコアから巨人へと力の奔流が繋がり、また、巨人からコアへ、奔流を頼りに触手のように土が伸びる。

 フロネーは拳の内部から抜け出そうと試みるが、石のように固くなった土をかき分けられない。なぜ、と声にならない悲鳴を上げるフロネーは、とうに自身の肌で理解していた。彼女が感じている膨大な力の激流は、拳が握っている『永遠の生命フィロソフォス・コア』によるものだ。許容量を超えた力に拳の形は締め上げられ、硬直してしまっていた。

 巨人に飲み込まれる恐怖を、フロネーはひしひしと胸にこたえる。手足は微塵も動かせず、もがくことすらできない。抵抗の一切を遮断された土の中で、彼女は強がって笑おうとした。

 足止めにはなった、この終わりに意味はあるのだ、と暗く閉じる視界の中、親友に別れを告げながら自身を宥め続けた。

「惜しいな。年を重ねても儂の手はお主には届かん。果てはコアの一歩手前、人間の創造までじゃった」

 イポスティは巨人を見上げ、目から零れ落ちそうな涙を堪えて呟く。

「コアの中で悠久に眠れ、我が娘よ」


 ボイソスは崩壊した工房から辛くも生還し、何とか大空を拝めると期待していた矢先、高木の林冠をも突き抜ける土の巨人に腰を抜かした。西の空を下りつつある太陽に筋肉と思わしき膨らみは陰影を濃くし、風貌を脅威的に変質させる。ボイソスはむせかえる土の臭いを吸い込みながらも、あれが『永遠の生命フィロソフォス・コア』の本来の力なのだと驚愕した。炯々と光る紫の双眸が、地平線を一望する。

「ボイソスよ。生き残った者は居るか」

 一驚を喫する最中のボイソスは杖でつつかれると、我に返ったといわんばかりに報告する。

「……数名は生き埋めにならずに済んだようですが、他は……」

「救助はしなくてよい。土砂から這い上がれた者だけでも集めろ」

「いったい、何をなさるのですか?」

「予定を繰り上げるのじゃ。コアを神鳥様に捧げ、霧を堅固にする。

 外の世界などもはや要らぬ。今こそ、この島を世界から切り離そうぞ」

 土の巨人は王城の向こう側、北の祭壇を向いて、老齢の錬金術師の下知を待っていた。

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