第17話

 厚い扉が開かれると、内部から眩しい明かりが溢れ出た。地下であるにも関わらずフロネーの目を刺激する光量は、巧みに隠されているのであろう嵌め殺しの天窓から取り入れられていた。地中に埋まる窓は厚く、真下から覗かなければ空は見えない。しかし、おそらく工房の中では地上に最も接近した一室ではあった。そして、空を臨める位置———部屋の中央の台に横たわっていたのは、端正な顔を日光に照らすロクサーヌだった。

 手足を拘束されているが大事には至っていない親友に、フロネーはひとまず安堵した。だが、緊迫した状況であることに変わりはない。

 杖を三本目の足にして部屋に入るイポスティに続いて、フロネーは片足を上げた時、

「粗相をしでかすなよ。貴様の首など何時でも捻ってくれよう」

 と、肩を掴まれながら、冷ややかな小声が耳に入った。

 肝が冷える不快な感覚を押し殺して、フロネーは部屋の壁に凭れる。ボイソスの恫喝で拍車がかかった心拍はなかなか治まらないが、それにかまけている場合ではない。

 フロネーは今集中すべきことに神経を尖らせた。千月から託されたチャンスを、いつ使うべきか。

「しかしなぜ、ロクサーヌ王女は眠ってしまったのでしょうか」

 ボイソスは素朴な疑問を口にした。

「力を制御出来ておらんのじゃろう。未熟な者では、果てのない紋呪の奔流から過剰に力を受け取り、昏睡状態に陥ってしまう。そもそも、縛呪甲は紋呪を隠蔽することで『存在を無かった事』する代物じゃ。その制限を無視できる力を人の身で受けきれるはずなかろう」

 イポスティはそう説明するが、フロネーの耳には何一つ入らない。ロクサーヌを助ける絶好のタイミングを虎視眈々と狙い続けて、懐に手を入れたままだ。

「しかし不思議じゃのぅ。王女の身体にやけどがないとは。ボイソスよ。王女に術でも掛けたか?」

「いえ、何もしていません。突然暴走を始めたかと思えば、突然眠りに落ちたのです」

「ふむ……。紋呪を切り離し、運用する術さえ会得できればこの小娘に用は無くなるのじゃが」

 考え込むイポスティはまず縛呪甲の代替品を作るべくロクサーヌから目を離した。

「眩しい……」

 かそけく、弱弱しい声が三人の気を引いた。咳をすればかき消えていたに違いない声の出所は、フロネーではない。フロネーと碌に会話をしたことがないボイソスでも、この声はロクサーヌだと嗅ぎ分けられた。

「まずい、回復が早すぎる!」

「紋呪を隠せ! 力を使わせてはならん!」

「っ……フロネー!」

 ロクサーヌは掠れた声で助けを求めている。この状況は二度目だった。捕らわれた親友と、それを見つめる彼女自身フロネー・ダーソス

 紋呪を隠されれば千月から授かったとっておきも台無しになる。そうなれば、ロクサーヌを助ける機会はもう、得られない。フロネーはいつものようにロクサーヌと師匠をまた天秤にかけようとして、止めた。もう決心はついている。どちらの受け皿を傾けさせるか。自分がしたいことは、何なのか。


「———彼女の笑顔を握り潰すのは、もうこりごりなんだ」


 フロネーは心の中で唱えると、軽くなったような身体で駆けだした。

「今、助けるから!」

 赤と黄の目覚ましい色彩の羽根はロクサーヌの右腕に密着し、紋呪を煌めかせる。

「貴様ぁー!」

 ボイソスの怒号にも動じず、彼女は自らの師匠へ顧みた。二人は視線を交わし、神妙に見つめ合う。一秒すらない時間だが、決別の意思を伝えるにはぴったりだった。

 そしてフロネーが伏せた瞬間、部屋は直上から飛来した物体で大きく振動した。轟音と突風に室内はかき乱される。床にまき散らされた透明の粉は、衝撃をまともに受け止めて破片にすらなれなかったガラスの粒だった。

 空からの襲来に備えていない人間は受け身も取れないまま壁に打ちつけられ、すぐには立ち上がれないだろう。ただ一人、伏せていたフロネーは、黄金の鳥に変身した千月を見上げていた。

 フロネーは打合せ通りに、ロクサーヌの脇を抱えたまま千月の胴にしがみついた。すると、千月は羽ばたかずとも、まるで上から引っ張られたかのように高度を急上昇させる。この加速は、神鳥の力が為す技だった。

 フロネーは気の遠くなるような圧力の中、千月と別れる直前の会話を思い出した。


「ロクサーヌを見つけたら、これを紋呪にかざせ」

 と、千月はフロネーに自身の羽根を1枚抜き取り、差し出した。

「これは……?」

「ただの羽根やけど、あたしと繋がってんのよ。やから紋呪に反応して、羽根が発信機……あー、まあ、ロクサーヌの居場所がわかるってことや。あたしは上空で待っとるから、よろしく頼むで」

 すっかり信頼しきったように語り掛ける千月はつかみどころがなく、フロネーは混乱しつつも羽根を手にした。

「これって、チャンスだよね……」

 フロネーは空に浮かぶ太陽を見ようと目を細めた。もしかすると、神鳥は私の願いを叶えてくれたのかもしれない。フロネーは心臓が破裂しそうな鼓動を味わいながら、快く承諾した。

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