第16話
島の南部。城下町を南に下った先にある平野には、細い樹が遠くない間隔で背を伸ばす森林があった。シンフォレシアの南西にある丘陵の森林とは違い、緑は控えめで視界は広く、落ち葉よりも土壌の茶の方が地表を占めている。
その平地林を、フロネー・ダーソスはゴーレムと共に歩いていた。千月とは一度別れ、単独でアジトへ向かう最中だった。
フロネーは頭上に目線を移し、黒煙を確認した。昼過ぎにもなれば王城から昇るそれの勢いは衰えつつあった。だが城下町は依然、動乱の渦中だろう。
師匠達が略奪を働くことはない、とフロネーは信じている。それでも、前代未聞の出来事に国民の混乱は極まり、メラクやセリスが統治していた領地に逃げ出す者もいるのかもしれない。特に、神鳥の祭壇がある北領には、抱えきれない人数の避難民が押し寄せている可能性が高い。
彼らからすれば、イポスティ達は得体の知れない蛮族に等しい。襲撃の余波で罪のない貧民が瓦礫に埋もれたかもしれない。王城で働く家族を失った者もいるだろう。王城を壊滅させた以上、いくら人民を傷つけることはないと説得しても、にわかに頷ける者はいない。暴力という手段を執ることは、つまりそういうことなのだ。
そして何よりも、間接的にとはいえフロネーはロクサーヌの親族を殺害した。
ロクサーヌが事実を知ればどんな顔をするのだろう。
フロネーはゴーレムの胸部を力強く殴った。腕は土に埋没し、ゴーレムは何気なく彼女を見つめている。
最後に観たロクサーヌの姿が、フロネーの頭にフラッシュバックする。助けを求める声を聞き流して、フロネーは動けないでいた。いや、彼女は動かなかった。
フロネーはゴーレムから乱暴に腕を引き出した。手のひらには四角いコアが握られている。心臓を取られたゴーレムは形を崩して、土に還った。
陰鬱のままにフロネーはしばし歩くと、大きな岩を見つけた。どこから平地林に転がってきたのか、それは不自然な場所に鎮座していた。丸みを帯びており、表面には小さな丸い窪みがある。
フロネーは手にしていた四角いコアを両手で掴んだ。八つの立方体が組み合わさった青い四角の中央には、赤く丸いコアが固定されている。それを取り外して、フロネーは岩の窪みに填めた。すると、岩肌に切り込みが入り、奥へと倒れていく。
「なるほど、これなら勘づかれない……」
じりじりと石が擦れる音が止むと、そこには階段が出現していた。フロネーは填めたコアを元に戻して、一段ずつ慎重に降りていく。暗闇に包まれた通路は、しかし数十メートル先に青い明かりが灯っている。フロネーはそれを目印に、凹凸のある岩の壁を伝う。
やがて突き当りに降り着くと、重厚な金属のドアがフロネーに立ちはだかった。赤錆が濃いが、黒に近い鉄色ではあまり目立たない。ドアの隅には、ガラスの筒で囲われた青火がかけられている。これが光源だったのか、と納得する一方、それにはなにやら取っ手やつまみがついており、物珍しさに手に取りたくなった。だが、それどころではない、と首を振って仕切りなおした。
ドアは不気味な音を立てて開く。おそらくこの先に彼女の師匠、イポスティは居る。
彼からロクサーヌを取り戻す大事な第一歩を、彼女は踏み入れようとした。だが、視界に入った光景に、フロネーは目を疑った。
森林の真下にあったのは、巨大な地下工房だった。
フロネーが呆然と立ち竦む入り口は地上に近く、工房全体を見渡せた。身長の数十倍、約15メートルもある8本の柱が長方形の箱の形を支える。天井には昼間の太陽のように工房を照らすライトが数個設えられており、地下といえども闇は排斥されていた。何かしらの機械が並ぶ工場区画ではゴーレムが忙しなく行き交い、鉄板や粘土を運搬している。彼らの向かう先には、資材が山のように積み上げられていた。
フロネーは途方に暮れるしかなかった。
「なんだよ……これ」
予想を遥かに超えた周到さ。これを一度見れば誰もが『勝てない』ことを悟る。これはシンフォレシアの技術ではない。紛れもなく、外の知識がふんだんに駆使されている。
「壮大じゃろう」
馴染みの声を聞いて、フロネーは我に返った。いつしか隣には、杖をついたイポスティが悲し気に笑っていた。
「師匠。私が来ること、わかっていたんですか」
「森の中をうろつくお主を警備ゴーレムの視界で見かけたんじゃ。ひどく沈痛な面持ちをしていたのぅ」
フロネーはそう優しく語り掛ける彼に、気後れして目を合わせられなかった。
「フロネー……。なぜここに来た。お主は何も知らなくても良かった。小屋の中で革命を待っておれば……」
「『
フロネーは言葉を遮って答えた。イポスティが心底心配してくれていることはフロネーも痛感している。だが、子供の頃と変わらない声調で語り掛ける、父親のようなイポスティは、今のフロネーにはこたえた。
「まだ使っておらん。『
「てっきり、そうやって王城を制圧するんだと……」
「かっはっはっはっ!」
老人はその体躯に見合わない過大な声量で笑う。工房にこだまする声は、何人もイポスティがいるかのように思わせた。
「お主はゴーレムの術に長けておるからのぅ。そっちに引っ張られるのも無理ないわい」
師匠が懐かしそうに目を眇めたのを横目で捉えるフロネーは、つい表情を緩ませていた。自分はやはりイポスティ師匠の弟子なのだと、フロネーは強く思ってしまった。
「隠していて悪かった。この工房も、儂らの本意も。そろそろ教えてやらねばなるまいなぁ」
フロネーは息を呑んで師匠に耳を傾ける。これが最後の授業かもしれない、と予感すると、フロネーは否応なく耳を傾けざるを得なかった。
「この島は厚い霧、つまりは境界で囲われておる。人の往来を阻止する不可思議の境界があるからこそ、外と内で異なる理を両立できるのじゃ。霧が晴れればどうなるのかは儂にもわからん。しかし、境界を強化し、隔たりをより確実なものへと変化させるなら、事の顛末には大方の予想がつく。
世界の常識が異なるのであれば、外とシンフォレシアは別世界のようなものじゃ。端から別々に存在しているようなものを、土台となる惑星を介して強引に繋げておる。
そこでじゃ、外界との境界深度を増せば、その繋がりを完全に途絶できると思わんか。そして、シンフォレシアをこの惑星から分離し、一つの世界として成立させる。この理論を達成するのが儂らの目標じゃ」
イポスティは滔々と続けていた。まるで何度も理論を検めて、仔細を余すことなく記憶しているようだった。
「過程には、お主の『
しかし、これで終わりではない。この島が惑星から分離した暁に、儂らは新たな国家を樹立させる。名を、『永世神鳥王国プロズディオ・シンフォロウ』。完全なる循環を孕んだそれが誕生すれば、シンフォレシアの人々は飽きるほどの平穏を享受できるに違いない。
……これで儂の復讐は完遂じゃ。師匠様……カタスト様の仇を打つ。どれほど待ち望んだことか。理論の要たるコアを儂には作れぬと知って、お主には心血を注いだ。神童と定められて生を受けたお主でなければならなかった」
「定められてって……どういう———」泡の音が、聞こえた気がした。
粛々と聞き続けた理論はもはやフロネーの頭にない。師匠の最後の言葉に、賢しいフロネーはその真意を図って、うろたえた。
老人は虚を突かれたのか、先ほどとは打って変わって言い淀んだ。弟子への語りに傾倒するあまり、秘匿していたフロネーの出生を口走ってしまっていた。厳めしい顔も、頬を痙攣させては威勢が消えてしまう。
「イポスティ総長」
会話を中断させたのは、焦げ茶のローブを纏った中年の男だった。
「ロクサーヌ・シンフォレシアの縛呪甲が融解しました。代替の縛呪甲が完成するまでいかがいたしましょうか」
「ロクサーヌが!?」
フロネーは、ローブの男がボイソスだと認識する前に叫んでいた。
「おやおや、神童ではないか。変わりないようで何よりだ」
さも意外、と言いたげに目を見開いたボイソスにフロネーを歓迎する様子はない。しかし、イポスティは二人のこじれた関係をつゆ知らず、
「なんじゃ、知っておったのか?」
とフロネーに言った。
「いいえ、全く知りません」
フロネーは即座に否定して、へまをしないように閉口した。
ここにロクサーヌが運ばれていることは千月のおかげで知れていたが、いざ確定したとなれば、殊更イポスティの誤解を利用しない手はなかった。フロネーにあそこまで本意を打ち明けた彼は、彼女が神鳥過激派に同調したと信じ切っているらしかった。ここでボイソスと争って腹心を悟られれば、即刻工房からつまみ出されてしまう。
「勘違いだろうか、まあいい。イポスティ総長、早急に対処を命令なさってください」
「ふむ。では解析の続きでもしようか。お主はどうする」
「お供します」と答えるフロネーに、ボイソスは「よろしいのですか、部外者を立ち入らせて」と反対した。彼女を一瞥する目には、ギラギラした怪訝さを蓄えている。
「何を言う。フロネーは理論の中枢たるコアを完成させたのじゃ。無下にすることは出来ぬだろう」
「申し訳ございません」イポスティの不興を買ったボイソスは直ちに頭を下げた。
ボイソスは颯爽とローブを翻し、イポスティを先導してスロープを登っていく。
イポスティとボイソスが進む、岩がむき出しの通路には不気味な気配が漂っている。これの先は正真正銘の虎穴だ、とフロネーは覚悟して、彼らの後を追った。
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