第8話

 玉座の間を前にして心を整えた千月は、側に侍るアリオスに毅然と声を掛けた。

「新人はここで待っときや」

 アリオスがそわそわしながら了解の敬礼をする一方、千月は扉の前で心を落ち着かせた。

 扉を警護する衛兵は、そつがない挙措で観音開きの扉を開く。千月が入室した内部にはネオスの他には護衛の一人もおらず、人払いは事前に済ませていたようだった。

「ネオス王、ご無沙汰しております。神鳥の御力も、あなたの身体も、出鱈目みたいな錬金術も、さらに弱まっているようですね。城に兵士の気配が少ないのも、それで?」

「開口一番、嫌味かね? オーリオの子よ」

 ネオスは厳しい視線で、ありありと千月を捉えた。

「後悔することになると思いますよ。王城の兵士を減らすなんて、ここを狙ってくださいと言っているようなものです」

「息子達の帰還に合わせて戻しているだろう」

「ええ、半数だけのようですが。それとも、派遣した兵士は片道切符しかもっていなかったのでしょうか?」

 ネオスの瞼が反応した。咄嗟に誤魔化そうと試みるが、千月のあからさまに含意のある笑顔を見て気分が失せてしまった。

「なぜわかる?」

「兵士の移動にはお金がかかります。でもシンフォレシアは火の車。開国のために節約したい財政を考慮すれば、当然です。あまり外の人間を侮らないでください。15世紀も神鳥に守られ続けて文明レベルが中世で打ち止めのあなたたちよりも、争いの嗅覚には敏感なんですから」

「慎め。貴様の来訪は、この島に災いも齎したのを忘れたか?」

「言ったでしょう、北部の祭壇であの姿になった時に、あたしは『諸刃の剣』だと。王がそれを承知したから、ここにあたしが居るんですよ」

 王に返す言葉はなく、そのまま千月の言葉に耳を傾ける。

「シンフォレシアを開国するには外の科学が必須です。再度確認しますが、霧を払うのはあなたの本望ですよね?」

「いかにも。国民がこの先も息災に生き続けるには、神鳥の庇護から抜け出さねばならん」

「あたしも同感です。シンフォレシアが衰退して更地になるなんて、最悪の結末です。だからこそ、甘い考えは控えてください。あなたは一国の王なんですから、執心は弱みになります。例え愛する子供であってもです。そこを衝かれては国が崩壊してしまう可能性も少なくありません。今すぐ、無理をしてでも城の守りは固くすべきです」

 ネオスは考え込んだ。千月は利発だが、それ以上に揺るがない知識があるように思えた。その出所がどこにあるかを推察すると、やはり一つしかないと彼は確信した。

「外の世界は、それほど冷酷なのか?」

 千月が感じていたシンフォレシアの欠点は、彼の発言で正当になった。

 鉄は青銅に勝り、小銃は弓矢に勝り、戦車は歩兵に勝り、核はナパームに勝る。千月も含め、外の人類が今を快適に生きられるのは、闘争による発展の歴史があったからだ。相手を効率よく殺し、守りを厚くする技術から血生臭さを消毒すれば、千月が所有する水上機やスマホになった。さらには戦争という出来事も娯楽と化し、人々は時には怒り、時には悲しみながら争いを享受する。

 シンフォレシアにそれらはない。これが差だった。

 もしも喧嘩も戦争も必要がなく、貧しいが全人類が幸せに暮らしていけるなら、文明を発展させる必要はないし、相手を疑うこともしなくていい。シンフォレシア王国は、端的にはそういった歴史を持っていることを千月は悟っていた。

「そうですね。これでもないってくらい冷酷です。酷い人がたくさんいて、傷つけあって、憎しみ合って、逃げたくても逃げられない、醜い世界。でも、優しい人もいるんですよ。手を取り合って、助け合える世界でもあるんです。醜いなりに美しい所なんです」

 けれども、シンフォレシアには及ばない、と千月は思う。こんな、争いに疲れた人間が見るユメのような優しい世界を徒らに乱されるのは、千月の良心が痛んでしまう。

「そうか。神のない世界はそこまで大変なのか。書物で読んでみても、未だに実感が湧かない」

 ネオスはしたたかに頷くと、

「わかった。兵を城に戻し、城を堅牢にする。同じことを新鋭の近衛にも諫言されたな。まさか、外を知るお前も同様とは」

 と言った。

 千月は手を口の前で合わせて、ふっと息を吐き出す。手で隠れた唇からは、白い歯が僅かに見えていた。

「あと一つ、個人的なお願いなのですが、図書館を使用させて頂いてもよろしいでしょうか」

「構わない。お前は間違いなくあの聡明なオーリオの子だ。情報を与える方が、この国の利益になるだろうからな」

「ありがとうございます」

 深く礼をしてこの場を去ろうとする千月に、ネオスは古い記憶を呼び起こした。自身が外の世界へ単身で送り出した従兄弟、オーリオの勇敢な出立を。


 千月が諸々の手続きやネオスとの面会を終えると、夜のとばりが島の草木にも降りていた。

 彼女が王城に到着した頃には、刻呪式もパーティーも既に前日の出来事になっていた。千月は落胆したものの、すぐに気持ちを切り替えて仕事に当たった。業務内容はいつもと変わらない。外の物品を仕入れて、シンフォレシアの開国に貢献すること。国の関係者でも一部しか知らない重要な仕事を、彼女は淡々とこなした。

 そんな一日を終えた千月は、薄暗い廊下であくびをしながら、アリオスに報告を促した。

「そんで、お姫様は?」

「人づてにご用をロクサーヌ様へお伝えしましたが、ご多忙により断られてしまいました」

「まあ結局、式に遅れてしもたんやし、しゃーないか。じゃ、明日の朝は図書館を調べるから、そんつもりで。お休み、新人」

 室内も廊下と同じく薄暗く、照明は緩やかに燃える青い炎しかない。手を伸ばした先に何があるのかを視認できればいい方だった。

 千月は数か月ぶりに訪れたシンフォレシアの景色を楽しもうと、窓辺のイスに座った。今日は月が丸く、夜景は部屋よりも明るい。人口増加もなく、技術発展もないこの島では、土地を必要以上に開発する意味がない。そのため一面の緑だけで面白みはないが、人の手が加えられていないからこそ、彼女はこの風景に心を預けられた。

 就寝しようと立ち上がった矢先、見切れていた歩道に伸びた影に彼女は目を落とした。

「ふーん。王女様がお忍びで外出ねぇ……」

 千月は笑いが止まらなくなった。神鳥過激派に対するネオスの危惧をもないがしろに、王の娘たるロクサーヌは夜の闇へ溶け込んでいく。危機感の無さには失笑すらも甘かった。

「ここまで来たら道化やがな」

 腹を抱えながらベッドへ、染み込むように体を預ける。しばらくは笑い声を荒げていたが、次第に呼吸の循環だけになると、千月は寝息穏やかに眠りについた。

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